真剣な会話
京都五花街のひとつ、宮川町で芸舞妓の着付けを行う男衆・堀切さん。時が止まったような町並みや一見さんお断りの風習など、外部を遮断した閉鎖的な印象を持たれる花街。しかし堀切さんは男衆の仕事を軸に、映画『舞妓Haaan!!』の着付け指導や舞妓着付け屋「花風」の経営など、花街とメディアや観光客を繋げる、まさに架け橋的存在。1人歩きしている花街のイメージを訂正しながら、「本物の空気」を伝えるべく活動している。今回は、華やかな舞台を支えるお一人として「現在の花街」ついて語っていただいた。
Q.男衆さんになる前、花街や舞妓さんに特別な関心は持っていましたか?
宮川町は友達の所へ遊びに行く時の道でしたが、遊びに行く時間と花街の活動時間が違ったので、花街っぽい場面にはほとんど出くわしませんでした。たまに舞妓さんを見かけても「あぁ舞妓さんだ」というくらいで、特別な関心っていうのはなかったですね。ただ、中学では同級生の中に、舞妓になるために地方から出てきた子とかもいたんです。置屋で暮らしながら学校に通って、学校のあとはお稽古に、そして卒業したら舞妓さんに。でも同級生が遊んでいる間に、舞踊、茶道、お囃子の練習をしなければいけない訳ですから、諦めて地方へ帰ってしまう子も多かったですね。そういうのを見て、大変そうだなぁとは思っていました。
Q.特別な関心がなかった堀切さんが、男衆になるまでの経緯はどのようなものだったのでしょう?
高校を卒業後、色々な仕事をしてきました。21歳位の時には仕事についておらず、実家の洋服屋の手伝いをしていました。ある日、お茶屋さんに外商へ行った父が、女将さんから「誰か男手いないか?」言われたようで、帰ってくるなり「お前、明日から行ってこい」と。父の顔をたてるつもりで、一年だけのつもりで始めました。ただ、もともと着付けどころか着物とも全くの無縁だったので、わからないことだらけで。はじめの頃は女将さんが着付けをしているのを横で見て、帯を締める力のいる作業だけ僕がする感じでした。それから徐々に着付けを覚えていくのですが、女将さんも1〜10あるうち3くらいしか説明してくれなかったので、最初は見よう見まねです。でも「帯を締める」というのは、舞妓さんの体調や天候、その日のお座敷の数などによって締め加減の調整が必要なので、15年経った今でも毎日が試行錯誤ですよ。
Q.この世界に足を踏み入れて15年。36歳ですでにお弟子さんを育成してらっしゃいますよね。男衆という仕事は技術と体力が必要だと思いますが、何歳まで働かれるのが普通なんですか?
わかりません。というのは、以前の男衆さんとは役割が違うので、自分でどこまで出来るかは見当がつかないんですよ。昔の男衆は、着付け以外に、雑用から舞妓さんのSPまでする「花街唯一の男性」として必要とされていました。今、僕のいる宮川町は着付けオンリー。そうでなければ、男衆が少ないなか舞妓さんが増えている現状で、お座敷までの短い時間で全ての置屋をまわれませんから。ただ、昔の帯の形では短い時間で帯が崩れてしまって、維持ができなかった。合理的じゃなかったんです。僕は次の日に「昨日どうやった?」と聞いてみて、「帯が割れた」などの情報をもらったら次回から修正するようにして、自分のスタイルが完成しました。「1日着ても着崩れへんかったわ」と言われると安心します。こういう着付け専門の男衆として、自分が何歳までできるかというのはやってみないとわかりませんね。

