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考える人々 江 弘毅さん ・青山 裕都子さん ・内田 樹さん ・藤田 功博
明けましておめでとうございます。藤田です。
風邪などひいていらっしゃいませんか?
僕はおいしいものを食べて、よく寝て、元気な毎日です。

今年の京都は、かなりの頻度で雪が降っています。忙しい毎日だとついつい日付を忘れがちですが、セミが鳴き始めたり、道ばたのモミジが赤くなったり、そしてコートの奥に突き抜ける寒さから、ふと季節の動きを感じることができます。

先日の雪の日も、家の窓からしばらく街をながめていました。確かにやたら暑かったり寒かったりしていやに感じるときもあります。が、季節の色が濃く出る日本は、やはりすばらしい環境の国だなぁと、隠居したおじいさんのような気持ちをいだきつつ、忙しく仕事に追われる日々です。

さて。

前回、「仕事とはなんですか?」という問いに、お答えをいただいてありがとうございました。このサイトの企画だけでなく、江さんや青山さんに機会をいただき、ミーツ2月号の方でもフリーターについての考察や、お坊さんの仕事ぶりを取材したりしました。

仕事とは何か、ということを改めて深く考えました。僕自身はやや頭が固く、考えながら進むということがなかなかできないのですが、それでもいいや、しっかり考えてから一歩一歩進んでいこうと改めて思いました。

今回の「仕事」まわりの取材で、なにかひとつのとっかかりを見つけた気がします。もう少し、いろいろ取材をしてみるつもりです。


高度経済成長時代、今となっては会社人間と揶揄されるサラリーマンたちは、仕事についてどういう考えをもっていたのでしょうか。

自分の会社、友達の会社、みんなが順調に大きくなって、ひいては日本という国が世界の驚異になるほどまでに成長した。そういうことに対する自負や、その自負を通じた共同体概念、つまり「俺が会社を、日本を支えてる」という実感は、昔の方が強かったのではないかと思ったりするのです。

後から見返したら反省材料になるようなことでも、その瞬間においては、単純な動機の方が強く動かしたりするのかもしれません。

「何のために仕事をするのか」という問いに対して、「会社を豊かにするため、家族を豊かにするため、日本を豊かにするため」といったような、ある種自己犠牲の、共同体貢献的な答えが多く返ってくる時代は、それはそれで社会にまとまりがあったのかなぁと思うのです。連帯は安心につながり、それによってまた仕事に打ち込める環境があったのではないか、そう考えるのです。「みんないっしょ」というのは良くも悪くも、安心を生む発想だし、安心や納得が人の働きには大切なことです。

それが今ではほどけてきて、みんな社会とか仕事とかをバラバラにとらえるようになった。多様になりました。多様になったということは、「隣の人は何考えてるかわかんない」ということであり、それが社会の不透明さ、言語化できないわかりにくさのようなものにつながっているのだと思います。


先月の問題でもふれていた、社会に広がる漠然とした不安感というのは、「なんか、一言では説明できない社会になってきた」というところに原因があるのではないかと考えるのです。人は言葉で世界をとらえますから、言葉でとらえにくい世界はすなわちわかりにくい世界ということです。

思想的なまとまりというものは、共同体に必要なもので、「何がどうなってるのかわからん」という曖昧な不安が広がる今の時代は、やはり連帯感やつながり感の薄い社会になっているのかもしれませんね。

鎌倉時代や江戸時代を振り返っても、飢饉などの社会不安が広がっているときにこそ、思想的なまとまりを求めるべく宗教の存在が求められた、というのもわかる気がします。

誰しも「何かがわからない」「何かわからないけれど、確実に存在していることがわかるという状況」というようなものがが嫌いでたまらないのですね。状況を理解し、わかるためのルールやヒントを求める人が増えていくのが今後の流れなのでしょうか。

「バカの壁」が売れたり、トリヴィアに夢中になるのは、 何かの象徴であるような気がしてなりません。


その考えから消費的な観点に目をむければ、「豊かになったからこそ心の時代だ」とか言われていますが、「貧しいときこそ心の時代だった」と言えると思います。

たとえば家に帰ったらテレビがひとつしかない、でも今日はどうしても「それゆけ!三四郎」が見たい。でも裏番組にはお父さんの大好きな「男はつらいよ」がやっている。

そうした場合には、何とかしてお父さんを説得し、お兄ちゃんを説得し、「それゆけ!三四郎」を見る努力が必要になります。それはコミュニケーションの努力に他なりません。

おやつのリンゴがひとつしかない場合も、 電話が1台しかない場合も同じです。

何かする場合には必ず誰かと話、やりとりをする必要がでてくる。そういう時代だと、人を気遣うこととか場の空気を読むこととかがとても大切になります。おのずと、精神的な豊かさは身に付くと思うのです。逆に言えば、心の豊かさがないと、うまく社会生活を送ることができなかったのが昔ではないでしょうか。「心の豊かさ」が求められていたのは昔だったのではないかと。

逆にいまは、心が豊かでなくても、コミュニケーション下手でも何とか生きていける時代になっているので、「心の豊かさ」というのは生活の必須ツールではなくなっているように思います。必須でなければ、求められることもまた少ないのでしょう。

ただ、他人と没交渉になればなるだけ、仲間うちでのノリとか言葉遣いが重視されるようになり、ますます他人を理解することが難しくなる気がします。ワケのわからない事件や、動機がまったくつかめない犯罪が増えることで、ますます社会の不透明さは増していく気がします。

コンビニでマニュアル語を駆使して時間を切り売りすれば、欲しいモノがなんでも手に入る時代です。考えの全く合わない誰かと、ムリして時間を過ごさなくても、好きな相手と、好きなようにしていても生きていけます。

単身者用のマンションにはやかましい大家さんがいません。コンビニには健康に気遣ってくれるおっちゃんもいません。通信機能のついたゲームだと、家にひとりでいても対戦ゲームができます。

他人とコミュニケーションをする必然性も動機もないのが今です。一方でモノに満たされ、何ら足りないもののない、飽和状態にあるように思うのです。生きていてさしあたっての不自由や不足を感じることがあまりない。何が足りないか、何欲しいかすらわからない。そんな状態が今ではないでしょうか。


どこへ向かおうとしているのか、どこへ行こうとしているのか、考えるのは難しいですね。享楽的になるのは仕方がないことなのですかね。

「敗戦から立ち直らせようぜ」とか、「震災から復興しようぜ」とか、「世界ナンバーワンになろうぜ」といったベクトルや指針がない中で、これからどのように生きていくべきなのか。

これこそが先月の「仕事」とリンクする問題であり、とても難しい問題だと思います。

今はこのようなことを考えています。前置きが長くなりましたが、ここからは今月の質問です。

いよいよ年明けからは、就職戦線がスタートするようです。3回生の冬に、自分の将来に対して明確なビジョンを持っている人はとても少ないのではないかと心配しつつも、世の中は待ってくれないようです。各種セミナー、説明会、そして書類選考がはじまり、春休みの面接ラッシュに向けての準備が着々と行われるようです。

一度始まってしまうと、途中で立ち止まって考えるヒマもなく、迷いの渦の中を走り抜けることになります。内定が出る出ないというのは、あくまで能力に関する査定の結果であって人格に対する査定の結果ではないのですが、どうしても自分が否定されたような気になって、落ち込んでしまうことが多いようです。

「なんとなく周りに流されているような気がする」という焦りの声や、「結局、何がやりたいのかわからない」という迷いの声が、毎年届きます。そのたびにその人に対して落ち着いて考えるために言葉のやりとりをするのですが、結局は本人が自分で決めることしかできないわけで、もどかしさもあります。

僕から見たら能力のある人が、それを活かしきれない職に就き、結局辞めてしまったという話も耳にするようになってきました。

今月は、彼らに対するアドバイスをお願いしたいと思います。就職活動を控えた、もしくは突入した大学生に対して、勇気づける言葉でもいいですし、面接官に対する気持ちの持ちようでもかまいません。

社会を意識し始め、そこに出ようとしていく人々に、メッセージをお願いしたい次第です。

どうか、よろしくお願いします。

お忙しいことと思いますが、お答えを楽しみにしております。

寒い折、くれぐれもご自愛くださいませ。
それでは失礼いたします。


 
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