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抜群のコントロールで、いくつもの球を手品のようにポケットに落とす曲球と言われるビリヤードショットの第一人者。40年以上のビリヤードのキャリアを持ち、コーラ瓶の上に乗った球を落とす「木村ショット」、球にあたったコインがコップの中に入る「コインショット」など、オリジナルの曲球を200種類近く考案。日本やアメリカのテレビ番組にも多数出演しています。
京都では、40年以上の歴史を誇る老舗のビリヤード場[白ばら]を経営。常連や後進への指導はもちろん、初心者や一見客にも親切に指導、頼まれれば曲球も披露してくれます。一体何のために、これほど多くの曲球を考案したのか。お話を聞いてきました。
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Q、木村さんが、ビリヤードを始めたきっかけは何だったのですか?
最初のきっかけは、職場にビリヤードのテーブルがあったことです。私の時代は進駐軍が来ていましてね。死んだ親父が「これからの時代は英語覚えなあかん」と言いまして、進駐軍の宿舎で働いていたんです。そこの娯楽室にこのテーブルが置いてあったんです。それまでは、ビリヤードなんて見たこともなかった。
最初に見た時の印象は、ちょっとは面白そうやなという感じです。本格的にやろうという気はなかった。なんか、難しそうに見えてね。アメリカ人がやっているのを見て、こういう遊びもあるんや程度に思っていました。
最初は特に誰に教えてもらったということもなく、暇つぶしに見よう見まねでやっていたわけです。全くの我流で始めました。最初はアメリカ兵相手に、撞きました。全然相手にならなかったのを覚えてますね。でも3年半ほどおりましたので、特に研究したわけでもないけれど、自然と上達してきました。この頃は、ただ目の前の球を落とすだけみたいな感じでした。ビリヤードが深い競技であるとは、まだまだわからなかった時代ですね。
Q、ビリヤードや曲球を極めようと思ったきっかけは何だったんですか?
しばらくビリヤードから離れていたんです。というのも、私が勤めて3年半後に、進駐軍がみんなアメリカへ帰ってしまいました。もちろん私も失業です。その後、知人の御世話で印刷会社で働くようになりました。そこでサラリーマンを17年間やっていましたが、その間、ビリヤードをほとんどしていませんでした。ところが、ある時偶然、会社の上司がビリヤードをするという話があって、「それだったら私もやったことがある」ということになったんです。これがビリヤードを再開したきっかけですね。その上司がいなかったら、私は今ビリヤードをやってなかったかもしれない…。それからは、一人でビリヤード場に行って常連さんと友達になり、お互いに切磋琢磨したり、トーナメントに出て自分の腕を試したりしていました。その時から、どんどんはまっていったんですね。トーナメントの内閣総理大臣杯では、5位入賞を果たしたこともあります。
Q、なぜ[白ばら]を経営するようになったのですか?
僕が、ここのお店に通っていたんですよ。いわゆるホームグランドみたいな感じで。実は前のオーナーは、僕の親戚にあたるんです。その人から「もう歳やし引退するから、後を継いでほしい」という話がありまして。ちょうど僕が50歳のときですね。その時は、ビリヤードにはまっていたので二つ返事で引き受けました。そして、店を継ぐと同時に、さっそくプロテスト受けて、ビリヤードのプロになったんです。
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