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火が好きだ。焚き火も、花火も、マッチの火も。
そう言うと、人は「危ないね」なんて笑うけど、火はその危険性と共に、古代より人々を魅了しつづけているものだと思う。
京都の嵐山にある清凉寺(嵯峨釈迦堂)では、毎年春を感じる3月15日に、「涅槃会」とともに、お松明式が行われる。お松明式は、「鞍馬の火祭」「大文字送り火」と並び、京都の三大火祭の1つに数えられるもので、京都に春を告げる行事として、地元の人々に愛され続けている仏事だ。お釈迦様を火葬したことに由来するこの祭では、火葬の様子を再現し、燃え盛る炎の勢いでその年の稲作の豊凶を占う。
当日、境内には出店が立ち並び、驚くほど多くの子どもたちでごったがえしていた。境内のど真ん中には、巨大な3基の松明が建てられ、その周りにロープが張り巡らされる。夜8時前、境内の興奮は最高潮。三脚を立てて昼から待っているカメラマンや、友達の名前を叫ぶ地元の子ども。そして、その子どもを追う母親たちで、身動きがとれなくなったほどだ。だが8時半頃、お坊さんの出現によってざわついた場の雰囲気が一変した。
闇に響く念仏の音色と、木で組まれた大きな焚き火の炎に照らされ、辺りは一瞬にして幻想的な空気に包み込まれた。巨大な炎は、天高く火の粉を舞い上げ、見上げる私たちに灰を振り掛ける。ハラハラと舞う火の粉の様子は、まさに妖艶かつ幽玄。小さなため息が漏れ続ける、そんな時間がしばらく続いた。
そして、大松明の周りをお坊さんたちが数周練り歩いた後、10メートルほどもありそうな、巨大な竹で大松明に火種がつけられた。火種は、あっという間に松明全体に燃え移り、どんどん勢いを増して燃えていく。燃えている時間はあっという間だ。やがて全体が燃え、崩れかけたところでお松明式は終了だ。
お松明式の後、ぞろぞろと帰ろうとする人の流れに逆らって、まだくすぶっている松明を見上げていた。春の夜を紅蓮の炎で焼いた松明は、もはや小さな焚き火程度におさまっていた。しかし、私の心の中には、舞い上がる火の粉の情景がくっきりと刻まれ、目の奥でまだ輝き続けているようだった。恐らく、何度見てもため息がでる情景というのは、こういうものなのだと思った。そして、「また来年も見るだろう」と直感した。
[清凉寺(せいりょうじ)](嵯峨釈迦堂)
京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
075-861-0343
9:00AM〜4:00PM
拝観料:一般400円
無休
アクセス:京都バス・市バス「嵯峨釈迦堂前」からすぐ
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