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自分の仕事をつきつめるのも楽しい。
だけど、感動できるのは人と接してこそ。
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 お仕事は?
基本的にバンドさんとのコミュニケーションと音をお客さんに届けるという。
バンドにとってはソレが本番。今まで積み重ねてきたものを、その日のうちに出してあげることができるのか不思議です。
いつもどおりにやりたいバンドは、リハをちゃんとやりたいと言わはるんで、リハーサルの段階でちゃんと詰められるんですけどね。初めてでリハもなくて、ぶっつけ本番っていう、ゆるいバンドもいて。「はじめてだけどまかせます」みたいなね。
どんなバンドでも音響っていうのは絶対に通らないといけないじゃないですか。音響って、人間のセンスが絶対に加わってくるんですよね。そこで、自分たち(バンド)の世界に合わしてもらうっていうバンドと、もしくはもっと違う音も入れてみたいっていうバンドがいるんですね。積極的っていう言い方は変かもしれないけど、「音響がどんな音出すんかみてやろう」みたいにバンド側が思うっていう。何だか知らないけどリバーブをありえないくらいかけてくる音響でも、それが自分たちの感性にないものだったら、かえってそれがおもしろかったりするみたいで。そういう時は、ライブのあとで「楽しかったよー」って言ってもらえることもあるし、僕が「ごめんなさい」って謝ることもあるし(笑)。「ごめんなさい」ってする時は、よっぽど仲の良いバンドですけどね。
ぶっつけ本番の時は、僕の方もすごくドキドキしますね。やっぱり知らないし、リハもやってないし、どうなんねやろかって。でも、緊張もするけどおもしろいっていう感じで、スリリングですよ。
リハをすれば、どうやってしていけばいいかな、っていうだいたいの感触がわかって、本番ではさらにプラスαしてもっといいものにして出すみたいな感じなんですけどね。バンドによっては、当日までに音源を渡してくれて、こっちが聴いてっていう双方の事前の努力があるんでね。その分バンドの世界観にも合わせることができるし、僕も「こうしたらおもしろいかもしれない」って意見言ったりできますよね。反対に、リハがないっていうことは、デメリットな面も多いと思います。でも、そんなことは気にしないで、今を楽しもうってお互い思えるのがいいなあとも思いますね。
リハという短い時間の中で、バンドがどんな感じなのか掴むっていうのは、瞬時にバンドの魅力を見つけ出して、それを引き出すことができるということですよね。これは、誰かから習うというよりも、まったくの感覚だと思うんですよ。
掴むのは感覚です。で、ほんとの感覚っていうか「こうしたい」っていうのは、バンドさんがちゃんと持っていて。僕がわかったつもりでやった感覚上の作業を、バンドさんは実際につまみを動かすとかっていう実質的な部分で意見を言うてきはる時もあります。僕が「こんんな感じじゃないですか?」っていう意見を一回出して、バンドさんが「実質的にはこうして、技術的には作業をしてください」って言うてきはることもありますね。僕たちは、技術的なところと、感覚的なところで仕事をしています。こういうのは、経験で学んでいくしかないですね。あとは、音楽をどれだけ多く聴いてるかとか、どれだけ多くの音楽を好き嫌いなく自分の中に入れていられるかっていうことです。そうやって自分の中に蓄えた音楽から、いろいろな音の出し方を知っていくっていう。僕はそんな風に思っていますね。やっぱ一番大事なのは経験ですかね。
僕がこの仕事で生活をしていこうと思ったのは、3年ぐらい前だったと思います。今でもやっぱり自信がない部分がありますよ。私生活で嫌なことがあれば、それが仕事に微妙に響いてね(笑)。なるべく出さない努力はしていますが、やっぱり弱いところがあって。そして迷いが生じたり。何がいいかどうかわからなくなった時は、やっぱり経験がものをいうと思います。僕はPAやり始めてまだ3年なので経験もないですが。わからなくなった時は、気持ちの持っていき方が大事だと思います。それはもう、その時だけでいいから自己暗示をかけて自信を持ってするってことですね。これは毎日の仕事っぷりにかかってるかなと。

高校生の頃から、地元の公民館で舞台の設営をしていたんですね。特に照明が好きでした。僕ね、新劇が好きだったんですよ。僕は鳥取が出身地なんですけど、そこの公民館に片桐ハイリが一人で来はって。その舞台を見て、「こういう世界で生きたいな」っていうのを思いました。高校生の頃、何でもいいから何かを見つけたいって思ってて。そういう時にたまたますごい珍しいものが来て、飛びついたみたいなところはあったと思いますね。僕は自分で舞台をするよりも、どっちかって言うと表より裏の方がやりたいタイプです。あまり人と接するのも好きじゃなかったですしね。苦手でしたし。技術というフィルターを通して人としゃべるのは好きだったんですけどね。
舞台のどういうところがよかったのですか?
舞台は一つの異空間じゃないですか。芝居が終わって外に出れば、いつもの生活にみんな戻っていくわけやし。何か、その空間を作っているというのがおもしろいですね。あとは、「手に職をつける」っていうのにすごい憧れてて(笑)。それに舞台が合っていたんですね。学校が休みの間は、手伝いに行ったりしました。音響はその頃大嫌いでした!重たいし、ケーブルいっぱいやし、何が楽しいんだろうって。第一、目に見えない。照明は華やかだし、芝居をやってる人たちっていうのは、ステージのセンターでピンスポットって一番憧れるじゃないですか。お客で見てても、それってかっこいいなって思うし。照明は一瞬で雰囲気変えるし、とっつきやすかったですね。音響は大嫌いでした(笑)。

PAの仕事をするまでは、ここ(カフェ アンデパンダン)でキッチンしてました(笑)。僕は音楽の専門学校で、めちゃくちゃ不真面目な学生で、留年してたくらいで(笑)。一応音響学科で入ったのですが、大道具を運んだり進行役を学んだりして。でもほとんどサボってました(笑)。友達ばっかりつくっていましたね。根が怠け者なんで(笑)。勉強っていう行為があまり好きじゃなかったですね。先生とも仲良くしとけばよかったって思ったこともありましたけど。
卒業してから、大阪から京都にやって来ました。大阪は居心地が悪かったですね。専門学校行ってた頃は、将来について不安だったし。すごい逃げたいっていうのもあったし、かといって地元に帰るのもっていう(笑)。で、何となく京都を選んだという。その頃は、食べていけたらいいかなというくらいにしか思ってなかったですね。
アンデパンダンに入らせてもらってから、ちょくちょく音響をやるようになりました。その頃、アンデパンダンがちょこちょこライブするようになって。あの頃はピアノひいてたくらいなので、バーみたいな感覚でしたね。マイクも2本くらいしかなかったし、スピーカーもちゃんとしたものなかったし。限られてましたね。
別に音響やりたいわけじゃなかったんです。店長から「じゃあお前やれや」って言われた感じですね(笑)。仕事やり始めの頃は、仕事があることがうれしいですよね。だから引き受けました。何となくやっているうちに、「ここをいじればこういう音が出せるんだ」とか、おもしろさを見つけていきました。わかるようなわかんないような感覚でやってて、でも全然わかってませんでしたね。やってるうちにバンドとか呼ぶようになって、ちゃんとしたライブハウスの形を取っていったので、あちこちのライブハウスに、機材を借りてくるようになりました。けどこれじゃあかんということで、たくさん買ってもらいましたね。

音響はあまり興味がなかったとおっしゃっていましたが、どうして一生懸命やるようになったのですか?
僕の場合はスッと入ってきましたね。機材を借りたりするうちに、いろいろなハコでPAやってはる人とのつながりができたんですね。その人たちと知り合って、「ちゃんとやろう」と思いました。それまでは、二束のわらじやったんで。
片手でフライパン持ってて、片手では音響やっててっていう状況の時に、その人たちが音響の仕事をしに来はったんですね。その仕事っぷりを見た時に、「ちゃんとやろう」って思ったんです。ぶっちゃけ言うと、「この人たちと一緒におりたい」と思いました。「この人たちみたいな仕事をやりたい」と思いました。音響にはそれからスッと入りました。
それに、もともと音楽が好きだったので、二束のわらじが何となくイヤだったんですね。まだ20代前半だったし、このままなのかな…まあ別にいいけど、って何とかなるだろうという意識はありましたけど、どっちにも責任を果たしていない気持ちがあったんです。
みなさんの仕事を見ていて、どんなところで感動したのですか?
いろいろな作業一つ一つに、感動したんですけど(笑)。僕がやってる作業と変わらなかったんですけどね。極端に言えば、線をつなぐのも誰でもできるじゃないですか。別の仕事で言っても、フライパンは誰でも振れますよね。だけど、キッチンに立ってるプロの人たちはそれで感動させてるわけだから。何ていうか、その場の何か大きな流れに感動しちゃって(笑)。作業の合間に言ってはる言葉とか、雰囲気とかが、ちゃんとイベントって言うものに取り組んでいる感じがしたんです。それで感動したんです。
ちゃんとしようと思ってから、努力をしてきたことはありますか?
他の人から努力に見えても、僕は努力とかいう意識はないですよ。何か不具合があったら、プライベートでもずっと考えたりとか、休みもここに来てたりしますが、それは僕が自然にやってるんですよ。「やりたい」っていう気持ちが引っ張っていると思います。
仕事をしてきて、学んだことを教えてください。
人との接し方具合ですかね。あぁ、努力という部分ではそこを意識して変えていきましたね。もとがネクラだということは自分でもよくわかっていて(笑)、どうにかしようと思っていたので。ネクラなりにできることをしていこうと。人をよく見たりもします。バンドさんを見て「どんな音がいいんだろう?」とかね。でもそんなに細かく見てるわけじゃないですよ。僕は、大雑把で怠け者なので(笑)。
自分が変わったところはありますか?
音楽やってる人って魅力的な人が多くて。そういう人たちの価値観とか、世界観とかに接しられて、いろいろな価値観が世の中にあるということがわかりました。ネクラだった分、向こう見ずなところがあるじゃないですか。僕は昔からそれを直したいと思っていて。いろいろある価値観を自分の中に取り込むっていうわけじゃないけど、いろいろな答えがあって、時と場合によっては違うっていうことを発見したのが、この頃うれしかったことですね。そしていろいろな人と接することで、視野が広がった。これもうれしいです。技術的な面ではあまりないですね。それはやってたら自然に身につくものですし。まだまだ視野が広い部分や、狭い部分があるから、まだ足りない部分もいっぱいあるんですけど。ま、27歳にしてはちょうどいい具合かなと思っています(笑)。
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