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■12月の問い
「フリーターのどこが問題ですか?
そもそも、仕事ってなんですか?」
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今までなら正社員がやっていた仕事も、アルバイトに任せる、といったことが起きて います。逆に言えば、昔なら正社員になれた人が今の時代ではアルバイトの機会しか与えられていないのが実情です。それらの人はアルバイトとしてもそれなりの結果を出しますから、企業は「お、アルバイトでもけっこう働いてくれるやん」ということになり、いつでもクビにできるようなスタッフを多く抱える形で経営していくことになっています。でも、それならなぜ、フリーターの存在がメディアで批判されるのでしょうか?確かに、フリーターの多くの人がまかされることになる仕事は、代替可能な種類のものがほとんどですし、そのような仕事を通じてスキルやキャリアは身につけられないかもしれません。 しかし、フリーターを批判する人は、世の中からフリーターが0人になった時の世の中を描けているでしょうか?その世の中では、人々はどんな仕事をしているのでしょうか?僕は大いに疑問です。
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というご質問が若き起業家であるフジタ青年から寄せられた。今回はこの問題について不肖ウチダがお答えすることにしたい。
まことにフジタ君のご指摘通り、どうして、これほど日本経済に深く組み込まれて おり、低賃金高品質労働によって日本経済の下支えに大きく貢献しているにもかかわらず、フリーター諸君はいつまで経っても日本社会の正規メンバーとみなされず、「
まま子」扱いを受けるのであろう。この社会的な差別には、何か深い理由があるのだろうか、というお訊ねである。
もちろん理由はある。それについて今からお話ししよう。フリーターが批判されね ばならないのはなぜか。その理路を説くためにはいささか長い迂回が必要になることをご覚悟願いたい。
ご案内の通り、管理マニュアルの整備された「チェーン店」(マクドとかKFCと かTSUTAYAかね)においては、従業員の90パーセントがフリーターというような店舗がもう珍しくない。私のところのゼミ生であったヨシオカくんはマクドの時給850円のバイトの身で、顧客からのクレーム処理以外のあらゆる仕事をこなしていた。
日本のフリーターは世界的に見て、最高水準の能力をもつ低賃金労働者である(統 計によれば、バイトの賃金水準は正社員の23%)。
だが、時給850円のマクドのバイトのお姉ちゃんが、商品の仕込みから新人教育 からデコレーションのプラニングまでこなし、時間外のサービス残業やサービス早出までいとわずにやっているという驚嘆すべきコストパフォーマンスの高さが、69円のハンバーガーというような商品価格を可能にした、という事実をメディアはほとんど報道しない。
コンビニで夜勤するバイトのお兄ちゃんは、レジの金をかっぱらって逃げることも 、悪友を呼びよせて、店の商品を洗いざらいトラックに積み込んで夜逃げすることなど考えもしないということを「前提」にして採用されている。見ず知らずの就労者の労働の質とロイヤリティがここまで高い水準で保証されている社会が世界にいくつあるだろうか。
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これは「自動販売機」の事例とよく似ている。
知られている通り、外国から来た人たちが日本に来て、まず驚倒するのは自動販売機が無人の街角に林立している風景である。彼らには、それは街頭に「貯金箱」が無造作に置いてあるのと同じことを意味するからだ。「どうして、こんなところに、こんなものが…」と彼らは目を丸くする。「バールでチェーンを叩き壊して、トラックで運んでしまえば、簡単に商品も現金も盗めるじゃないですか・・・」。
日本社会ではそういったダイハードな窃盗を試みるのはごく少数の職業的犯罪集団 だけであり、一般市民はどれほどチャンスに恵まれても、めったにそのようなことは試みないのであるということはなかなか説明しても得心頂けない。「防犯」ということに配慮がなされるのは、犯罪による損失の方が、防犯コストより大である場合に限られる。当たり前の話だ。「アンビリーバボー」と外国からの賓客たちは嘆息する。「なんて、いい国なんだろう」
だが、その当たり前のことが意識されず、メディアもこれを報じないため、私たち はその「ありがたさ」(文字通り、「存在する可能性が低いこと」)に十分な感謝の意を表しているとは言い難い。
フリーターの「ありがたさ」は自動販売機の「ありがたさ」に通じている。フリー ターについては「スキルが必要ない」とか「キャリアがつかない」といった否定的評
価がよく口にされるが、そういう批判をする方々は、フリーターが国際的基準からす ると信じられないほど「忠誠心の高い」労働者であるという事実を言い落としている。
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なぜ、そのことが言い落とされるのか?もちろん理由がある。
「世界の常識」によれば、低賃金の労働者は必ず、「手を抜i湧く」か「商品を盗む」かすることで、その格差を補填しようとする(これは労働者の「権利」とみなされている)。その結果、サービスや商品の質は低下し、利益は目減りするから、それを埋め合わせるために雇用側はさらに人件費を抑制し、賃金はいっそう下落し、その結果、さらに「手抜き」と「汚職」が横行し、人心は乱れ、社会不安は増大する…という悪循環が生じるわけである。これが低賃金労働者のふるまい方についての「グローバル・スタンダード」(そういうものがあるのである)である。
しかるに、左翼的な知識人の一部には、日本のフリーターがこの「グローバル・ス タンダード」に照らして、「お行儀がよすぎる」ことへの不満がくすぶっているように見受けられる。
「収奪された労働価値を革命的暴力によって奪還せよ」というのはマルクス=レーニ ン主義の金科玉条である。だから、左翼的な方たちは、「フリーターが低賃金である」という事実に対しては別に文句を言わない(低賃金はフリーターたちが「収奪されていること」の動かぬ証拠なのだから、それで「よい」のである)。
そうではなくて、その低賃金を不満とするフリーターたちが団結して、レジ強奪とか 商品略奪とか『全国150万フリーター・ゼネスト』とか政権打倒というような直接行動に打って出るどころか、ぼけっと「らっしゃいませー」とか言うばかりであることにいらついているのである。
つまり、左翼的な批判者たちは、フリーターが日本経済の構造的矛盾を覆い隠す「緩衝剤」として機能しており、そのせいで、社会制度のラディカルな改革が「遅れ」、自民党政権が延命することについてご不快なのである。
メディア発信のフリーター批判者の2割程度は、この「フリーター“窮民”による 異議申し立てから始まる社会革命」の空しい夢を育んで、彼らの期待に応えることなく、資本主義の繁昌のために日々せっせと働いているフリーターを逆恨みしている心優しいサヨクの諸君であると断じて大過ないであろう。
だがもちろん、これは批判者のごく一部に過ぎない。なにしろ、左翼も政府も財界 も学校も「フリーターには困ったものだ」と口を揃えているんだから、その言い分が同じであるはずがない。
「世論がよく理解できない」という場合には、「違う理由」で「同じ結論」を語る人 々の発言をひとくくりした可能性を吟味してみた方がよい。筑紫哲也が「フリーターにも困ったものだ」と言う場合と、竹中平蔵が「フリーターにも困ったものだ」と言う場合では、その理由が違う。
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ではなぜ政府はフリーターの増加に困惑しているのか?
それは行政がフリーターの増加が日本経済に非常な不利益をもたらす危険があるからである。
「ちょっと待ってください。言ってること、ぜんぜんつじつまがあってないですよ。 さっきは、『低賃金高品質のフリーターの労働で日本経済は支えられている』と言っておいて、今度は、『フリーターのせいで日本経済は不利益をこうむる』って、ウチダ先生、矛盾してません?」
だから、「違う理由で同じ結論が出ることもある」って言ったじゃないか。いいか ら、もうちょっと聞きなさい。
あらゆる政治的・経済的ファクターについては「量的変化が一定の段階を超えると 質的変化をもたらす」という原則があてはまる。エンゲルスの言うところの「自然弁証法」だ。
フリーターのような「低賃金で高品質で、いつでも馘首できて、そのくせ商品略奪もしないし、労働組合も作らないで、静かに失業を受け入れてくれる市民たち」が一定数存在することは雇用調整上はたいへんに好ましいことである。しかし、「一定数」いるのは資本主義にとって好ましいフリーターとはいえ、それがあるパーセンテージを超すと資本主義の危機をもたらす恐るべき存在に変容する。
だって、そうでしょ?
「低賃金」であるということは「可処分所得が少ない」ということなんだから。
当たり前のことであるが、市場経済のプレイヤーたちは「安いコストで商品サービスを提供する」ことで利益を得るわけだが、「買ってくれる人」がいなけりゃ、そもそも市場そのものが立ちゆかない。
フリーターは「貧乏」である。「貧乏人」は家も買わないし、車も買わないし、国 債も買わないし、預貯金もしない。フリーターという低賃金労働者を収奪することでささやかな浮力を得た日本経済は、低賃金労働者を収奪し過ぎたことによって、今度はわれとわが首を絞めているのである。行政や財界が焦っているのは、それに気づいたからである(今頃気づくのもどうかと思うが)。政府が「若者自立・挑戦戦略会議」(すごいネーミングだな)を招集して、フリーター問題の対策に本腰を上げたのは、2003年の6月の話である。
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企業の方はもう少し対応が早かった。エスキモーに冷蔵庫を売i湧り、貧乏女子大生に ヴィトンのバッグを買わせるのが資本主義の骨法である。メディアで煽って、貧乏フリーターたちのなけなしの可処分所得を絞り尽くすことなど朝飯前だ。だから、サラ金のTVCMでは「コンビニや道路工事で働くフリーターたち」が「未来を担保にして」バイクを買ったり、ストラスキャスターを買ったりして微笑んでいる姿をばんばん流している。
たしかに、売り手の側に「手段を選ばない」と非情さがあれば、フリーターを自己 破産覚悟の消費行動に駆り立てて、マーケットのサイズを短期的に拡大することはできない話ではない。
だが、そのようにしてフリーター諸君を「絶対的窮乏」のうちに追い込むことで、 結果的に日本資本主義はさらなる危機を招来することになる。
貧乏なフリーターは再生産しないからである。
「結婚しても今の生活レベルは下げたくない」とか「お金のない人とは結婚しません 」と公言してはばからない若い女性に私たちの時代は事欠かない。どのような社会理論が彼女たちのゆがんだ価値観をサポートしたのか、ここではあえて問わないが、ともあれ、このきわだって拝金主義的な趨勢の中で、男性のフリーター諸君が配偶者を得るチャンスはきわめて低いと言わねばならない。
配偶者を得られないと、そのあとどうなるのか。考えるまでもないことである。日 本の人口が激減する。
予測によると、日本の人口は2006年に1億2700万人でピークに達し、2050年に9200万人にまで減る。3500万人、つまり27.6%分だけ市場はシュリンクするのである。しかも、この予測は、配偶者も子どもも得られないままに孤独な晩年を迎える「貧乏なフリーター」たちが今後急増することを勘定に入れていない数字なのである。
人口が減るということは、端的に総需要が減るということである。そりゃ、多少移 民の流入もあるだろうが、彼らが日本経済を浮揚させるほどの活発な消費行動を取ることは当面期待できない。海外マーケットでの需要増も多少は望めるだろうが、アジア諸国と競合するためにはコストを押し上げている人件費を削減するしかなく、そのためにはさらにパートやバイトを増やすほかない。ここでフリーターを増やしてどうする。
人類はこれまで「人口が増えて、供給が追いつかない」という事態だけを想定して きた。「人口が減って、ものが余る」という事態を想定した経済学は存在しない。そして、まさにそのような「人類にとって未知の社会状況」に日本は一日一刻近づいているのである。
もうお分かりであろう。行政や財界が必死になって「フリーターをなくそう」キャ ンペーンを展開しているかの、その理由が。
明治維新以来135年、わが国において、「人口増」と「経済の繁栄」はつねに手 を携えてきた。しかし、今、日本は「社会のハイパーモダン化」がそのまま「市場経済の解体的危機」を結果する状況にある。労働力と市場の維持のためには、何よりもまず「再生産」プロセスを確保せねばならない。日本の人口をこれ以上減らすわけにはゆかないのである。
だが、そのためには、定職につき、40年ローンを組んで家を買い、国債を買い、ば たばたと結婚し、子どもをせめて2人生んでくれるような「ふつうの勤め人」を社会の中核層として再構成するしかない。とりあえず政治家と官僚はそういうふうに考えている。だから、彼らはこれまでフリーターの労働を収奪して利益を上げてきたことはころりと忘れたふりをして、「フリーターをやめて、定職につきたまえ」と若者たちに説教をし始めたのである。
短期的な消費を喚起するために「未来を捨て値で売り払う」ような刹那的な生き方 をフリーターに対して、TVCMで奨励しながら、長期的危機を見越して「将来のことも考えて、腰をすえて仕事を探したまえ」と説教をかますという矛盾したアナウンスが同時に行われているのは、かかる事情によるのである。
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なぜフリーターをめぐる批判の言説がこれほど矛盾しているかの理由が少しはお分 かりに頂けただろうか。
しかし、この程度の社会学的分析であれば、まあ専門家なら誰でも言えそうなこと であるので、もう一つ、誰も言わないことを言っておこう。
人口の再生産が必要とされる一番大きな理由は、実は年金や市場や労働力の制度維 持のためではない。スキルもキャリアも年金も妻も子もなく孤独な死を迎えたフリーターにはその死を弔う「喪主」がいなくなってしまうからである。
あと数十年後に誰にも弔われず孤独死する単身者の数は数百万に達するであろう。 この「誰にも弔われない死者たち」が21世紀後半の日本社会にどれほどの「祟り」をなすことになるか。
私たちが無言のうちに恐れているのは、日本の暗澹たる霊的未来なのである。
* Meets2月号P48〜P51より転送しました。
(著作権者の許可を得ております。)
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【プロフィール】
内田 樹
神戸女学院大学教授。語り口は柔らかく、それでいて切れ味は抜群の哲学者。驚異のハイペースで出版される書籍は、出されるごとに、「世の中の見方が変わった」というファンを生み出し続けている。2003年に刊行された「疲れすぎて眠れぬ夜のために(角川書店)」と、「子どもは判ってくれない(洋泉社)」はとにもかくにも必読の書。HP「内田樹の研究室」でも読み応えのある日記を公開中。
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