 |
 |
|
 |
 |
 |
| |
| 考える人々 ・江 弘毅さん ・堀埜 浩二さん ・バッキーイノウエさん ・橘 真さん ・松澤 壱子さん ・藤田 功博 |
-----
■6月の問い
街的ってなんですか?
いい店ってなんですか?
-----
いい店って一体何なのか。
街場の現在を伝えるということは、ひいてはお店の話をメインに書くことにつながる。しかし時に、「この店はいい店である」ということを他人である読者に向かって宣言することにどのような意味があるのかと考えてしまうことがある。自分にとっていい店であっても他の人にとっては何とも思わなかったり気に入らない可能性が十分にあるからだ。
じゃあ誰にとってもいい店を紹介すれば、ということになるのだろうが、誰にとってもいい店なんて実は存在しないし、全ての人に愛されようとしている八方美人的な店なんて、そのうち誰もが愛想を尽かす。一見さんでも長年の常連にも同じような接客をし、同じ値段で同じメニューを提供するチェーン店に魅力を感じるだろうか?僕がたまに行くチェーンの定食屋は、定食を頼むとご飯のおかわりが自由になるのだけれど、毎回行くたびにその説明を聞かされる。「ご注文は肉野菜炒め定食でよろしかったですね?ありがとうございます。定食はご飯がおかわり自由となっておりますのであちらのカウンターにてどうぞ〜」。よく利用する店が、いい店だとは限らない。
いい店とは、ある時点で体験した「きっと自分しか味わってないだろう満足」を自慢げに語ることのできる店、つきつめれば、その店の中で起きたできごとを、人に語ることのできる店だといえると思う。おばちゃんが定食に水餃子をオマケしてくれたとか、たまたま隣の席に座ったおっちゃんと意気投合したとか、メニューにない料理を作ってくれたとか、「自分だけ」のエピソードがある(もしくは、あるという幻想を抱かせてくれる)店を、いい店ということができるのではないだろうか。そこには、マニュアル的な接客からは生まれようのない、客との関係を重視したスタンスがある。
グルメな雑誌で書かれている「味」というのは、その上に乗っかるものだ。どんなにおいしい食事でもトイレで食べたら台無しなように、「おいしい」という感想はその場の雰囲気とか、店とのやりとりとか、全てを総合した結果として生まれてくる。その店がどういう店かを書かずに、味の話に終始する記事のなんと多いことか。イタリアで何年修行していたからおいしいのではないし、産地直送の素材を使っているからおいしいのではない。工夫や努力の積み重ねによってできた「店」という空間があり、その空間と料理とはがっちりワンセットなのである。料理だけが切り離されて存在するわけではない。だからその味だけを取り出して云々することにあまり意味がない。見晴らしのいい山頂ならコンビニのおにぎりだってごちそうになる。それを忘れているライターや編集者がとても多いような気がする。単なるグルメ記事ではもう読者は読んでくれない。
だからこそ情報誌を読むにせよ、人から話を聞くにせよ、「へぇ〜あのレストラン行ったんや。味はどやった?」と味のことだけ尋ねるよりは、「へぇ〜あのレストラン行ったんや。どんな感じやった?」と聞く方が正しい答えが期待できる。そうやって聞けば、その店がその人にとって「いい店」なのかどうかが聞き出せるからだ。
普段の生活の中で、「田中くんはいい店って言ってたけど、行ってみたらあんまりやったわ」ということがよくあるけれど、実はこれこそが店のあり方なんちゃうか、と最近は思うのである。店は人と同じだ。あいつが好きな奴でも、自分は嫌いなこともある。一目惚れとか肌に合わないとかいろいろある。だからこそ、「この店は自分にとっていい店です。例えば○○」と読み手に向かって語りかけることに、どれだけの意味があるのかを疑問に思う事もある。そんな中、記事を読んだ人がその店に行って僕と同じような気分を味わってくれて、それをメールなどで報告してくださると、紹介してよかったなぁとしみじみ思うのである。
あなたにとってのいい店って、どんな店ですか?
|
|
| 考える人々 ・江 弘毅さん ・堀埜 浩二さん ・バッキーイノウエさん ・橘 真さん ・松澤 壱子さん ・藤田 功博 |
| →今月の問いに戻る |
| |

|
|
 |