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バカと呼ばれるとさみしい!  
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バカと呼ばれるとさみしい!

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■11月の問い
「バカと呼ばれると、悲しくなるのはなぜでしょうか?
バカと呼ばれないためにはどうしたらよいのでしょうか?」

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ふじたくんへ

こんにちは。すっかり「秋」になりましたね。お元気でしょうか。まずは今回の、

>バカと呼ばれるとさびしいのはなぜでしょうか?
>バカと呼ばれないためにはどうしたらよいのでしょうか?

という「テーマ」をめぐっての、僕の「考え」、いや「スタンス」と言った方がいいのかな、それを自分自身、実際書きながらたどるのは、こういう「書簡式」が良いように思うので、それを最初にちょっとおことわりしておきたいと思います。だめ?



たぶん藤田くんは「沈黙=無言」だと思うので乗じて自由に、こういう文体でいきますが、まず、「バカ」と僕が具体的にどういうような具合で関わるのかを少し書いてみたいと思います。

>バカと呼ばれるとさびしいのはなぜでしょうか?
>バカと呼ばれないためにはどうしたらよいのでしょうか?

という藤田くんのテーマ、相変わらずデリケートで厳しい所をついてくるね。
1、さびしい
2、どうしたらいい
僕が最初に思うのは、バカと呼ばれてさびしいという、感受性やね。素直な反応やと思うんよ。たぶん僕もさびしい。っていうのも、だんだんそんなの、どうでも良くなるやんか。まあ、ここにすでに、「引き裂かれている」という、人間を考える上での、存在論的に重要な論件がひそんでいる。

「さびしいのか、どうでもいいのか?」なんか、話しがややこしくなりそうなんだけど、「バカ」ってなんか、「烙印」に近くて、烙印とは共同体的である。共同体にとっての「烙印」は境界線に触れており、分水嶺越えの記号である。すなわち「バカ」とは、排除であると。そしてこの共同体を自己に置き換えてみて、僕の僕をめぐる境界線問題として提出できる「バカ」なるものの俯瞰が自分にとって切実であるっていうのが、1、の読み替えになると。

そういう風に考える時、僕にとって「バカ」は彼岸ではない。あるいは一方の極でもない。立体的に重なって運動する僕の中にふと、存在する「密度」のような物である。どう、これ。だめ?論理的でない?



うーん、藤田くん、これはちゃんとやると、400ページ上下よ。もっと簡単な質問にしてくれない?
「味噌汁って冷めてもおいしいんですか?」



やっぱり「バカ」っていうのが含むものはなかなか侮れなくって、恋する男女が雨の中、同じ傘の下で抱き合いながら小さくささやく「ばか」なのか、親方に鉋で怪我をした若手大工が怒鳴られる「バカッ」なのか(怪我をした大工は、親方の娘の許嫁やねん)ただ、満員の通勤電車から降りる時の捨て台詞なのか、これは、一元的に定義出来ないよね。

あるいは、たんに短絡的で狭隘な人間を「バカ」と呼ぶし、想像力を欠いた人間も「バカ」と呼ぶし、こういうふうに見て行くと、どうやら「バカ」はコミュニケーションの不調と何か関係があるらしいね。人間は内省的に自己完結的水準では自分の「バカ」はわからないってことになるんやろうね。「人間は、バカから離陸できない、かもしれない」ってどう?だめ?これが2、のアプローチかも知れないね。

「どうしようもない」
うーん、ひどい。
村上春樹さんが「ピンボール」やったかな、人間は、みんな故障した飛行機に乗り合わせた乗客みたいなもので、それに気付いた人間が、少しでも強くなろうと思うしかないって、僕は、20歳のころに読んでびっくりした憶えがあります。
今回は、このへんで、どう?
だめ?


【プロフィール】
橘 真
神戸・三宮のバー「Re-SET」のマスター。94年に開いたワインバー「ジャック・メイヨール」の時代から哲学好きで知られ、「モードなワイン」など、やわらかい語り口から飛び出す「わかったようなわからん言葉づかい」が特徴。
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