おのぞみドットコム
真剣な会話 教授の扉
バカと呼ばれるとさみしい!  
おのぞみドットコム バカと呼ばれるとさみしい!>橘 真さんが考えたこと
バカと呼ばれるとさみしい!

橘 真さんが考えたこと →目次に戻る
考える人々 青山 裕都子さん ・橘 真さん ・内田 樹さん ・藤田 功博
-----
■12月の問い
「フリーターのどこが問題ですか?
そもそも、仕事ってなんですか?」

-----

ふじたくんへ
こんにちは。さすがに季節も、だいぶ深くなって来ました。世界の有り様の、いくつかは集中しいくつかは分散する。冬の始まりには、なにかそんな、重なりのようなものが生む緊張がありますね。ふじたくんは如何お過ごしですか?

さて、今月の題、「フリーターの一体どこが問題ですか?」ですね。うーん、なんだかきびしいな。「どこが問題ですか」なあ。まあ、これはちょっと、いっぱい行って話そうか?って感じやな。時間、あるの?なんか、重いよなあ。



「フリーター」
これ、だいたい、名前からして、ちょっとひどいよな。普通に、もう少しましなの、何かないんやろかと思うやん、分節として。僕は思うに、こういうのは、なんか「社会」というものの、その実、強烈で、深く手の届かない悪意のようなものを感じる。もう、立ち上がられへん、って感じやな。僕、考え過ぎ?例えばフリータ−本人も、「フリ−タ−」って言われるとなんか、居心地、悪いと思うねん。

「フリーターの一体どこが問題ですか?」の、なんかどこかに問題がありそうなのは、本人もなんとなく感じてる。すっきり問題なければ、フリーターって言葉自体、そもそもないのと違うかな。「なんだか、居心地が悪い」なんでやろ。

僕はそれを思うに、フリータ−って、全体として、やっぱり含んでる物が多くって例えばスケープゴートっていうような物を考える時、フリータ−は共同体に付いて廻る、暗い差別を含む。私は集団に参加している、あなたは参加していないという様な。あるいは、こういう事かも知れない、彼は生き方として、フリータ−を選択する他、なかったのだと。

差別者は差別しているという、差別の意識は、たぶんほとんどない。被差別者も差別されてる意識はあまりない。まあ、たちが悪いわな、こういうのは。たぶん何処にもいかへん。この話は売春の話にも繋がりそうやな。こういうのは、感じる人間は感じるし、感じない人間は感じない、というか、感じないのじゃなくて、感じないと、いうことにしている。だから、いらいらするのと違うかな。



あるいはトリックスターみたいなものを考えれば、例えば僕が、美人でゴージャスで、モデルもしている様なクラブの女の子とする。(こういうのも?フリーターに入るよな。)僕は新地のクラブで、「接待」の人々の、実体化する様々な「欲望」についての話を聴きながら働いている。給料は、消費の「うわまえ」構造だから、月に100万円。今日あったことは明日にはきれいに忘れる。適当な時期が来たら相手を見つけて、適当に遊んで暮らす。

まあ、実際にはこういう例は、人格化した社会の共同幻想やと思うけど、逆にそういう極めて例えば短絡的に見える生活が、結果的に社会構造を標的すると。ちょっと、話が俗っぽいか。まあ「反転」してるだけかも知れんけど、こういうのも境界線上なんかな。



ちょっと、僕の仕事についての話。なんか、長くなってきたな。僕はもともとレストランのソムリエの仕事をしててんけど、レストランのサービスの仕事の現在は、実は前任者がほとんど街場にはおらへんねん。ホテルは別よ、会社やねんから。街のレストランのサービスの人で現役50代の人、いてるやろか?いてても、まあ極少数が現実やな。

ということは、ソムリエを含んでサービスの仕事をしている皆、具体的な生活のロールモデルのない中、自分の職業の未来をどう考えるって事やん、単純に。なんか、僕、ややこしい事を言うオッサンになってる?やばいよなあ、もう。まあ、サービスの人が50歳になった時、一般の50歳の平均的な待遇で仕事があるとは僕には思えんねん。

もうちょっと言うと、レストランのサービスの仕事に問われるのは、実は批評性みたいなもので(たぶん)、それは厨房とお客さんを含む形で「自由港」として機能する。そこはタンジールやねん。それがないと、店とお客さんの関係は二項対立的になる。二項対立的な関係の補助っていう事なら、これは別に、誰にでもできる。そういうのは「職能」とはあんまり言わんわな。そういうことを含んだ形で「水商売」を考えるっていうアナウンスはあまりないもんな。

フリーターをめぐる「未来」を視野に入れた仕事の話は、全体としては、ここにすっぽり当てはまってると考えるな。まあ、その水準で話せば、フリーターは人事ではないって話です。



ちょっと、とぶけど、エクスキューズとしてのフリーターの話と同質な話っていうのは、僕らの業界にはよくあることで、美味しい物をたべてもらいたいとか、居心地のいい空間を提供したいとか、まあ、あるやん。まあ、正しいねんけどな。

でもそういう一般論としての、ものの正しさっていうのは、結局、単なる「風景」やねん。イラストレーションとしての綺麗な風景。これは主語が「綺麗な風景」。例えば「絵描き」は極めて限定されたパーソナルな事を個人的に突き詰めて「描き続ける」事によって、逆説的に一般性を獲得し、それが世界中の人間に伝わると。そういうのが「一流」であると。これは主語が「僕」やんか。

絵描きは「世界」を絵の具に「翻訳」する。料理人は「世界」を包丁で「分節」する。その「翻訳ー分節作業」を大きく共有する、僕を「僕ら」にするっていうのが「仕事」なのかも知れないね。ちょっと「前時代的」?な意見かも知れんけど、求心的な中核は、たぶんそこにあるんと違うかな。

ふじたくん、
やっぱり難しいわ。
自分でなに言ってるかわからんようになってきた。ふじたくんの質問、読み替えると同じ質問やしなあ。それが「どまんなか」なのは良く分かるけど。まあ、土俵に上がって正面から四つに組んで、さわやかに、行きたいね。

次回は
「おまんじゅう落としたんですけど、まだいけますか?」
とかにしない?


【プロフィール】
橘 真
神戸・三宮のバー「Re-SET」のマスター。94年に開いたワインバー「ジャック・メイヨール」の時代から哲学好きで知られ、「モードなワイン」など、やわらかい語り口から飛び出す「わかったようなわからん言葉づかい」が特徴。
考える人々 青山 裕都子さん ・橘 真さん ・内田 樹さん ・藤田 功博
→今月の問いに戻る
 

お問い合わせ会社概要ポリシーサイトマップこのサイトについてスタッフ募集!
Copyright (c) Nozomi,inc All Rights Reserved.