2008年2月12日

「無鄰庵(むりんあん)に行ってきた!」

2月中旬。雨の降りしきる中、メリとピエールは無鄰庵に行ってきました。
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ピエール:
うわー、のどかな風景だね。
手前にはこんもりとした芝生、静かに流れる小川があって、はるか向こうには東山。

メリ
いま向こうに見えている東山のように、
庭園の外の風景を、庭を形成する背景として取り込むことを借景というの。
造園技法の一つで日本庭園や中国庭園でよく用いられるんだよ。

無鄰庵は、明治27~29年に山県有朋(やまがたありとも)が造らせた別荘。
山県有朋は明治期に第3代と第9代の総理大臣になった現・山口県出身の政治家だよ。

その大半を占める庭園は有朋自らの設計・監督により造園家・小川治兵衛(おがわじへえ)(7代目)が作庭したものなんだ。

建物は母屋、洋館、茶室の3棟。
洋館の2階は明治36年に日露開戦直前の日本の外交方針を決める「無鄰庵会議」が開かれたことでも有名だよ。


山県有朋、政友会総裁の伊藤博文、総理大臣の桂太郎、外務大臣の小村寿太郎の4人によって話し合われたの。



2階のその部屋には格天井、椅子、テーブルなどが当時のままに残されているよ。

ピエール:
歴史的にも重要な場所なんだね。



庭園のいちばん東の奥には、岩を使って小さな滝が造られているね。

メリ:
近くを流れている琵琶湖疎水から水を取り入れているの。

ピエール:
先週見てきた重森三玲の枯山水もとても見ごたえがあったけれど、
こちらのような水や緑がたくさんある日本庭園も、違った魅力があるね。




見ていると心が落ち着くっていうのかな。

メリ:
池を庭の中心としたものを池泉(ちせん)庭園というの。
先週見てきた枯山水よりも歴史が古く、日本庭園の始まりはこの様式が一般的だったの。

ピエール:
そうなんだ!
日本庭園について、もっと知りたくなってきたな。

メリ:
じゃあ、明日は日本庭園の歴史について話すね。

ピエール:
セ・ボン!
楽しみにしてるよ。またね!

(Text by 冬木 明里)
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