真剣な会話
京都橘大学(旧京都橘女子大学)卒業後、百貨店に2年勤務し退職。その後のバリ旅行をきっかけに雑貨の販売を開始し、1989年には京都北山に雑貨店「alphabet」をオープン。また2003年、「誰もが心の中に持っている学びたいという気持ちを育てたい」という想いから、会員が自分の好きなことを自由に学べる教室「Trade mark kyoto」を設立。さらに翌年には、自らが興味を持つ人形劇をバックアップするため「人形劇場シアターズーイ」を設立した。
ほかにも、「てぬぐいの魅力と伝統を伝えていきたい」と、てぬぐいブランド「にじゆら」のディレクターになるなど、多方面で活動を行っている郷田英子さん。今回は、自分のやりたいことを実現するために必要なことは何か、お話を伺った。
Q. 「alphabet」と言えば、おしゃれな北山の街を代表する雑貨屋さんですが、そもそも雑貨の販売を始められたキッカケは何でしょうか?
実は、お店をつくろうと思ったことはなかったんです。大学卒業後は、百貨店で2年ほど働いていました。でも、外国に住みたいという想いがあり、お金を貯めてワーキングホリデーでオーストラリアに行こうと考えていました。それから百貨店を辞め、オーストラリアに行く前に少し時間ができたので、そのころ習っていたバリダンスを本場で習おうとバリに行ったんです。初めての一人旅で一ヶ月ほどの滞在だったのですが、空気がすごく自分に合って、あっと言う間に時間が過ぎていきました。そこで、バリの染め物や織物に出会ったんです。昔からそういう素材は好きだったのですが、日本にはないデザインの美しさに感動し、これらを紹介するお店をすればまたバリに来られるかも、という不純な動機でバリ雑貨の輸入販売をしようと思いました。
そして一度日本に帰ってから、貯めていた資金を持って、仕入れのためにすぐにバリに向かったんです。それから、カメラ屋をしている実家の2階の倉庫をお店に使おうと。母にすごく真剣に頼んだのを今でも覚えています。月々ちゃんと家賃を払うので貸してほしいって・・・それからすぐに雑貨店をオープンしました。
Q.雑貨店は初めからうまくいったのでしょうか?
いえいえ。そんなこんなを一年ほどやっていて、今思えば無謀なんですが、やっぱり売れなくてお金がすっからかんになったんです。家賃も払えなくなりそうで、もう辞めないといけないなと思っていたころ、百貨店のエスニックフェアに呼ばれたんです。
京阪神の10軒ほどのエスニック雑貨店が出店していたんですが、その中で私の店の売上げが2番だったんですよ。そのとき、利益が上がったことではなく、「売れた」ことで、バリで作られているもの、自分がいいと思ったものが「認められた」「喜んでもらえた」とすごく嬉しかったんです。今も基本的にはそれと同じことをしていると思っています。
私がいいなと思ったものをお店に置いて、お客さまにも気に入ってもらう。買ってもらうってそういうことじゃないですか。それを今も継続しているだけ。それから徐々に百貨店のイベントで忙しくなったのですが、いろんな方に助けていただいて・・・。そのときに一人ではなく人と一緒に何かをするということの楽しみも覚えたような気がしますね。

