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今年還暦を迎えた小野さんのご自宅は、京都の鷹峯の北側の釈迦谷山の上にあります。大文字山を真正面に、市街を見下ろす高台に建てられた家のまわりには、数々の石造品や石灯籠が並びます。そして玄関前には、立派な枝垂れ桜が客人を出迎えるように立ち、その枝を風になびかせていました。
小野さんは元をたどれば、平安時代の小野篁(妹子の六世・参議・遣唐使)につながる家系で38代目にあたるそうです。祖父の代までは代々、皇居に勤め御所の近くに住んでいましたが、祖父が医者を開業する際に先祖の土地を手放すことになり、この地に屋敷を建て移り住みました。ところがこの地には偶然ながら、遠祖の篁の土地であったのです。小野一族にゆかりのこの山の裏には小野道風神社があります。また篁の命日に私が生まれたのも不思議な縁と思っています。
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Q、なぜ庭師という職業に就こうと思ったのですか?
木や花は自然を感じさせるとともに、人の思いや、物語を宿しますね。この自宅の桜の木を幼少の頃から見ていたからだと思います。
この桜の木は、祖父が病床にあった祖母を慰めるために植えた木です。祖父は東北大学の医学部を卒業と同時に仙台で知り合った祖母と結婚しようとしたのですが、田舎娘は京都の士族の家にはふさわしくないということだったのでしょう。それでも強硬に結婚した祖父は勘当同然となってしまい、生活のために軍医になり、祖母と生まれた子(私の父など)と共に戦地や朝鮮に赴任して祖母には苦労をかけたそうです。
やがて京都の親も亡くなり、帰郷した祖父に病にふせていた祖母が「あなたと一緒になって苦労が多かったけれど、知り合った頃に見た桜の木が今でも目に浮かぶ」といったそうです。「京都の御所の桜が運ばれて植えられたという桜の木の前で、京都に今度は私が行くのだと思った」と話す祖母を、祖父は可哀想に思ったのでしょう。すぐに仙台から桜の木を取り寄せて植えたのです。60年も前のことです。
Q、庭師とはどういった仕事なのでしょうか?
「寸庭(すんてい)」という言葉をご存じでしょうか。これは、私の尊敬する庭師である佐野旦斎が、晩年残した言葉です。寸庭とは、小庭や坪庭も含みますが、大きな庭も寸庭の集合であって、その中のどの一寸四方も重要であるという創作思想を表すのです。
庭は、大きさだけでなく、一寸(ちょっと)した工夫で場所や費用に関わらず造ることが出来るのです。どんなに小さなスペースであっても創作するには十分です。庭を造るスペースを小さな宇宙として見たて、つくり手の自分は、鳥のように上から眺めるのです。
表面ばかりを見繕うのではなくて、庭造りで大切なのは、地下までも気を配って造ることです。雨が降ってもちゃんと水がはけるだろうか、植物の根が曲がって植わっていないか。目に見える部分よりも、目には見えない部分の方が、実は重要なのです。
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