真剣な会話

やってみたら、どんな回り道でもそれは螺旋階段になる [ガケ書房] 店長 山下賢二さん

2004年2月、白川通りにオープンした「車がつっこんでる本屋」、『ガケ書房』。そのルーツは、音楽で意気投合した友人との「何かやろう」で始まった雑誌ハイキーンでした。やがてそれぞれの道を行き、山下さんは人の"fine"を眺めて幸せになれる、本屋のレジカウンターを居場所に選んだのでした。

Q. もとはハイキーンという雑誌を作っていたと伺ったのですが

10年くらい前なんですが、音楽好きで仲良くなった友人と、「何かやろう」ってなったんです。音楽が好きだからバンドをやろう、じゃなくて本を作ろうになったのは、普通じゃつまらないと思ったからかな。当時、自分たちが読みたい雑誌ってあまりなかったんですよ。僕が漫画を描いていたり、作文賞みたいのをもらっていたってこともあります。何か残したい、何かをしたいっていう衝動だったのかなぁと思います。あの雑誌を作っていたとき、本屋に売り込みに行くと「これは雑誌なの?写真集なの? 置く場所がわからないんだけど」とよく言われました。作ったはいいけど、売るのは大変でしたね。ちなみにそのとき作った、ハイキーンを出版する架空の出版社が『ガケ書房』だったんです。

Q.『ガケ書房』という名前はどういう意味なんですか

その頃音楽でもシブヤ系とか、「おすまし」な感じのものが流行っていたんです。知り合いが新しく作った雑誌の名前も、『ナチュラル』とかで。そういったおとなしい感じとか、英語とか、一般的になったものを崩してやりたいというか、流行りに踊らされる人の足もとをさらってやりたいというか。何となくカタカナを使おうと思って、あとはリズムで『ガケ書房』。よく、ガケを英語でロックだからですか?とか、崖っぷちのガケですか?って聞かれるんですけど、違うんです。

Q.なぜ本屋をやることになったのですか

ハイキーンを作っていたメンバーも、それぞれの道を行くようになったんです。一人はハイキーンを作ったことがきっかけで写真家になりました。僕は出版社に就職しました。出版社で働いていたときも雑誌などを作っていたんですが、その編集部が解散になって、今度は印刷所で働いたんです。その後古本屋で働いて、最後は普通の新品を売る本屋でも働いていました。結果的に、原稿を書くところから印刷して売るまで全部経験したことになるんですけどね。古本屋で働いていたときに、たまたま1号店で社員が僕だけだったんですよ。そしたら店を任せてもらっちゃって。そこで空間作りの楽しさを知ったんです。自分の価値観で本を置けるし、値段もつけられる。すごくよかったですね。

以前は、心の中でどこか何か満たされない感じがしていた頃があったんです。古書店をしている当時はヨメがなぜだかすごく幸せそうな顔をしていて、そんな顔を見ると僕もすごく幸せになれたんです。もしかして僕は、自分が幸せになることよりも、人が幸せそうにするのを見ることが幸せなんじゃないかって思ったんです。

本屋を開いて、そこに来る人の幸せそうな、心地よさそうなのをカウンターからずっと見ていたいなと。幸せな、心地いい感じを僕はよく"fine"っていいます。行き着いたのが本屋だったのは、やっぱりずっと本に関わる仕事をしてきたこともあるかな。 [次のページへ]