真剣な会話
京友禅の染屋として大正8年(1919年)に創業された亀田富染工場。着物需要の低下で平成に入ってからは洋服の染めに転向するも、美しい京友禅の柄を伝承したいと、2001年に京友禅アロハシャツ・カットソーのブランド「PAGONG」を立ち上げた。実はハワイの日系移民にルーツを持つアロハシャツ。蔵に眠る数千にも及ぶ着物図案から選んだ小幅の柄をひとつひとつ忠実に洋服用の広幅に書き起こすため、毎年10柄程度しか新しく復刻することができない。柄は配色を現代風にアレンジし、先代からの5人の染め職人が丁寧に染め上げる。北は札幌から南は鹿児島まで、期間限定で次々と展開する今となっても、アロハシャツからキャミソール、小物まで、デザイナーではなくすべて全社員で考えて作っているのだから驚きである。
今回は亀田富染工場3代目の亀田和明さんに、ものづくりの精神についてお話をうかがった。
Q. PAGONGができるまで苦労があったと聞きましたが、どういった経緯があったのですか
29歳頃に会社を継いだ当時はまだ着物の需要も多く、社員も60人ほどおりました。昭和が終わる頃から着物の受注が急激に減り、経営が厳しくなってきたんです。なんとか売れるものは作れないかと社内でアイデアを出し合い、おみやげ物を染めて売って回ったり、カーペットやカーテンなど本当に何でも染めてみました。結局どれだけ自分たちの中で最高と思えるものが出来ても、「一体それどこで売るの?」みたいなものばっかりで、何をやってもうまくいかないという時期でしたね。
Q.アロハシャツを染めることになったきっかけはなんだったのですか
平成から洋服の染めを始めましたが、指定のデザインで指定の色を染めるというもので、下請けのような感じでした。その頃蔵で昔の友禅の柄を見つけて、やっぱり昔の柄は綺麗だし発色も違うと感じました。それで2001年に自分で着ようと思って、友禅の柄で1枚だけアロハシャツを作って、何気なしに鴨川の夏祭りに着ていったんです。それが派手で、かなり目立ってね。会社に帰って社員にそう言ったら、「世間には目立ちたがり屋さんがいっぱいおられるのちゃうか」ということになって、友禅の柄で洋服を作ろうとなったのがきっかけなんです。調べるうちに、アロハシャツのルーツが京都にあることが分かりました。ハワイの日系移民が着物をほどいて仕立て直したものがアロハシャツやったんです。染め屋に洋服のことはわかりませんが、アロハシャツはパターンも簡単で、じゃあアロハシャツを作ろうということに。アロハは女の子は着ないという女性社員の声で、キャミソールやタンクトップも作ることになりました。[次のページへ]

