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漬物 京都漬物革命史 漬物
今ではよく名の知られた漬物も、その裏にはたくさんの物語がある。
ここでは、京都の代表的な漬物が誕生するまでのエピソードを まとめてみた。
そこには、新商品開発のための革新の積み重ねが あった。
それらを知れば、今までと違った味わいを感じられるだろう。


千枚漬本家 大藤京都の漬物で、まず名前が上がるのが千枚漬。発祥は慶応元年(1864)、[大藤]の創業者大黒屋藤三郎が考案したのがきっかけだ。保存食でない漬物が登場したのは、この千枚漬が最初だろう。千枚漬は、それまでの食糧を保存するための漬物とは違い、秋に取れた聖護院かぶらをその年の冬までしか漬け込まない。旬の野菜をそのシーズンに食べるという贅沢な漬物だ。また、御所にしきつめられた白砂をイメージしたという千枚漬の優美な姿は、地味な色しかなかった漬物業界に革命を巻き起こし、「京料理の1つ」とまで言われたほど。今の進物やお土産としての漬物の第1歩は、この千枚漬から始まったと言っても過言ではない。  
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  田中長 奈良漬店「京の奈良漬」と聞くと不思議な印象を持たれるかもしれない。名前の通り奈良の名産では?ということであろう。しかし、京都に漬物専門店が増えてきた昭和初期、進物の定番とされたのは奈良漬だったのである。宅配便が登場する以前は、贈答品としては千枚漬より日持ちのする奈良漬の方が適していたのだ。また、奈良漬は最低でも2年、中には10年以上漬け込まなくてはならないものもあるため、それを扱うことはその店が技術と資本を持っていて、長い目で商売をしている証でもあったのだ。特にこの[田中長奈良漬店]は他の漬物屋が舌をまく技術と信用が旦那衆の眼鏡にかない、長年進物として重宝されてきた歴史がある。
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すぐきや六郎兵衛江戸時代、すぐきは公家や御所への献上品で、上賀茂神社の社家や限られた農家でしか栽培できなかった。農家に伝わる古文書には、「たとえ1本といえど他村に持ち出すことを禁ず」と記されていたほどだ。隣の農家同士ですら種を交換することはなかったという。そこまでして、代々すぐきの血統を守ってきたのだ。 すぐきは本来夏の食べ物だったが、室と言われる保温室ができてから冬の食卓に並ぶようになった。室ができた契機は、ある時、火事の熱で漬物樽の中で発酵が早まったすぐきを発見したことにあり、その後、温めることで発酵を早める製法が採られたのだ。今やすぐきは京都の冬の漬物の代名詞と言えるほどの人気だ。  
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  土井志ば漬本舗しば漬が文献に登場するのは鎌倉時代初期。建礼門院が壇ノ浦の戦いで我が子を失い、大原の寂光院へと隠棲した際に、彼女を哀れんだ大原の人々が、しばと夏野菜の漬物を献上したという逸話が残っている。雪深い大原には、農林業以外に目立った産業がなく、大原女と言われる女性達が柴を頭に担いで町で売り、家計を支えていた。その時、お得意様への贈り物として自家製のしば漬を配ったのが評判を呼び、明治期になると大原の街道沿いでしば漬を主力の土産として売る店も誕生した。その後、大原も京都を代表する観光地となり土産物としてのしば漬も大ヒット、今では京都3大漬物の1つとして知られるようになったのだ。
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