真剣な会話
鳥ガラベースの醤油スープではなく、豚骨・鶏ガラと野菜を煮込み白濁しとろみのついたスープ、小麦が香るストレート麺ではなく、縮れ卵麺と「京都ラーメン」から大きく外れたラーメンを出す「東龍」は、「異端児」と呼ばれながらいつしか不動の人気を築き、その存在は開店から6年目にしてもはや横綱級。かつて和食の道を志した主人のつくるラーメンは「料理」と呼べる域だ。2005年にオープンした「一神堂」も含め、京都ラーメン界で常に注目を浴び続ける森本氏は一体どんな思いで一杯のラーメンに向き合っているのか。
Q. まず、森本さんがなぜ和食の道に進まれたのかを教えてください
僕の実家は滋賀で民宿をしていたんです。自分のとこで米や野菜を作ってて、ニワトリもいて川で魚をとって、それをお客さんに出すっていう自給自足みたいな商売をしていました。お客さんも季節の旬の料理を楽しみにやってくる。小さいときからその手伝いをしていたのと、和食の料理人の、無駄がない立ち振る舞いが好きだったことから、高校卒業後は迷うことなく和食の道に進みました。
Q.その和食の世界からラーメンの世界に飛びこんだのはなぜですか?
和食の世界には10年ほど身を置いたんですが、和食の世界は格調高い店であればあるほど店の味の再現というのを求められるんですよね。それよりも自分を表現できる料理を作りたいという思いが強くなっていったんです。ラーメンを選んだのは、一杯にすべての情熱と思いが込められていて、なおかつそれが一食として満足できるものであるいうところに魅力を感じたからですね。一杯の勝負というのに魅かれたんです。また、自分を表現できる味をつくりたかった僕にとって、うどんやそばと違い、ラーメンと呼ばれるものの定義が広かったのも良かった。「俺がつくるんだからまずいわけがない」というささやかな自信もあって始めたんですが、実際やりはじめてから最初の一年は本当に辛かったですね。お客さんが本当にこない。今思えば僕の出していたラーメンもとにかくひどかったと思いますよ。舌が和食の舌になってしまっていましたから、にゅうめんのような、そばのような…ラーメンに必要な脂気やコクというのがまるでなかった。一度来たお客さんは二度と来なかったです(笑)それでも「必ず旨いものをつくってやる!」って改良に改良を重ねて、ある日「旨い!」って心から思うものができたんです。それからは順調にお客さんも増えていきました。その時出していたラーメンが、今東龍で出しているものの原型になっています。 [次のページへ]

