真剣な会話

映画は世界の共通言語であり、総合芸術。異文化理解の最良の教科書です。[京都シネマ] 代表 神谷雅子さん

2003年に多くのファンに惜しまれながら閉館した京都を代表するアート系映画館「京都朝日シネマ」。 その立ち上げに携り、支配人を務めた神谷雅子さんが独立、如月社を設立した。
如月社は2004年、旧丸紅ビルを改装したファッションビル「COCON烏丸」の3Fに新しく「京都シネマ」をオープン。小さめのスクリーンに61席から104席という小さな劇場でありながら、アートシアターとしては異色の3スクリーンで営業を続けている。ホワイエ(ロビー)を開放したり、朝一回目の上映の前にお茶のサービスをしたり、新しいスタイルで「お客さまが気持ちの良い映画館」、「地域に根ざした映画館」作りを行っている。
今回は、京都シネマの方針と映画に対する考えを中心にお話をうかがった。

Q. 神谷さんが京都シネマを開館されるまでの経緯をお教えください。

立命館大学を卒業後、ものを書く仕事をしたくて京都の週刊新聞の記者になりました。主に文化や芸能に興味があったので、それに関わる取材を積極的にしていました。そのため映画撮影の現場にうかがって、お話したりする機会も多くありました。20年ほど前の当時はまだ大映京都撮影所もあり、太秦界隈もかろうじて日本映画全盛期の雰囲気も残っていました。
京都と映画に深い関わりがあることを教えられた場所です。その頃から映画に関心をもつようになり、知り合いから「京都朝日シネマ」の立ち上げに誘われたのを契機に、転職。「京都朝日シネマ」は88年にオープンし、関西で初めて完全入替制を導入し、場内での飲食禁止を実地してきました。ふりかえれば本当に多くのお客様に愛していただいた映画館だったと思います。

オーナー会社がシネコン(シネマコンプレックスの略=1サイトに7スクリーン以上の複合映画館のこと)経営にシフトしたため、2003年1月に閉館。全国から7000人もの存続署名が寄せられ、「なんとかしたい」という思いから独立。如月社を設立し、京都シネマを開館しました。

Q. 京都シネマの方針は「京都朝日シネマ」を引き継ぐものなのでしょうか。

京都にはいろんな役割を果たしてきた多くの映画館がありました。88年閉館の「京一会館」、2004年閉館の「京都美松劇場」、そして「京都朝日シネマ」。京都シネマはこれらの映画館が果たしてきた役割を担っていく映画館でありたいと思っています。
「京一会館」はユニークな名画座、「美松劇場」は60年代、70年代の日本映画全盛期の監督にとって、作品公開の大事な場所でした。そうした特色を引き継ぎ、京都にとって、なくてはならない映画館でありたいです。

Q. めざしている映画館像を教えて下さい。

あえて強調して言っているところがありますが、映画館は娯楽施設としてだけでなく教育施設であると考えています。映画館ほど多くの事を学べる場所はありません。北アイルランド問題のルーツがどこにあったのか、麻薬密輸でしか生きる術(すべ)が無いコロンビアの少女の話、あるいは11歳で徴兵されていた少年兵士のこと…、いま世界で起きていることを残念ながらほとんどの日本人は知りません。世界で起こっていることを知るという点でも、映画は重要なメディアであり、文化です。ハリウッド映画しか見ない人も多いですが、毎年、何百何千という作品が世界中で作られています。映画で国境を越えて何かを語ろうとする人たちが本当にたくさんいます。
映画は世界共通の言語であり、総合芸術であり、異文化理解の最良の教科書です。ですからいろんな国のいろんなジャンルの映画を上映したいのです。

また、大学の街である京都で、「京都国際学生映画祭」のように、新たな人材を育成するイベントに協力することも京都シネマの大きな役割だと思っています。学生映画も含め、映画はお客さまが映画館で見て初めて「映画」になります。DVDで見るのもいいですが、他の人と一緒に見ることで今の時代にその映画が作られた意味、今だからわかる面白さを感じていただきたい。
映画を見るために作られた場所で集中して見る。シネコンもアート系の映画館も、お互いの役割を尊重しながら、観客を奪い合うのではなく、どうすれば映画館で映画を見る人を増やせるかに、もっともっと知恵を出し合いたいです。 [次のページへ]