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おのぞみドットコム
>昭和・平成、音故知新>「火曜ワイドショー」
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“死んだはずだよおとみさん〜♪生きていたとはお釈迦様でも〜♪”…ザ★火曜ワイドショーのはじまりはじまり〜。
ギター片手にキリンビールとおまけのグラス、どうもどうもと現れたるは、細身のノスタルジック昭和ガール、野村麻紀。戦前戦後、父さん母さん手拍子うった、唄は歌謡の数々を、がつがつ腹へと消化して、四天王寺の唄者かなわぬ唄いっぷり。ぷりぷりの威勢良い唄声だから、この際マイクナシで聴きたいものだ。幼い面影を声に残した嫌いはあるが、ある瞬間、純粋に“この人すごい”、とさせるのだった。
だから耳に残って消えないのだ。ライブ後、初めて聴いた曲をメロディーはもとより歌詞まで記憶して、さらに歌えるなんて私にはまずないことで…口ずさんでいるのに気づいた時は驚いた。それを“歌謡曲はわかりやすいから”ということで片付けられないものがある。
そのものとは、彼女の存在感に尽きる。彼女だから記憶に残る、と言ってもいい。単純に私が尊敬するアーティストだから引き合いに出すけれど、例えばギタリストのCharさんが圧巻プレイを見せてもまじですごいと思うけど、ライブ後、どんなリフだったかを第三者に話すことはできない。どうして野村麻紀なら記憶に残るのだろうか。
野村麻紀は、自分の才能にまだ気づいていないということがポイントになると思う。“こんなのでいいのかしら??”と思いながらも“でもこれが好きだし…”と唄っている。てらいがないのだ。そんな風に一見キュートな昭和ラバーが、ある瞬間だけ、こっちの腰がすくむような力を放つ。
てらいがないこととある瞬間限定で力を放つことが、思わずうれしくなるほどの可能性を感じさせ、恐しいほど感動させる。これが、今の野村麻紀という人の存在感だ。そして記憶に残るんだ。
「小鳥」「十字路」「街角チュルリ」「雨はいたずら」…どれも聴いていて本気でうれしくなった。ニヤニヤしている私を隣の男性は不審そうに見ていたが、どうぞ見てくれても構いましぇん。
余談で締めくくるけど、私は自分の普通さに時々嫌気が差す。エセでも、もう少し音楽関係者っぽく洗練された目つきや風貌になれないかと。でも野村麻紀を見ていたら、こんな自分でもOK!な気がしてきた。彼女はホント、普通の女の子なのだ。それが、好きなことをすることで普通から脱皮する。そういうキラキラした瞬間を見ると、決めるとこ決めといたら素敵になれる気がしてきた。ありがとう、野村麻紀。そしてこれからも聴かせとくれよ〜。
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