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おのぞみドットコム >昭和・平成、音故知新>『ぼくが死んでこの世を去る日』 CD発売記念ツアー  |  これはたぶん、過去に見たライブ史上最大の事件。中川五郎という人物を、まあるくこそっと掬いとれたような気にさせた。
中川五郎さんは、’49年に大阪で生まれた。アメリカのフォーク・ソングに憧れ、’60年代半ばにミュージシャンとなった。私(23歳)のお父さんくらいならよく知ってるかな?「受験生ブルース」とか「主婦のブルース」を歌っていたんだけど。’78年以降にアルバムを出してからは文筆活動に重心をおいてきた五郎さんだが、今年春、レーベル[offnote]から26年ぶりにアルバムをリリースした。
『ぼくが死んでこの世を去る日』。過去を振り返るものでもなく、今の若者に提言するものでもない。例えば、もし、百年先にこのアルバムを聴いた人がいたら、「ああ、この世には中川五郎という人が確かに生きていたのだな」と、何か物凄い説得力をともなってその存在を感じるに違いないアルバムだ。
ただ生きているだけで、言葉が舌の上を滑って浮かんでいく。その言葉はこまめに書き留められて、この1枚のアルバムにおさまった。もとの鞘に戻った、という感じで、まさに五郎さんが生きている証となった。
五郎さんは、1曲1曲に、解説をつけながら歌ってくれる。「こういう出来事があってね」と、やさしい口調で、ゆっくりと、微笑みながら話す五郎さん。曲からは、五郎さんの素顔がそのまま透けて見える。
多くのミュージシャンにおいては、その曲を聴いても素顔まで知ることができないと、私は思う。心痛や誰かを愛する気持ちをどれだけ真摯に歌っても。音楽という一つのカテゴリーの中では、気持ちは表現になってしまう。けれども、五郎さんの場合は違う。それが私にとって物凄く衝撃的なことだった。
生きていると日々いろいろな出来事がある。そのひとつひとつの出来事が、五郎さんのフィルターを通して詩となる。「日常を切り取ったような音楽」などという(私にとって)浮ついた言葉で濁すことはできないものがそこにできあがる。その時私は、「もうこれは音楽ではないんだな」、と思い知った。日常は日常でしかあり得ない。日常をフィルムに描いても、それはフィルムでしかないのと同様に。その時、五郎さんのただ日常が、そこにあった。
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