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考える人々 ・平川 克美さん(1)・(2) ・内田 樹さん ・岩井 克人さん(1)(2) 
「Linux Cafe」「店長のコンテキスト」より引用・再編集して転載しています。

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■3月の問い
「ゴール設定戦略の限界」
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インキュベーションは可能か?
これが出発点であった。

■ゴールとプロセス

大阪のフリーライターである樋口ヒロユキによれば、マルガレーテ・リホツキーは、女性の家事の負担を最小にするために、調理にかかる動作の一つ一つをストップウォッチで計り、その時間がもっとも短くなるようにキッチンを設計したのだそうだ。これが、今日のシステム・キッチンの原型である。この設計手法は、今日でも工場を作る際の基本となっているらしい[注1]。

「効率」とは、いかにして「ひとつのゴール」まで最短距離、最短時間、最小エネルギー(コスト)で到達するかの定量的な指標である。しかしもし、ゴールというものが想定されない場合、あるいはゴールというものがプロセスの中に偏在すると考えた場合、「効率」という考え方そのものが意味を持たなくなる。「効率」とはあくまでも投下資本(労働力)を変数としたゴールまでの算術であり、ゴール自体の概念がゆらいでしまえば、算術は成立しないのである。そもそもゴールとは、プロセスはいつでも変更可能で代替可能であるという前提でしか語られない。ゴールまでの算術のなかで、もっともムダなものとして排除すべきはプロセスそのものということになる。

ところで、人間はいつもプロセスの中に存在している。ビジネスというものを「ゴール」から発想するか、「プロセス」から発想するかで「ビジネスの風景(見えかた)」は全く異なったものになる。リホツキーという女性が「家事負担の最小化」というゴールを見ることで、その視界から排除したものは、効率化の先にある「料理の出来映え」や「料理をおいしいと言ってくれる家族との関係」である。

さて、このゴールとプロセスのトレードオフの関係は、乗り越えることが可能かというのが、本稿のテーマである。 

■ビジネスモデルという言葉

90年代のシリコンバレーの繁栄を支えたのは、「バブルの予感」であった。「バブルの予感」の中では、ビジネスモデルそれ自体が投資価値を生んだ。「収穫逓増」という錬金術を編み出すために、成功の事例を切り刻み(ケーススタディ)、分析(SWOT)し、競争優位の戦略(ポジショニングと差別化)で再構成された[注2]。

できの良いビジネスモデルには、まだそれが実践されていないのに数ミリオンダラーの投資が集中した。投資された金は回収されなければならない。爾後のビジネスは、あまりにも機能主義的、制度的であり、どこか先に引用した「理想の台所」の試みと似ている。その意味ではシリコンバレーモデルとは近代的産業モデル(機能万能主義)の最後の洗練だったのかも知れない。

この間の熱狂を支えたキーワードはEXIT(出口)という輝く単一のゴールであった。90年代後半のカリカチュアを描くとすれば、ゴールまでの最短距離をローンレンジャー(アントレプレナー)が疾駆しているということになるだろう[注3]。この場合インキュベーターはメガホンを片手にランナーを煽る伴走者であることは言うまでもない。

■矛盾

わたしたちは、インキュベーションを考えるにあたってその本質的矛盾から出発した[注4]。本質的矛盾とは、「インキュベーターとは、もっとも他者の手を借りたくないと信じている人びと(つまりアントレプレナー)を孵化(インキュベート)するもの」のことだということである。 このパラドクスは個々人の絶対優位の戦略が効率の最大化へ必ずしもつながらないという競争原理の矛盾である「囚人のジレンマ」[注5]、および市場主義が持っている本質的な矛盾である「共有地の悲劇」[注6]と通底するビジネスのアポリア(難関)である。

「囚人のジレンマ」は、ドットコム企業がそうであったように、制限のない競争によって産業自体の活力を奪い、「共有地の悲劇」は、岩井克人も指摘したとおり、環境問題として今日の京都議定書問題へと接続されている[注7]。

インキュベーションのジレンマは、まさにバブルのマッチポンプとして機能せざるを得なかった投資家、インキュベーターのゴールと、自己言及的なストーリーの語り手であるアントレプレナーのゴールが乖離し、相互不信に陥るという悲劇を生み出している。 わたしたちはこれらのジレンマを乗り越えるパラダイムを作りうるのだろうか。



■ポストモダン

〈Harvard Business Review〉の2001年6月号の表紙には次の文字が躍っていた。
「ポストモダン・マーケティング」
このいかにも時代遅れのタームを前に、わたしたちは、そんなことは当初より折込み済みであったと感じていた。本稿の最初の問いである「インキュベーションは可能か?」にはすでにポストモダンの思考が色濃く反映している[注8]。シリコンバレー・バブルが崩壊した今、もう一度ポストモダンの視点からビジネスを考えてみることは、意味のあることだろう。

これまで、哲学、文学、建築、社会学などの分野でポストモダンは一世を風靡したが、(とくに日本では)未だビジネスの世界でポストモダンが正面切って話題に上ることはまれであった。それには理由がある。明治以来、日本の産業界はキャッチアップを最大指標として発展を遂げてきた。キャッチアップとは先行者というゴールが鮮明であり、そのためには効率化が最高のメソドロジーであった。ZD、QC、TQC、かんばんシステム、すべてキャッチアップのための方法論である。ひとつの方法論の選択は同時に他のありうる可能性の排除である。ひとつの成功物語はそれがどんなに恣意的なものであろうと「モデル」として定着する。

日本経済が世界をリードする段階に至ってこれらの成功体験は事業再編、パラダイムシフトに対する足かせとなってくる。企業間の相互乗り入れ(アライアンス)、顧客までを含むナレッジネットワーク(ラーニング)、創造的破壊(ディコンストラクション)といった新しいビジネス手法を、単なる思弁から現実のビジネスに根付かせるまでにはまだ多くの試行錯誤を必要とするだろう。

いま試みにモダンとポストモダンのキーワードを簡単に整理すると、以下のようなことになる。

モダン
戦略プラン―意思決定主体―成長―効率・生産性―モデル

ポストモダン
変化プロセス―相互作用関係―持続―価値・経験性―非モデル

確かにポストモダン的な発想は、一見迂遠な方法に見えるかもしれない。しかし、わたしたちは、それでもなお、ビジネスの主役である人間が威信を保ち、プロセス自体のうちに価値を創造しつづけるためには、新たなビジネスパラダイムが必要であると考えている。

何故か。

キャッチアップの次の地平を切り拓いてゆくためには、あらたな「創発」のアイデアを作り出す必要があるだろう。また、インターネットの出現により、これまでの商品(もの)に新たな商材である情報が加えられたことにより、これまでのマーケティング手法(ポジショニング)の有効性がゆらぎ始めている。情報は新しい商品であるにとどまらない。

この商品は、自己増殖し、変態し、浸透するといった自己運動をもった商品なのである。「情報」あるいは「知」は、それを断片化し、パッケージ化して商品棚に並べた瞬間に別のものに転化してしまうのである。「情報」あるいは「知」というものは、ポジショニングによって価値を生むのではなく、むしろコンテキスト、文脈、物語の中で、新しい意味を生成する。これは、形式化し、分析的であることのまさに対極のアプローチである。



■関係論的、編集的

ネガティブ・アフォーダンスという言葉がある。
知覚心理学のJ・ギブソンが提唱したアフォーダンスとは、モノあるいは環境には、人間の行動を誘発する情報が含まれているという考え方である。ドアノブは、ひとつの金属の塊だが、思わず人の手を伸ばさせて、掴ませるという情報を発信しているという訳だ。
私事で恐縮だが、私は20年以上空手の稽古を続けている。素手、素面で組手を行なう場合にバラエティーに富んだ攻撃をすることができる人でも、相手が面ガードを付けた場合には、攻撃は単調になり、面だけを攻撃するようになる。これは、ベテランでも素人でも同様の傾向をもっている。何が変わったのか。

面ガードという擬似的な目標物ができたために、攻撃の本来の目的(相手の身体)と手段(己の身体運用)の関係性が無意識的に歪みを受けたのだ。さらにゆがみが大きくなった場合には、ポイントをとるという本来の文脈が忘れられて、面ガードを強く叩くことが目的になってしまう。 

ビジネスにおいて、とりわけ戦略策定において、このネガティブ・アフォーダンス現象は頻繁に起こりうる可能性をもっている。プロダクトアウトの発想でモノをデザイン、製造している現場では、しばしば自分の「作品」を作ることが目的となってしまい、それを消費者に届けるということを忘れる。BPRを無理やり導入することで、一時的なコストダウンを果たせても事業のサスティナブルな発展を支える企業活力を失わせることもある。

失敗の事例が発信しているのは、部分の総和は、全体を構成しないということである。デビッド・ハルバースタムを待つまでもなく、ベストアンドブライテストが最高の理論で武装しても、全体の関係を読み違えればとんでもない失敗をするということである。 わたしたちは、もうひとつの物語をはじめる必要があるのかもしれない[注9]。

もうひとつのとは、スマートなビジネスモデルを構築し、強固な主体性で、最高の効率で、ゴールに向かって駆け抜けるローンレンジャーの物語ではなく、かといって経験と勘と根性の物語でもない、価値を創造し続ける物語のことである。

[注1]ある「ねじれ」……ポストモダンについて(1)

[注2]ヘンリー・ミンツバーグは、その近著『戦略サファリ』(東洋経済社)の中で、あらゆる戦略のパースペクティブを描き出し、「考えてから行動する」ということに疑問を投げかけている。ハーバードMBAであったロバート・マクナマラの「形式的かつ分析的であれ」という軍事戦略が「ベトナムの水田」でいかに無力であったかという例を挙げている。

[注3]アルフレッド・ケッツ・ド・ブリースはその、論文“The Entrepreneurial Personality: A Person at the Crossroad”(1977年発表)の中でアントレプレナーを「最後のローンレンジャー」と形容している。

[注4]筆者は、Espresso第1号で次のように書いている。「アントレプレナーとは他人によって自らのプランを干渉されたくない人であり、もっともインキュベーションされたくないタイプの人間である。インキュベーション事業の一つの難しさは、もっともインキュベーションされたくない人々をインキュベーションの対象とするということの中にある。」

[注5]フォン・ノイマン、モルゲンシュテルンらによって開発されたゲーム理論のひとつ。各プレーヤーが絶対優位の戦略を選択すると、協力して次善の選択をするよりもお互いに悪い結果を招くというもの。

[注6]共有(牧)地を各自が自分の利益を最大化しようとして使う結果、過度の放牧が起こり、破滅的な結果が起こるといるもの。

[注7]2001年〈朝日新聞〉夕刊 思潮21「未来世代への責任」

[注8]わたしたちは、昨年5月にアラン・ソーカルとジャン・ブリクモンが、『「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用』で、ポストモダニズムの「死」を宣告していたのを「すでに」知っていた。

[注9]神戸女学院大学の内田樹は松下正己との共著『映画は死んだ』(いなほ書房)の中で、グレゴリー・ベイトソンを引用して、面白い見解を述べている。学校教育の場では知性は「問いに正解する能力」と同義だが、ベイトソンの考える知性の本質的機能は、ひとつの問いに対して、「話をひとつ思いつく」ことであるとしている。ビジネスの現場において、もうひとつの物語とは、ビジネスの新しい枠組み、言わば「創発のコンテキスト」のことである。



「Linux Cafe」「店長のコンテキスト」より引用・再編集して転載しています。
【プロフィール】
平川 克美

リナックスカフェ社長

卒業してプータロー生活を堪能した後、1977年に、村上春樹の小説「1973年のピンボール」を地で行く様に(詳しくは内田氏のHPの2003年6月6日の日記を参照)友人と渋谷道玄坂に株式会社アーバン・トランスレーション(現在D2E2株式会社)を設立し、社長に収まる。 翻訳だけでなく、過去には長野オリンピックや、ワールドカップフランス大会の公式ガイドブックなども編集制作を行った。

上記日記の 知の巨人 内田樹氏の親友でもあり、内田氏のHPにて「東京ファイティングキッズ」なる深遠なる知的テキストを共同制作している。こちらも一見の価値あり。

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