真剣な会話

謎こそが魅力になる。[クラブmetro]オーナー 山本辰史さん

京都で一番の老舗クラブ「メトロ」は、京阪丸太町駅の改札を抜け、2番出口から地上に出る途中にある。クラブの平均寿命は一般的に3〜5年といわれている中、駅の中という特殊な立地で16年もの間、京都の音楽シーンを引っ張っている。今まで輩出してきたアーティストは数知れない。広いハコではないし、街の中心地から離れた立地。けれど、やはりここが京都のクラブシーンの中心であることは誰の目にも明らかだ。
なぜ16年もの間このクラブ「メトロ」が飽きることなく多くの若者を魅了してきたのか、オーナーである山本氏に話を伺った。

Q. 山本さんが駅の中という場所にクラブメトロを始めるまでの経緯を教えてください。

最初は福井県の原子力発電所で働くサラリーマンだったんですが、ある時ここで働くのはもういいかと思い会社を辞めて、N.Yとジャマイカを行き来する生活を送っていました。3年後に日本に帰ってきて、すぐに三条木屋町で「ラバダブ」というジャマイカのレゲエ音楽を流して踊るダンスホールを作りました。今から21年前のことです。

それが当ったのをきっかけに、大阪でいくつかディスコやビアレストランなどのプロデュースをしたんですが、どれも結構な評判になって。そのせいですかね、ある日知人から京都でこんな場所が空いているんですが、という連絡があったんです。初めて見たときは天井が極端に低いし、やめようかなぁなんて思ったんですが、駅を歩いていくと急にクラブがあるっていうのもおもしろいと思いまして、16年前に今の場所にメトロを開きました。

Q. なぜ日本に帰ってきてクラブをやろうと思ったんですか。

会社を辞めてN.Yでアルバイトをしながら暮らしていたときに、サウスブロンクスにあるスラム街の中に歴史に名を残すような伝説のクラブに遊びに行ったんです。ブレイクダンス発祥の地ですね。そしたら車イスに乗った人がそのままクルクル回って踊ってるんですよ。そこでは他にも酔っぱらって動けなくなった僕の横で発砲事件が起こって、みんな逃げていなくなってるのに、一人動けなくて死を覚悟したこととか、衝撃的なことがいろいろあったんですが、僕はそこで自分の想像の範囲をはるかに越えた経験をしたんです。すると不思議なことに、自分の中の何かが呼び起こされるような感覚を覚えたんです。

その感覚を知って帰ってきて、日本で遊んだら全然面白くないんですよ。すべて想像のつく範囲内にこぢんまりとおさまっているというか…。突き動かされるような遊びは日本ではできなかった。それなら自分で人をインスパイアできるような遊び場をつくろうと思ったんです。
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