真剣な会話

テキスタイルデザインと人生、大切なのはレピートすることで生まれてくるリズム  [SOU・SOU]テキスタイルデザイナー 脇阪克二さん

京都生まれのテキスタイルデザイナー脇阪克二さん。24歳でフィンランドに渡り、飛び込みで世界的なブランドであるマリメッコに入社、1968年から1976年の8年間活躍。中でも車をモチーフにしたポップなテキスタイル「Bo Boo」は大人気となり、マリメッコのクラシックコレクションになっている。1976年から1985年まではニューヨークのラーセン社に所属。帰国後もワコールのインテリアファブリックやマリメッコのファブリックコレクションを発表。現在は「SOU・SOU」のテキスタイルデザインのほか雑誌の表紙や絵本の絵、2005年から京都造形芸術大学染織コースで客員教授もしている。
今回は京都の仕事場兼ご自宅にお邪魔して、過去のテキスタイルも見せていただきながら海外での経験、人生観などについてお話をうかがった。

Q.テキスタイルデザイナーになられたきっかけはなんだったのでしょうか

彫金師だった父の影響もあり、ものをつくる職業につくのだろうと漠然と思っていて、京都の美術学校を出ました。グラフィックデザインが好きでしたが、仕事が無くて、伊藤忠商事繊維意匠課でアシスタントとして2年間働きました。でもやっぱりデザインがしたくて、当時京都に多かったテキスタイルデザインスタジオに入り、毎日朝から晩までテキスタイルデザインを描く生活をしました。

Q.フィンランドに行ったのはなぜですか

スタジオで3年働くうちにもっと全力でぶつかれる仕事がしたくなって、「外国に行けば何かあるかな?」と思ったんです。マリメッコに自分のデザインを持っていったところ社長に見てもらえて、1ヶ月無給で働いて、採用してもらえることになったんです。マリメッコの自由で大胆で鮮やかな色彩のデザインは世界的に注目を浴びていました。独自のライフスタイルまで持っていたブランドは他にありませんでした。フィンランドは基本的に驚くほど変化の無い国で、フィンランド人は生活に必要最低限のものしか求めない。外側からの刺激ではなく内面の変化を求めて生きています。森の中に独りポツンと生きているような精神構造。周りの刺激があってこそ生きている日本人とは全く違う。マリメッコは僕に「こういうものを作れ」とは言わなかった。ただ“Be yourself”と。マリメッコのようなブランドが生まれるのは、個人が孤独な作業を通して、自分自身を突き詰めていった結果ではないでしょうか。人の奥底にある大事なものが開花して、世界に通じる本物になるのでしょう。

Q.その後ニューヨークへ行かれたのはなぜでしょうか

8年も変化の無い国にいたら退屈になって、また飛び込みでインテリアファブリックのラーセン社に入れてもらいました。9年居た後、子供が日本語を話せなくなっていたので帰国したんです。僕は外国では無理していたと思います。アメリカでは「自分が世界一のデザイナーだ」と思わないとやっていけないし、それって日本人は苦手。日本人はみんな職人気質です。根本的にはお金よりも、自分の技が認められるために仕事に全力を尽くします。

外国で暮らし、仕事したことで日本の良さがよくわかったし、日本に居るほうが自分らしく居られると感じたのが根本的な帰国のきっかけです。[次のページへ]