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おのぞみドットコム真剣な会話>[雲母漬老舗 穂野出] 田辺正さん(1)
真剣な会話
田辺正さん


一乗寺にある漬物屋の[穂野出]は、創業が元禄年間の老舗です。親指の大きさぐらいの小茄子に、白味噌をあえた雲母漬(きららづけ)という独自の漬物を、創業時の製法を守りながら販売しています。

穂野出では支店を出さないのはもちろん、地方発送などもせず、店を訪れた人にだけに漬物を売るというスタイルを守り続けています。また、売り方だけでなく試食の方法にも独自の方法を貫いています。

300年近く、伝統を守り続けるためにはどうすればよいのか。[穂野出]のご主人にお話を伺ってきました。




Q、穂野出を経営されている田辺家は、かなり歴史の古い家だと聞きましたが…

私の代で12代目になりますが、もともと私の祖先は、太閤豊臣秀吉に仕えていたと聞いています。浪人となった後、元禄年間(1688〜1703)に鷲尾家という公家に仕えました。鷲尾家は、一乗寺に家領を有し、当家にその管理をさせていたようです。納米の用務や時には家臣として宮中出仕もしていたといわれています。

店の売り場にもなっているこの民家は、文化財に指定されています。その他にも、鷲尾家や御所からいただいた貴重な資料がたくさん残されています。後醍醐天皇の『親翰七巻』、吉川英治の宮本武蔵でも登場する沢庵和尚の『沢庵禅師之渇望書』、『一休和尚之書』など多数の文化財、美術品を保有しています。

私の父親の頃までは無料で公開して、皆さんに見ていただいていました。ですがお客さんが沢山訪れるようになって、私の代からは本業の漬物にも差し障りが出るので公開せず、今は大事に保管しています。




Q、雲母漬けの漬物はどのようにして生まれたのでしょうか?

店の前の坂道は、雲母坂(きららさか)と言って、比叡山の頂上まで続いています。このへんの山は、雲母(うんも)というキラキラ光る鉱石が大変多く含まれていることから、雲母坂という名前が付いたと言われています。京都の中心部から比叡山を目指した人は、みんなこの雲母坂を登って行きました。その時に、私たちの店でお茶うけとして出した漬物が、茄子の周りに白味噌をあわせた雲母漬だったのです。急な坂道に挑む前の一服として、大変好評を得たと聞きます。以来、300年近くこの地で、雲母漬で商いをしています。

Q、これだけ長く続いたのには、何か秘訣があるのでしょうか?

商売を長く続けるには、コツがあります。それは、商売を大きくしないことです。他のお漬物屋さんのように千枚漬けやすぐきなど、他の漬物はほとんどありません。雲母漬けの他にしば漬があるぐらいです。商売を大きくしたら、いつかは家が潰れます。逆に小さい店は永く続くんです。何でも大きくなってしまったら、潰れてしまうもんなんです。私たちがここまで続いたのも、小さくやっているから潰れなかったんだと思っています。

それと同時に、いい味を維持しようと思ったら、大勢でよってたかって工場みたいに作っても駄目なんです。漬物っていうのは田舎のおばあさんが、小屋でちょこっと漬けるようなものが一番おいしいんですから。

私たちの店では、支店はもちろん出していませんし、地方発送もしていません。地方発送をしないのは、店を大きくしないという理由以外にも、本来の雲母漬の味を味わって欲しいという気持ちがあるからです。やっぱり雲母漬というのは、この一乗寺の田園風景を見ながら雲母坂を一生懸命歩いてきた方が、味わうものだと思っているからなんです。時には、以前ここで買ったお客さんが、送ってくれと電話でおっしゃられる事もあります。けど、そうしたら雲母漬じゃなくなってしまうんです。

土産というのは、土の産と書くのだから、京都に来たら京都にしかないものが土産やと思うんです。雲母坂に来たら雲母坂にしかないのが、ここの土産です。京都駅にある土産は東京駅にも福岡駅にもなんぼでもあるじゃないですか。そこにいって買ってくる土産がほんまの土産です。東京や九州からせっかく京都へ来て土産を買っても、自分の地元に帰ってきて同じものが売ってたらガッカリするじゃないですか。「そこに行かないと買えない」それこそが雲母漬のええとこなんです。


 
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