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おのぞみドットコム真剣な会話>フランソア2代目店長 今井 香子(2)
真剣な会話
今井香子さん

Q、創業当時は、どのようなお客さんが多かったのですか?

今は京大や立命館などを見てもわかるように、街の外れに大学が移転しましたが、当時は街中に大学がありました。ですので、学校帰りにくつろいでいかれる学生さんや先生が多かったようです。ラジオは普及していましたが、オーディオを持っている人はまだ少数でしたから、うちの店に来て、コーヒーを飲みながらクラシックを聴くというのが、一種の非日常的な娯楽だったのではないかと思います。当時、西洋音楽の代表はクラシックでした。音楽学校も非常に狭き門で、クラシックイコール高級、正統という考え方が主流だったのだと思います。新譜が入るやいなやレコード屋さんがうちに売りに来てくれて、それを仕入れ、「モーツァルトの新譜入荷」という看板を店の前に出したり、常連さんが演奏曲のタイムテーブルを作って置いたりしていました。

この店を創業した父は、絵描きを目指して美術学校へ通っていたのですが、軍国主義へと国が傾倒していくなかで、それに反発し、社会主義を啓蒙する場所として作ったのだそうです。ですからそういったテーマを自由に語り合うための場所としての意味合いもありました。思想の拠点という役割も、喫茶店にあったのです。父は、志賀直哉や武者小路実篤といった自然主義文学の作家たちに影響を受けていました。その彼ら自身もバルビゾン派という画家たちの思想を受け継いでいたのです。そのバルビゾン派の代表格が、フランソア・ミレーという画家で、この店の名前の由来はそこにあります。

Q、それに関連して、昔は「ミレー書房」という書店も併設されていたそうですね?

父が社会主義の啓蒙を進めるため、関連の書籍をロシアから直輸入し、それを舞鶴港から運んでいたのです。それらは原書で、どこにも置いていないような貴重な物でしたから、京大の教授の間に噂がかけめぐり、あっという間に人気書店になりました。しかし、やり手の店長さんが独立するにあたって店を辞め、お客さんもその店長さんについていく形になったので、結果的には2年間で店を閉じることになりました。余談ですが、その店長さんが開いた店が、三月書房です。1950年くらいのことだと思います。



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喫茶室フランソア
喫茶室フランソア


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