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真剣な会話
>[壹銭洋食]木下辰雄さん
ダシ入りのメリケン粉を薄く焼いた生地で、九条ネギ・天かす・ちくわ・卵・肉・こんにゃく・桜えびなどを包む「壹銭洋食」。もとは昭和の初めに駄菓子屋で売られていた子どものおやつで、“お好み焼きの原点”と言うべき粉ものでした。そんな「壹銭洋食」の専門店、その名も[壹銭洋食]を祗園で営む木下辰雄さんに、今回はお話をお伺いします。
祗園で生まれ育った木下さんは「京都のネギたっぷりで、文句なしにうまい昔ながらの一銭洋食をどうしても食べたい」と、30年ほど前に店を開店。店のメニューには「壹銭洋食」と「ラムネ」や「冷し飴」などの懐かしいメニューが並びます。ユニークな人形と絵馬でいっぱいのユーモラスな店は、「壹銭洋食」とともに今や京都名物。昼は制服の修学旅行生、夜は祗園で一杯やった大人たちで賑わっています。60年も前の子どものおやつを一途に作り続け、京都の名物にまで導いた木下さんに、今はなき祗園や昭和の子ども像についてお話をお聞きしました。
Q、「壹銭洋食」の店を始めようと思われたきっかけは、どのようなものだったのですか?
まず「壹銭洋食」いうんは、大正から昭和にかけて駄菓子屋や屋台の店先で売られていた、子どものおやつです。メリケン粉やソースを使った食べもんやったから“洋食”、一銭で買えたから“壹銭洋食”いうんですわ。これがおいしいてたまらんで、好きでねぇ。小さい頃、何としてでも食べたかった。せやけどお金なんて持ってません。母親のガマ口から一銭ちょろまかして、屋台まで走って買いに行きました。
それに京都の壹銭洋食には、ネギがどっさりと入っていて、格別にうまかったんです。ネギは京都の名産ですから。今は京野菜の「九条ネギ」いうて、ブランド品ですわな。えらい高う高うなってますけど、昔はネギなんて余るほどありました。大人になってから、昔ながらのネギの壹銭洋食を食べたいとおもて探しても、どこにもなかった。それなら自分で作ろかと、昔とおんなじ材料で、もちろんネギは京都のネギをつこて、小さい家の軒下で夫婦2人で焼いたんが始まりですわ。京都のネギのうまいのを食べたい一心でしたから、もうけなしで上等の材料をつこて“温故知新”の精神で、昔ながらの壹銭洋食を作りました。そしたらお客さんに人気が出て、行列ができるほど流行り出したんですわ。
Q、“温故知新”の精神で、店では具体的にどのようなことをされていますか?
壹銭洋食なら、昔そのままに、安くてええ材料をつこてうまいもんを作るということです。ネギは九条ネギですわな。ソースなら、昔ながらのウスターソースをつこうてます。今みたいに甘い甘い泥ソースとちごて、ピリ辛でサラッとしたソースです。店のメニューにもある“お古乃美焼(おこのみやき)”という当て字は女房が考えました。古いものを美味しく焼いた、という意味ですわ。
Q、「古いものを大切にしたい」という気持ちが“温故知新”の精神に込められていると思います。壹銭洋食がよく食べられていた昭和の頃、子どもとは、どのような存在だったのですか?
昔の子どもは、10人おったら10人とも鼻たれてました。何でか分かりませんわ。栄養状態が悪かったんかな。鼻を袖で拭うさかい、服の袖は鼻水でみんなピカピカです。それから5人中4人は頭に草を生やしてました。そんな時代、壹銭洋食は新聞紙に包んで売られていました。屋台で焼いたアツアツのを、そのまま直に新聞紙に包みます。新聞紙の印刷のインクが、壹銭洋食の生地に写ってました。写った文字が読めるくらいですよ。今やったら汚い、体に悪い思われるでしょうけど、当時は何てことありしませでしたわ。体が丈夫やったんちゃいますか。
子どもは、親のがま口からお金ちょろまかして屋台に行きますやろ。壹銭洋食を買って、食べながら紙芝居を見て、缶蹴りして、日が暮れたら家に帰ります。そしたらお金をちょろまかしたことがばれとるんですわ。怒られて、よう頭どつかれました。昔は家の床下に割り木を置いとって、割り木言うたら柴ですな。それでどかーんとどつかれる。あとはキセルでどつかれる。キセルが折れてしまうほど強くですよ。灸もすえられました。握りこぶしほど大きい大きいもぐさをのせられてね。
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