真剣な会話

自分たちが誇りをもって毎日1つ1つ作り上げるカバンを、多くのお客様に長い年月、愛用していただきたい。 [一澤帆布]店主 一澤信太郎さん

「一澤帆布」は、明治38年(1905年)創業の帆布を使ったカバン店。看板商品であるトートバックは大正時代から同じ型の定番製品で、今でも観光客に絶大な人気がある。そんな有名店に巻き起こった相続問題。約6年前に亡くなった信夫氏が残した遺言書をきっかけに始まった、お店の相続権争いである。兄弟間でさまざまなトラブルが起こるも、結末は長男・信太郎氏が4代目としてお店を継ぐことに。一方、今まで社長であった三男・信三郎氏は一本道を挟んだ場所に「一澤信三郎帆布」店を開店した。
今回は4代目・信太郎氏に、お店を再開するまでのお話や、お店の人気の理由、そしてこれからの「一澤帆布」についてお伺いしました。

Q. お店を継がれていかがですか

店を継いだきっかけは父の遺言です。世の父親すべてが願うように、父の何よりの念願は「息子たち3人が協力し合って一澤帆布を発展させてほしい」、ということでした。
しかし、三男の信三郎が独立しましたので、今は「一澤帆布」のデザインと製造指導を担当していた四男・喜久夫と私の二人が、代表取締役として協力し合って当店を切り盛りしています。今まで父がモットーにしてきた、「丈夫でシンプルな良い製品を作り、よそでは売らない、目の届く範囲でしか作らない、そして何年たったものでも可能な限り修理もする」や、「見られて恥ずかしいものは作るな」という精神を忘れずに、今後も一澤帆布のカバン作りを続けていきたいと思っています。そして「昨日より今日」「今日より明日」一層良い製品を、という気持ちで日々カバン作りをしています。

Q. いままでお店で販売や製造はされていない信太郎さんですが、特に問題はなかったのですか

以前は名古屋で銀行員をしてましたが、毎月2〜3回は京都に帰ってきて、店に顔を出してきましたし、また一澤帆布は昔のままの製造方法、販売方法ですので、門前の小僧のごとく、帆布のことは毎日目にしてきました。帆布のカバン屋の精神は子供のころから分かっていましたし、流れっていうのも知っていました。だからあえて当店を経営するということに特別な気はしませんでしたね。
小さいころから大学卒業までカバンやテント作りを手伝ったり、常に一澤帆布が身近にあったんですよ。

それに私は製作部門にほとんど口出しませんから。そこは大学の頃から、父に協力して製品のデザインや製作指導をしてきた四男・喜久夫に任せてます。

会社の隅から隅まで知っていないと会社の経営ができないわけではないと思います。日産のカルロス・ゴーンさんだって、ダイエーの林文子さんだって、会社のこと全部を知ってるから、会社に入られたのではないと思います。客観的に自分の会社を見る“目”というのも大切なんですよ。帆布のことをよく知らない人間が、一澤帆布をやっていけるはずがないと信三郎たちは言っていましたが、おかげさまで一澤帆布は再開後も順調に繁盛しています。ありがたいことですね。多分そんなことも考えて親父は、竹が節を作って丈夫に成長するように、と私に後を継いでほしかったのだと思います。 [次のページへ]