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藤田 功博
(おのぞみドットコム
編集長) |
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【4月26日】
毎日暮らしていると、いろんなものを見かけます。
仕事で打ち合わせにいくと、クライアントの企画担当(女性)が、ガムをかみながら出てきました。
先週の木曜日、昼食を食べたマクドナルドの帰り、今まさにピンポンダッシュをしようとする子どもを見かけました。度胸と躊躇のはざまで緊張するその子は、道を渡るわけでもないのにやけにキョロキョロしていて、明らかに挙動不審。あぁ昔は自分もそう見られてたんやなぁと懐かしくなりました。青春の発露。
そして今日、なか卯で親子丼を食べていると、BGMにとんねるずの「ガラガラヘビがやってくる」が流れていました。客の多い土曜の午後になんとナイスな選曲をするんやと、なか卯がますます好きになりました。次の曲は大事MANブラザーズバンドの「それが大事」でした。恋は遠い日の花火ではない。
もうみんな、2千円札のことを忘れつつありますよね。
こないだ友達が待ち合わせに遅れたので、電話したら、「ちょっと待って、血液型選手権見てから出るからっ!」と電話がきれました。2位だったそうです。
こないだ東京に行って、エスカレーターに乗っていたら、後ろから舌打ちが聞こえました。あちらの国では急いでる人は右なんですね。すいませんヨソもんで。
運動会で一位になったやつって、なんで「俺本気で走ってなかったけどな」って言うんやろう。絶対マジやったやん。
あるいは、負けそうになってるのに「そろそろ本気出すか」って言う人いますよね。
東京行きの道中の新幹線。隣の夫婦は、阪神百貨店で売ってる「必勝タイガース弁当」を食べ、缶ビールを飲んでいました。食べ終わると靴を脱ぎ、デイリースポーツを読み始めました。わがままし放題やなと思って本を読んでいたのですが、ふと静かになったので横を見てみると、ゆるみきった顔でお昼寝。さすが 大阪人。
「私、おいしいものに興味あります」と言っていた新スタッフが、実はジャンキーでした。
昼間、仏光寺をうめつくしているハトはどこで寝ているのか。
クルマに「バカ」というひっかき傷をつけられたが半泣きで友達に愚痴ると、「文字はダメだよね」と言われたらしい。傷だけならいいんですか。
うさぎはかわいい顔をして、自分のフンを食べるそうです。
なんで満員のエレベーターでは、思わず息を止めてしまうのでしょう。
すごく久しぶりに昔の恋人を見ると、頭の奥でBGMが流れ出すのはなぜでしょう。
すいません、くだらないことを書きまして。最後にもうちょっときちっとしたこと書きます。
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みなさん、毎日おのぞみドットコムをごらんいただき、ありがとうございます。最近は更新が滞りがちで、せっかくお越しいただいたのにおもてなしができず、心苦しい限りです。
しかし、5月下旬くらいからは、新しいサービスなどを続々リリースいたしますので、もうしばらくお待ちください。
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【3月24日】
編集長日記 特別編
おのぞみドットコム編集長は体調不良のため、ピンチヒッターとして雑誌「ミーツ・リージョナル」編集長の江 弘毅さんにお越しいただきました。日本の、世界の誰も書けない、熱のこもった街論をお楽しみください。
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幸運にも、『ミーツ』を中心に20年近く街の雑誌を編集してきたので、大阪のミナミという街が、どのように動いてきたかを現在進行形で見つめてきた。
とくに「アメリカ村」および「南船場」「堀江」については97年〜00年にかけて弊誌に連載された、日限萬里子さんのコラム「ママいるぅ?」と、03年1月増刊号『日限萬里子と大阪ミナミの30年』の取材・編集を通じて深く知ることになった。
70年代初頭から80年代にかけて新しい街として「分節され」、もはや中高の修学旅行生でも賑わう街になった大阪ミナミの「アメリカ村」。かつてのミナミと完全に一線を画す、若者風俗〜文化軸を持つこの新しい街は、地元・三津寺出身の日限萬里子さんが、1969年それまでほとんど「何もなかった」三角公園前に、「自分たちが行きたい店がないからつくった」。それが『ループ』という小さなカフェで「何でこんなところに」と皆は驚いたそうだが、アメリカ村の全てはこの店から始まった。
アメリカ村は、ミナミの中心部として一番賑わっていた心斎橋筋から、大阪の中心地を南北に貫く道幅40メートルという広い御堂筋を西に越えた「近くて遠い」エリアである。この昭和12年に完成した御堂筋は、江戸時代からの東西軸が中心の町割である大阪を完全に分断し、新たな南北軸を造り上げるようになった。けれどもアメリカ村が出来て、心斎橋周辺のミナミは初めて御堂筋を超えた。それはアメリカ村誕生でミナミそれ自体が増殖するように、ミナミ自体を広げたといえるだろう。
現在も「2週間経つと街が変わっている」状態で、依然として「ネクストな街」なポテンシャルをもつ堀江は、アメリカ村からさらに四つ橋筋を西に渡ったところに位置する。住所表記では中央区ではなく、もう西区である。
堀江はここ数年、東京資本のブティックが並ぶようになった立花通り(元々旧い家具屋が並ぶ専門商店街だった)を除いて、今も公園が点在する住宅地であり、デザインや設計関係のオフィスが多い。そんな「人の住む街」としての気配がこの界隈の魅力でもある。
そしてこの街も、もう50代半ばを超えた日限萬里子さんが98年、空間デザイナー・間宮吉彦の設計による『ミュゼ大阪』をオープンさせたことで、新しい街としての形成を決定づけた。
オレは企業家とか都市プロデューサーとかではない彼ら「ミナミの街人」の足跡をさぐり直すことで「街とは何か」を考え続けてきた。
その際に日限萬里子さんが店を出し、それが新しい街としての種子となり、事後的に新たな街として分節されたアメリカ村、堀江という街において、次の点がとても街的に大切な観点だと思う。
それは行政による再開発や鉄道会社の駅ターミナル造成、はたまたショッピングモールやファッションビルなどが建って、それが引き金となって出来た類の街とは全く違った「仕方」で出来てきた、という点だ。
つまり「資本による街づくり」とは全くといっていいほど無縁である、ということでもあり、デベロッパーだとか、都市計画を仕事にしている人や街づくりのプロデューサのような人が、導線計画をしランドマークをつくり…で「こしらえた街」では決してないのである。
>>続く
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【2月22日】
編集長のラーメン日記
「お金で買えないものはない」と豪語するライブドアの堀江社長が、ニッポン放送の株を一気に40パーセント強も買い付けました。半数の株を買えばニッポン放送というラジオ局はライブドアの子会社になります。
経済における資本の論理はシンプルです。株を多く持つものがその経営において権力をもち、経営者は資本家である株主に対して最大限のリターンを提供するべく汗をかく、と。
アメリカではよく行われる、やや強引な企業買収も、日本ではあまり例がありません。そのせいかこの一連の買収作戦がけっこう大きな騒動になっています。
前例があまりないようなショッキングな出来事が起きたとき、日本のマスメディアや、昔ながらの思考法を取る人々は、それを「問題」としてとらえようとします。目の前の状況が何らかの「問題」なのであり、その当事者についてあれこれ言ったり、「今後どうしたらいいのか」を考えたりしています。原因と対策というやつを模索するわけですね。
政治家たちは「メディアが簡単に買収されたりしないような法律」を作ろうとしたり、「時間外取引であまり多数の株を購入できないようにする法律」を作ろうとし、マスコミは面白おかしくこのニュースを味付けします。
経団連という、大企業の組合の長である奥田という人にいたっては、
「ライブドアの堀江貴文社長は、フジサンケイグループを立て直そうという純粋な気持ちなのか、金もうけのためなのか、動機をはっきりさせる必要がある」「あの人の弱点は、金さえあれば何でもできるというような不道徳な本を出していることだ」
などと発言していますが、いずれも耳を疑う発言です。まず前者は、「グループを立て直す」ことと「金もうけ」を二項対立というか、答えをどちらかに限定している時点でズレています。グループを立て直すことで株主へ収益をもたらし、そしてそれがめぐってライブドアの利益(金もうけ)になるわけです。どちらか、というか、どちらも、なわけです。
この奥田という人が会長を務めるトヨタという会社も、以前に大量のリストラを行ったことがあります。何千億もの利益を出している時にすら。これはすなわち、株主優先の思考法に他なりません。「グループを立て直そうという気持ちなのか、金もうけのためなのか」ではなく、彼自身も二匹のどじょうを追いかけたわけです。
後者の発言は、いらぬおせっかいというやつです。いち企業の経営者が、どんなマインドで経営に望もうが、他の経営者が口出しする権利はありません。淘汰されるべき企業は消費者および株主が淘汰するのであって、経団連会長ともあろうものが、行き過ぎたおせっかいをする必要はないわけです。
ちょっと強引な手法を取っただけで、経済界のトップともあろうものが敏感に反応してしまうあたり、「騒ぎになるのは誰かのせいだ」「責任者に説明させろ!」という思考法がどれだけ根強いかがわかります。でもこれって子どものリアクションですよね。
何か騒ぎが起きても、誰のせいでもなく、誰が悪いわけではない状況というのがあると思うのです。原因というのを何かに押し付けて、それで気分すっきり、というのは人間の悪いくせなのかもしれません。何かのせいにしていても、何も進まないということもあるでしょう。
「なんかようわからんけど、まぁそういうこともあるわな」というような反応は、居心地が悪くて、飲み込みの悪い感じがしますが、人の気持ちや行動の幅が複雑になっていく世の中では、これこそが一番大切なことなんじゃないかと思います。赤か白か、善か悪か、得か損か、そういう二項対立から離れてみると、思いもよらない視界が開けたりするもんだと思うのです。
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【1月25日】
最近考えていること
先日、「カジカジ」の編集長と会う機会がありました。カジカジというのはストリートファッションを紹介する関西ローカルの雑誌である。彼はなんと「コ
ミーツ」のファンという方で、コミーツのデザインを手伝っていた疋田さんと知り合い、そのツテで僕に会いたいと連絡をくれたのである。
コミーツというのは、2年ほど前に京阪神エルマガジン社から出た雑誌で、ミーツがオトナにむけた情報なのに対して、「オトナになりきれてない自分らが、おもろいと思うことで一冊つくれ」というコンセプトで生まれた雑誌である。
ミーツの編集長・江さんの「お前らやれ」というゴーサインで始まったこの雑誌は、銭湯やらインタビューやら(いま思えば中島らもや優勝前の阪神の八木、秋山晶など相当センスのよい人選であった)ケータイがらみのエッセイやら、当時20歳前後の編集者のタマゴ、いや厳密には20歳前後のシロウト集団が集まって作ったのである。文字通りノリだけで作った雑誌であり、オトナに面倒を見てもらいながら、尻拭いもしてもらいながらようやく完成したのである。
江さんはじめエルマガジン社の方々、企画をしてくれた博報堂のTさんには今でも感謝している。なぜならそのときの中心メンバーが、うちの会社の立ち上げスタッフになったからである。その後のメンバーは、お金をためて社長になったのが2人、エルマガのスタッフになったのが2人、講談社へ1人、アパレルが1人、院生が2人、レコード会社が1人、残りのスタッフも編集まわりの仕事をしている。かっこよく言えば、コミーツを作った僕らは、仕事というものの原点がコミーツなのである。今後5年間の間に、各界をにぎわすであろう「僕ら」の原点がコミーツなのである。
さて話がそれたが、このコミーツは、コンセプトもへったくれもない「わけのわからん一冊」に仕上がったわけである。そしてカジカジの編集長はなぜかそれを読んで「これだ」とピンときたそうである。
カジカジ編集長・原さんの言葉は続く。
「僕から見たら、今の若い世代はわけわからん感じなんですよね。でも、絶対に今の世代なりのコミュニケーションの方法ってのはあるんやと思ってるんです。それが何なのか、話の中で見えてこないかなって思ったんです。きっと僕らがやってる方法となんか違う方法があるんちゃうかなと。」
「コミーツを作る人たちがファッション誌作ったら、どんな感じになるのかなぁって思ったりするんですよ。今の若い世代が、どういうところに興味関心があるんだろうって」
「なんか最近、『僕らができることは何やろう』って思うんですよね。昔みたいに黒が流行るって書いたら黒が流行ったり、ひとつのファッションスタイルをみんなが取り入れるって時代は終わったように思うんですよ。それは広告主も感じていて、そういう反響の見えにくくなってきたなかで、何をしたらいいんやろうって思うんです」
「東京で30歳くらいだと、やっと買える服があって、それを着て憧れのあのバーへ行って、みたいなことがあるんですけど、関西だとオカン(妻)に財布をにぎられてなかなか難しいみたいですね。スーツにはお金かけるけど、休日はジャージとかユニクロとか。」
いま、雑誌が売れなくなっている。あるいは、読者へ声が届きにくくなっている。それに対して、世の中の編集者(編集長)はとても苦労している。
にもかかわらず、新雑誌の創刊が相次いでいる。
ネットやケータイ全盛のいま、「伝えたいメッセージをどのように伝えるか」ということが問われている。もちろん答えはないが、読者へのコミュニケーションを徹底的に考える必要がある。そのことを理解せずに、ページ構成やデザイナーを変えて新雑誌を作っても同じ悩みを生むだけだろう。
街の話を書いた本を、どのようにしたらお金を出して買ってもらえるのだろうか?
とても悩みながら、4月に発売する3冊目の書籍をつくっています。
P.S
おのぞみドットコムでインターンシップを開催します。ひとつめは「大学本をつくろうプロジェクト」。まぎれもない「仕事」なので、出版業界に興味のある大学生は、きっと得るものが大きいと思います。
今週には、あともうひとつのインターンシップのお知らせをアップするので、そちらもチェックしてみてください。
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【1月5日】
2005年に乾杯。
新年あけましておめでとうございます。昨年はおのぞみドットコムをご覧いただき、ありがとうございました。今年もいろいろと楽しいネタを掲載していきますのでどうかよろしくお願いいたします。
編集長をしているとつねに、「おもしろい記事」ってどんなものなのか?ということを考えます。
自分たちが面白いと思っても読んでもらえないもの。
自分たちが面白いと思い、読者にも喜んでもらえるもの。
自分たちが面白くないと思い、読者に喜んでもらえないもの。
自分たちが面白くないと思うが、読者には喜んでもらえるもの。
「読者」と一口に言ってもマスコミュニケーションでは顔が見えないため、アクセス数を見ていたり、人気のある記事からその姿を想定するしかありません。そして、「自分が面白いと思うものは、きっと読み手も面白いと思ってくれるはずだ」と信じて書いていくしか方法がありません。
「おもろいネタ」のことを「コンテンツ」と言ったり、目次を「インデックス」とか言ったりすると、その本質が見えなくなるような気がしています。blogが流行していますがこのブームがどこへ向かっているのかもよくわかりません。blogはあくまで日記であって、それ以上でもそれ以下でもないように思っているので、ここにビジネスチャンスがあると言われてもあまりピンとこない部分があります。Webサイトではできないことで、blogでできることを見つける必要があるのでしょう。
そもそも、「情報を得る」という言葉が意味するのはどのようなことなのでしょうか。これだけメディアが乱立(新雑誌の創刊も相次いでいます)し、多すぎるとも言える情報が氾濫するなかで、なぜさらに情報を欲するのでしょうか。
それは何かしらの「分からないこと」について知りたいからではないか、というのが今の考えです。情報を得ることによって何かが分かるということは、言い換えれば不確実である状態がより確実なものに変わるということです。すなわち、情報とは不確実性
(Uncertainty)を減少させてくれるものです。天気予報や株価予測のようなものだけではなく、「どこへ行けばおいしいものを食べられるのか」とか、「どこで買えば一番安いのか」とかそういったものです。
情報に対するニーズを支えているのは、「情報を手に入れる事で何か得をするのではないか」「情報を手に入れないと、何か損をするのではないか」といった気分のように思います。そういう気分に支えられているからこそ、終わりなく情報が欲しくなるのではないでしょうか。このことがいいとかわるいとか言っているのではなく、そういうものだと思うのです。
しかし難しいのは、情報の受け手自身が「何を知りたいかを知らない場合が多い」ことなのです。
だからこそ、
自分たちが面白いと思っても読んでもらえないもの。
自分たちが面白いと思い、読者にも喜んでもらえるもの。
自分たちが面白くないと思い、読者に喜んでもらえないもの。
自分たちが面白くないと思うが、読者には喜んでもらえるもの。
これらをどう考えればいいのかという悩みに舞い戻って来るわけです。世の中の人は「楽しそうでいいねぇ」と言ってくださいますが、これはこれでなかなか難しい仕事です。何も考えず食べ放題とかラブホの情報取材するのは簡単でいいんですが、それもなぁ、という感じなのです。
というわけで、あれこれ考えながらも2005年は新しい企画をお届けしていきますので、どうかよろしくお願いいたします。
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【12月17日】
それっぽく振り返る2004年
現実社会の問題をじっくり考えてみよう、と毎回意気込んでいるこのコラムですが、今回の出番が年内最後ということで、ならばちょっと1年を振り返りつつふわふわしてみるのもいいかなと思いました。
思い返してみれば、今年もいろんなことがありました。年明けから「京都らしいものの現在」という書籍作りに追われ、夏にはアテネオリンピックによる睡眠不足に悩まされながらもある大型サイトの制作をし、それと並行して2冊目となる書籍「京都みやげを買う前に」を完成させました。取材先のおっちゃんやおばちゃん、書店の方々、取材してくださったメディアの方、そして仕事をくださったクライアントの方など、今年も本当に多くの人と出会い、学ばせてもらいました。
学校にいる間は、先生や親の言うことに従っていれば、少なからず成長することができます。しかし大人になると、先生は自分で見つける必要が出てきます。僕のやっている情報編集という仕事は、日々たくさんの人と出会い、何らかの会話をするわけですが、そこから得るもの、勉強になることがたくさんあるのです。当たり前の話ですが、他人とは知性や経験や考え方に「差」があり、その差がどのようなものなのかを見つめることが、自分の成長の指針になる気がします。京都には料理人や職人など、一芸に秀で、かつ考え方も相当深い人が多くいるので、そういう人たちと話をしていると、つくづく考えさせられることが多いです。
1つのことで頭がいっぱいなのに、あの人はいくつものプロジェクトを並行して進めている。それはなぜ?どうしたらそうなれるのか?あの人のしゃべりはなぜかいつも面白い。どういう工夫があるのだろうか?不況に苦しむ店が多い中で、何店も支店を出す店のオーナーはどういうところに目をつけているのだろう?などというようなことがたくさんあります。そのような人たちと自分との差を冷静に評価し、その差がどこから来ているのか、どうやったらその差をうめることができるのかを考えることが成長につながるのではないかと思います。「どうせ俺なんて無理」「がんばったって私にはできない」とか、そういう投げやりではどこへも行けないんですよね。あげくのはてには「やる気ないから」と現実から逃げる人もいます。
社会経験を積めば積むほど、大学生ってコドモやなと思います。自分が大学生やった時には自分がコドモだという客観視をできなかったのが不思議なくらい。彼らの多くはまだ、同質性の海の中で居心地の良さを求めているように見えます。自分とあまり差のない他人とコミュニティを形成しているわけです。しかし、自分とは明らかに目指す方法の異なる他者、思考を共有できない他人と、なんとかうまくやっていくような経験や、あるいはそういう人と出会うこと自体が、自分を成長させてくれます。だからもっと世の中に出て行って、大人と関わりを持つべきだし、あるいは学生ベンチャーのようなものがどんどん出てくればいいと思います。(なぜなら学生ベンチャーのほとんどは「大人」の能力を過小評価(あるいは自分たちの能力を過大評価)しており、いつかのタイミングで「げ、世の中のおっさんらもけっこうやりよるな」ということに気づき、愕然とすることになるからです。そしてビジネスにおけるそういう経験こそが成長には欠かせないのです)。自己分析は社会の大人との関わりによって始めて可能になるのであり、机の上で完結するものでは決してないんですよね。
銭湯で頭を洗っていたら突然隣のツンツルテンのおっちゃんに明日の競馬の話されたとか、飲み屋にいたら「ぼうや、お酒は好きなん?」と言っておばちゃんが近寄ってきた、とか、素性の知れない相手ともなんとかコミュニケーションができる力があれば、就職の面接の対策なんて何もいらないと思うのです。
やや話題がそれました。僕自身、今年の仕事を振り返ってみると数々の失敗をし、イライラしたり行き詰ったり悔やんだことが思い出されます。どこかしら物事を甘く考えていたところがあって、それが失敗につながりました。ビジネスの世界は、自分が会社を始めるにあたって想像していたよりもはるかにシビアな世界だということが今さらながらわかったし、アイデアレベルの企画がうまくいくことはほとんどないのだなと改めて感じました。「これでうまくいくやろう」「まぁなんとかなるやろう」では必ず失敗するということなのです。選択と集中という言葉がある通り、自分が本当に自信を持って勝負できるところを見つけ、そこに時間とエネルギーを投入しないと、この厳しい世の中で仕事を続けていくのは本当に難しいのだと痛感しました。成功の可能性よりも、失敗のリスクを常に見つめておく必要があるのだと感じました。
この間、高校生の時の友達5人で集まって飲み会をしたのですが、2人が公認会計士になり、1人が塾講師になり、1人は医者になり、そして僕は経営者になりました。みんな着々と自分の道を歩み始めていて、この先はどんどん道が細くなる代わりに、仕事上の能力を着実に身につけ、それぞれのプロフェッショナルを目指すんやなと思うとワクワクしたし、刺激になりました。高校の時はおんなじようなことを考えて、おんなじゲームで遊んでいたけれど、それぞれ全然違うことをしている今の方がお互い刺激になるんやなと思いました。
幸いにして、僕には若くて力のある仲間がいて、会社という場所があって、まだたっぷりの時間があります。これはとても幸せなことだと最近思います。試行錯誤を続けた2年間で、会社を経営すること、組織を動かしていくことに関して、かなりの勉強ができました。来年は、今まで温め続けていたいくつものアイデアを具体化し、この京都という場所で思う存分力を発揮する年にしようと考えています。
以上のような様々な考えにたどりつけた2004年の経験は、とても大切なものだったように思います。
いま、おのぞみドットコム編集部では来年に向け、掲示板の設置や通販企画「おのぞみショッピング(仮)」、秘密のプロジェクトも含めて、あっと驚くような企画をいくつも用意しています。ひとつひとつに関して入念に企画し、楽しんでもらえるようなものにしていくつもりです。忙しい日々ですから、毎日とはいかなくとも、ちょっと時間ができたとき、このサイトをのぞいてみてください。お越しくださるあなたのために、少しずつ少しずつ、読み物を増やし、楽しみを増やしておきますので。
それでは、早めのご挨拶ではございますが、今年もおのぞみドットコムをご覧いただき、ありがとうございました。来年もぜひご愛読くださいませ。
P.S
ベンチャー企業ゆえの人手不足が最近深刻です。企画もできて文章の書ける方、大歓迎です。インターン、アルバイト、契約社員など、形態問わず募集しています。
興味のある方は、詳しい情報をお送りしますので、 work@onozomi.com(担当:藤田)までご連絡ください。
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【11月19日】
シリーズ 日本の未来を考える Vol.2
2004年8月号の「ミーツ」という雑誌に、次のような質問が掲載されたことがある。質問はやや長い。
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若い人とこの仕事を一緒にしていると、「オマエら、ほんまにやる気あるんか」ということがよくあり、それを問いつめたりするのですが、確かにやる気がないというわけではない。やる気の対象というものがはっきり見えていない、そしてその仕事自体のそれをすることによって何を目指すのかのリンクが外れている。仕事も恋愛も結婚も遊びも・・・も、前を向いて、快活に、「いろいろあるけど、バリバリとやっていこうじゃないか」と思えないところに、この時代のしんどさがある。そこがしんどいのはそもそもなぜなのか?
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【10月23日】
「シリーズ 日本の未来を考える Vol.1」
京都大学の法学部にいたが、現実の社会問題を解決したいという思いから、京都府立大の大学院に通っている友人がいる。先日、その友人と喫茶店で話をし
た。彼の研究のテーマは少年非行で、非行問題では、その現実をふまえて「では一体何が問題なのか?」という議論や分析がなされるのだという。たとえばバ
タフライナイフを常にポケットに入れて歩いていたり、校舎の裏でタバコを吸う少年少女がいたとする。彼らのやっていることは非合法なことなので、一応問
題なわけである。ではその「問題」の原因はどこにあるのかということを分析する必要が出てくる。
彼らを注意できない大人なのか?
きっちり教育できない学校なのか?
それとも子どもと向き合えない親なのか?
幼児期のしつけをできなかった幼稚園なのか?
悪い見本を見せた友達や先輩なのか?
困ることに、状況はそれぞれにあって、理由もそれぞれにあるから、どうしても対処は個別的なものになる。原因の分析結果もなかなか一般化しずらい。
というようなことを彼は言っていた。
僕の考えでは、少年非行も引きこもりも、就職をあきらめているフリーターの増加も、原因の根本は1つだと思っている。それは当事者が、社会という外的環
境(ソト)を「敵」だととらえることである。自分と対等にコミュニケーションしてくれる人間の輪だけを「ウチ」ととらえ、その輪の外にあるものを、自ら
の敵としてとらえることである。輪の外の世界が、自分を圧迫してくる。押しつぶそうとする。傷つけようとする。そう感じて、より輪の中にいようとする。
そういった思考が上記の状況を引き起こすのではないだろうか。
ソトに対して、グループを組んで反発する状況が非行であるし、反発できずに自分が傷ついてしまい、親さえも敵だと思ってしまうと、自分の部屋に引きこも
るようになる。会社という、貴重な時間を捧げる場所に違和感を感じたり、面接官が自分の人生を審判する圧力のように感じると、就職なんていいや、気楽に
バイトしてればいいやという考えになる。
自分が属するコミュニティを愛せないし、ましてや圧迫を感じてしまう。自分が既に大人なのに、その自覚がなく、大人とコミュニケーションができない。
(どこかに甘えがある)
そういったことが、現代でマイナスと受け止められている事象を引き起こしているのだと思う。
「誰だって落ち込む時はあるよ、そんな時は誰だって立ち止まればいいよ」ってことなんだろうけど、問題はなぜ自分の部屋から出られないほど精神的に圧迫
されたり、簡単に就職をあきらめてしまうのかということである。
それはひとえに、「自分の意見は通したいけれど、他人の都合上そうもいかないし、しょうがないからあきらめる」といったような、「何とか折り合いをつけ
て、そこそこの満足でがまんする」ということができなくなってきているからである。電車で化粧、喫茶店でケータイなど、その兆候は街のいたるところに見
える。
自分の枠を押し広げようとするのに必死で、そこで他人とぶつかると、それが単なるストレスとなるのである。他人と衝突しながらも、自分のポジションを探
したり、イライラしながらもコミュニケーションしながらうまくやっていく、ということができなくなってきているのである。とかく自己満足だけを追求する
人間が多すぎる。チームプレイとか、みんなで力を合わせてとかいったような、全体思考ってもう古いんだろうか?
これから僕の番になった時は、真剣に今後の世の中を考えることにします。
P.S
この秋、おのぞみドットコムでは「学生街の食べ方」や「酒のさしすせそ」、「新しもの好きがゆく」など人気企画のリニューアルや、出版プロジェクトの第
2弾「京都みやげを買う前に」の特設ページなど、続々と新企画が登場します。毎日とはいかないまでも、時々のぞいてくださるとうれしいです
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【9月24日】
愛と情熱のあいだ
こんにちは。タイトルに深い意味はありません。さて発売以来、好評をいただいている「京都らしいもの現在」。いま実はその続編を制作していて目の回るような忙しさです。1作目でわかったことや知ったことを活かし、さらにグレードアップした1冊になる予定ですのでお楽しみにお待ちください。発売は10月下旬の予定です。今日は、その中から予告編をお届けします。
「いけずいけずと言いなさんな」
京都の人や店がイケズだという声は多いが、そういうことを言う人は過去にきっと京都の人や店に何かを期待しすぎて、裏切られた経験のある人だろうと思う。知っておかないといけないのは、ある程度年齢のいった京都の人や店は、会長だからとか近所の人であるとか老舗であるとか金持ちであるとか観光客であるとかいったような、何らかの記号だけで相手を判断しないのが普通だということだ。
京都人からしてみれば、首からカメラをぶらさげていたりガイドブックを丸めて持っていれば、あるいは「すいません」のイントネーションを聞いただけで地元の人間でないことはすぐにわかる。だからといって特別やさしい対応をするわけでもないし、店の場合であればメニューに載ってる「鹿ヶ谷かぼちゃ」や「ぐじ」というのが何なのか、「きずしは寿司じゃないよ」とか「かぶら蒸しってもんはね」なんて解説するというようなこともない。
きっとそういう、甘えや期待と違うことが起きた場合に、「イケズされた」と感じることが多いのであろう。あるいは、東京のお偉いさんだと、肩書きのついた名刺を渡したのに「そうどすか、社長さんどすか。毎度おおきに。」とあっさりした対応をされると肩透かしを食らったような気分になり「京都の人間は冷たいなぁ」となるのだろう。申し訳ないが、これは京都の人間が長い間培ってきたコミュニケーションの方法なのである。
将軍が悪だくみをしていたり、老舗の呉服屋の旦那でもウソつきで有名だったり、お寺の坊主たちが祇園で女遊びにふけっていたりといった歴史的経験や噂から、人を地位や身分で単純に判断するのは意味のないことだという知恵を身につけているのだ。京都を旅する、あるいは京都に暮らすとなった時には、店や人に期待しすぎない方がいい。何かをしてもらおうと考えないほうがいい。その方が確実にコミュニケーションは上手くいくだろう。
「一見さんお断り」の裏側
以前お茶屋の女将さんに、お客さんからの舞妓さんや芸妓さんの予約が重なった場合はどうするのか聞いたことがある。あるお客さんがすでに舞妓さんを予約しているところへ、長年の常連さんが同じ時間にその舞妓さんを予約しようとしたらどうするのですか、やはり店との付き合いの長さで決まってくるんですか、と。すると女将さんは、「それはもうどんな場合でも単純に早いもん勝ちですわなぁ。そういう納得できるルールやないと断れませんもんなぁ。」と意外な答えを返してくれたのを覚えている。
お茶屋に限らず、料亭でも割烹でも「すんまへんなぁ、その日はもういっぱいですねん。またたのんます。」と料理長が電話で話しているのを食事中に聞くことがある。つまり商売かどうかにかかわらず、なじみの古参も一期一会の客も、客である以上は平等に扱うということである。だからこそ、きちんと前もって予約をすれば、ほとんどの店の扉は開かれるし、席は用意されるのである。たとえそれが「一見さんお断り」の店であったとしても、一見であるがどうしても行ってみたいことを前もって伝えれば入れる店が多い。
一見さんお断りというのはやんわりと断るためのエクスキューズであったり、新参の客のふるまいを見極めるためのテストとして機能しているものなのである。くれぐれも店に甘えたり(「観光客だから」とか「初めてなんでよくわかりません」とか)、何かを期待しすぎてはいけない。店と自分の視線の高さを同じにし、距離感に気を配ることだ。
店に何かをしてもらうのでも、何かをしてあげるのでもないような関係でいることだ。ちょっと通い詰めたからといってカウンターで常連ぶったり、あるいはそういう空気を出そうとするのが京都では一番カッコ悪いふるまいであることを忘れてはいけない。他の客とあなたが対等だとすれば、他の客に嫌がられる行為がもっともやってはいけないことなのである。それさえわかれば、京都の店や人との付き合いはうまくいくだろう。
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【8月5日】
「いま目の前で起きていること」
不特定多数の人が読むという理由や、営業上のさまざまなしがらみなどで、blogやWebサイト、雑誌では「本当に書きたいこと」が書けない場合が多い。それは僕だけではなく、文章を書く事を仕事としている人がほとんど背負っているジレンマだ。
たとえば、今は小さな会社の社長だから、いつどこで誰とどんな話をして、次はどんなプロジェクトがあるかなんてことをある程度明らかにしながら書くことができる。たとえば、先日ある会社の歓送迎会に参加したことや、そこで話した内容などを、僕は自由に書くことができる。飲み会になるとやっぱりその人の違う一面とか知らなかった一面がわかるから、それについてもこの会社のこの人はこんな感じでした、なんていう風にある程度は書くこともできる。
しかし、会社が大きくなって、上場したりすれば、そんな自由も制限されてくる。インサイダー取引につながるような内部情報の公開は、証券取引法で禁止されているからだ。
Webサイトや雑誌など、不特定多数に発信するマスメディアでは、明白なジレンマとして、広告主の悪口や、広告主の気分を害するような記事は書けない(放送できない)。また、取材させてくれた店の悪い部分を書くわけにもいかない。
「松阪牛の最高の部分を使って煮込んだビーフシチューは、期待を裏切る味。シェフの腕がちょっと鈍ったような気がして悲しかった(人気店だから浮かれちゃった?)。コースのみ1人1万3千円〜だけど奮発する価値はあんまりないかも」
なんてことは絶対書けない。だから方法として、
1,ほんまにええ店を選ぶ、そして書く
2,悪い点をおぎなって余りある良さを見つけて書く
ということになる。ひとまず今まではそうやってきたのだと思う。
しかし情報があふれるいま、そしてちょうちん記事があふれるいま、読者はメディアがかかえるそういったジレンマを見抜き、メディアに対して何らかの不信感を抱いている。不信感というか、ほとんど期待しなくなってるんちゃうかと思ったりもする。
影響力を持つメディアが、「実は書きたいことが全て書けるわけではない」ことを見抜いているのである。
メディアに書いてあることはウソ偽りのない真実であることを知った上で、しかしその真実はごく限られた一面でしかないことを知っているのである。当たり前といえば当たり前のことに、気づいている人が増えているのである。
「どうせうわべのいいことばっかり書いてるんでしょ?ホンンネは書いてないんでしょ?」
こういう人たちが、メディアから離れていっているのだ。そして今、グルメ系のblogやメルマガ、Webサイトが注目されているのは、そういう流れを加速させているのである。
店にも広告スポンサーにも無縁のポジションにいる一般の人が、店に行って感想を書く。いいところも悪いところも、ありのままに書く。文章の質ではなく、そういった中身の部分に読者は惹かれ、それを好んで読むようになってきている。いいところばかりではなく悪いところも感想として書くところに、リアルさのようなものを感じ取っているのである。
ウラの一面も書くことでオモテの面の真実性が増す、というようなことがあるのかもしれない。「あいつはええヤツやで」と言うのと、「あいつはウソつきやけど、ええヤツやで」と言うのとだと後者の方の説得力があるのと同じである。
さらに、個人のblogやWebサイトの場合は、書き手の属性がオープンになっていることが多い。性別や年齢層、ふだんの暮らしぶりや事件の受け止め方など、書き手のことがかなり明らかになっているのである。それも信憑性を増すことにつながっているのだろう。
裏を返せば、読者は、雑誌や書籍の記事よりも一般の人が書いたblogの方を信用するようになってきているということである。そちらに親近感を得て、参考にしているということだ。これはマスメディアが迎えている大きな危機なのではないだろうかと考えている。
こういう現状を考えれば、雑誌や書籍はその信用性を取り戻すところから始める必要がある。やっぱり雑誌っていいな、やっぱり書籍って必要やな、ありがたいなって思ってもらえるところまで立ち位置を戻していかないといけない。でないとそもそも、お金を払って買ってもらえない。
親しみのある「語り手」となることで、読者からの信用を得て、そして書いた内容を楽しんでもらえること。そのためには入念な下調べと、丁寧な取材と、語り手の思いが必要である。部数の多い雑誌で、いまだに無記名の記事があるのは本当に時代錯誤である。新聞や雑誌は、オール記名制、ページの最後にライターの顔写真一覧にしてもいいくらいである。大規模な流通ルートに乗せて言葉を発信する意味の大きさを、制作者が改めて確認することから始めるべきなのだ。
信用を築くためのコミュニケーションの第一歩、それはやっぱり名前を名乗ることだと思うのである。
そうやって「きちんとした挨拶」ができたら、次は内容である。信用してもらえるためには、できるだけありのままに企画をし、取材をし、書いていくことしかない。京都=おんなの一人旅 みたいなうわっつらのイメージ記事を書くことや、ふだんほとんど買わないような「高級なおつかいもん」特集をすることは自分で自分の首を絞めることに気づかないといけない。店を泣かせて自分だけが得するようなクーポン雑誌ってどうなんだろうか。
グルメblog・メルマガ・Webサイトに限らず、「素人ブーム」=一般ライターの書き物に対する人気ぶりは、書き物を仕事にしている人間なら切実に考えるべき問題だろう。
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【6月19日】
『東京と運動』
「え?」
テイクアウトピザの店のカウンターで、ピンクと灰色が縦じまになった制服を着たその女性スタッフが聞き返した。
「えっと、ポテトを付けてください」
僕は同じ言葉を繰り返す。アクセントはテ。ポテト。
「え?」
店員はまた聞き取れなかった。そして次の瞬間、僕はここが東京・赤坂であることに気づいた。
「すいません。ポテトを付けてください」
アクセントをポにしてみた。ポテト。
「ありがとうございまぁす。ワンポテトプリーズ!」
そうか、この街ではミヤコの言葉が通じないのか。そう思うとちょっと悲しくなった。その後も電車の中で「それはあかんやろ〜、どないなってんにゃな!ちゃんとやらなアカンやん!」とでも声を大きくしようものなら、四方八方からの視線を浴びる始末。ミヤコの言葉はそんなに違和感ありますかね?
というわけで、東京出張に行ってきました。5月末に発売した「京都らしいものの現在」の営業のためです。京都のさまざまな書店で売れ行き好調とのニュースを聞き、さらには通信販売へもたくさんのご注文をいただき、これなら全国できっと売れる、と意気込みつつ行ってまいりました。
六本木ヒルズで映画を見たり、銀座で「山崎の18年」を飲んだり、丸ビルでとんかつを食べたりとなかなか実り多く(もちろん体も実っちゃいました)、訪問した書店さんからの評判もなかなかでした。今後は九州、北陸へも営業をして、7月からは全国での発売を目指します。
ちなみにブックファースト四条大宮店では、「今週の売り上げランキング」の3位にランクインしたそうです。(ちなみに4位は「バカの壁」。)みなさんもぜひ立ち読みしてみてくださいね。
江戸の話はそれくらいにして、最近思ったことを。
接戦を勝ち抜いてアテネ行きを決めた女子バレー。それに対して男子バレーは、フルセットの試合をことごとく落とし、出場権を逃してしまいました。
「あともうちょっとだったのに」。
テレビのアナウンサーや新聞の評論家はたいていそう言いました。でもね、僕は違うと思うんです。スポーツにおける日々の地道な練習はその「あともうちょっと」のために行われているのであり、その「あともうちょっと」が「ちょっと」じゃないからとても苦労するわけです。
0,01秒。0,01センチ。0,01点。
陸上や水泳や球技の選手は、それらのために毎日練習を積み重ねています。わずかあと0,01秒が縮められずに引退する選手。あと0,01センチ先へ、一生のうち一度も跳べずに引退する選手。そういう選手がたくさんいると思います。ほんとうのギリギリ、限界まで力を出しつくして戦ったとき、「あともうちょっと」なんて言葉は本当に意味がないのに、と思うのです。その「あともうちょっと」先へたどり着けた人が勝ち、「あともうちょっと」先に届かなかった人が負ける。スポーツとはそういうものなんじゃないでしょうか。そして、「あともうちょっと」ということの深さ、つまり「あともうちょっと」はちょっとでないことを知り、それでもその「あともうちょっと」のために全力で努力できる人をプロフェッショナルと呼ぶのではないでしょうか。
スポーツに限らず、仕事もそうなのかもしれません。
たとえば文章を書くことを仕事にしているプロと、一般の人。両者は何が違うのかというとき、実は「ほんのちょっと」しか差はないと思うのです。書いている内容や書く量に関して言うなら、十分ライターとしてやっていけるであろう人が、ネットの世界にはたくさんいます。そういう前提に立って、文章のプロフェッショナルとしてやっていくために必要なこと。それはたとえば、「絶対に誤植しないように気をつける」とか、「て・に・を・は・へ・がなどの助詞の使い方を大切にする」とか、「『こと』と『事』を混ぜて使わない」とか、「言葉の意味が不安になったら辞書をひく」とか「締め切りは絶対に守る」とかいった「ほんのちょっと」のことだと思います。「ほんのちょっと」なんだけど、そういう細かいことの大切さを自覚し、それに対して気を払う人がプロフェッショナリズムなんだと思います。
「京都のことならまかせなさい」というキャッチフレーズは、プロとしての自覚を持って京都の魅力を発信していくという意思表明でもあります。ちょうちん記事は書きません。面白くないと思うものは載せません。手抜きの取材もしません。そういう約束です。
これから夏に向けて、おのぞみドットコムではカフェ企画や音楽業界で働く人のインタビュー企画、読者投稿企画などさまざまな企画がスタートします。読んだ人が楽しんでくれて、そしてまた次の日も来たいなと思ってもらえるサイトにするために、今後もスタッフ一同努力していきますので、ミスや間違いを発見された方は、遠慮なく tegami@onozomi.com までお叱りのメールをください。よろしくお願いします。
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【5月28日】
『行く川の流れはたえずして、しかももとの水にあらず。』
わけあって、イタリア語をみっちり勉強しています。先日は「あいさつを学ぼう」ということで、イタリア語における「別れの時のあいさつ」を練習しました。クラス全員が「チャオ」「アッリヴェデルチ」と大きな声を張り上げる中、ふと映画評論家の淀川長治さんの決まり文句を思い出しました。「さようなら、さようなら、さようなら。」というやつです。
あの言葉って、「さようなら」を1回言うのとまたちょっと違う味気ですよね。なんか「しみじみ感」があると思うんです。別れの名残惜しさがにじみでるような。
考えてみると、日本語には別れのあいさつがとてもたくさんあるように思います。「さようなら」「失礼します」「ごきげんよう」「じゃあね」「それじゃ」「バイバイ」「ほなまた」「いつかまた」「元気で」「また会う日まで」などなど。うまく言葉で説明できないですが、いろいろな場面に応じてジャストな言い回しがあります。イタリア人のダニエーラ先生に聞いたところ、別れのあいさつとしてのイタリア語には「チャオ」と「アッリヴェデルチ」しかないそうです。それだけ日本とイタリアでは、別れというものに対する考え方が違うのでしょう。日本の方が、「別れ」を細かく分類してとらえているということです。もっと言えば、別れに対して敏感というかなんというか。
僕らは時として、言葉や習慣を、空気のように当たり前のものとして考えがちです。しかしそれらに限らず、何かが長い歴史を経て今「存在する」ということは、とても意味のあることだと思うのです。平家物語に「沙羅双樹の花の色 盛者必衰のことわりをあらわす」との一節があるとおり、時代の波は全てのものを流し去ろうとします。その波に耐えて今存在するものたちの裏側には、多くの場合未知の歴史やエピソードがあります。そのような物語を知ることで、目の前の世界の色が今までと違って見えることもある気がするのです。
前置きが長くなりましたが、僕らが編集した書籍「京都らしいものの現在」は、そのような考えを基に作られました。2004年の今、「京都らしいもの」として誰しもが考えるようなものたちは、いったいどのようなストーリーを僕らに語りかけてくれるのだろう、そんな疑問から出発した本です。なぜあぶらとり紙が京都の名物なのか、八ツ橋がどのような歴史を経て京都の名物和菓子の地位を築き上げたのか。京都における「目の前の現実」の裏側を取材しました。Web販売だけではなく、明日からは京都市内の各書店にも並ぶ予定です。手にとって、少しでも読んでみてください。読んだ感想なども教えてもらえればうれしいです。tegami@onozomi.com にてお待ちしています。
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【5月1日】
『ラブレターに愛をこめて。』
多くの人にむけて情報を発信する存在を、マスメディアといいます。このサイトもある種マスメディアと言うことができます。日々、様々な情報を読んでくださっているみなさんに向けて、いかに伝えたいことをきっちり伝えるか、という課題があります。
たとえば、友達や彼女(彼氏)、親からのケータイメールが送られてきたとき、返事するかどうかは別にして、読まないということはまずありませんよね。ケータイメールに限らず、パソコンのメールでも同様だと思います。知っている人から来たメールを読みもせずに捨てるということはまずありません。
では、その友達が100人に向けて送ったメールだとしたらどうでしょう。それでも開けますか?多分開けて、読みますよね。なぜでしょうか?
それは、「誰」が「誰」に送っているメッセージなのかがわかっているからです。「誰から来たのか」ということがはっきりしていて、「私が宛先に含まれている」ということがはっきりわかっている情報は、メッセージとして機能します。
しかし、インターネットのサイトやテレビ、新聞、メールマガジンになるとどうでしょうか?目を通さずに捨ててしまったり、関心が持てなかったりするのではないでしょうか?このサイトのコラムも、書き手としてはサイトに来てくださるお客さんみなさんに読んでほしいなと思って書いていますが、全員に読まれているわけではありません。
サイトに来る全員のことをきっちりわかって書いているわけではないので、どうしても、「誰に向けて書いているメッセージなのか」というのがボヤけてしまうんですね。不特定多数に向けた文章になってしまう。そういうメッセージは、やっぱり読まれないのです。読み手からすれば、「私には関係なさそうやなぁ」という感じなわけです。
ここに、マスメディアとしてのコミュニケーションの課題があります。伝えたい情報を、ひとりでも多くの人に伝えるにはどうしたらいいのか、ということを考える必要があるのです。
自分たちが伝えたいことをきちんと伝えるには、ケータイメールの例のように、「差出人」と「宛先」をはっきりさせることしかありません。
「この文章はあなた、そこのあなたに向けて書いてるんですよ」というような、親しみやすさというか、気軽さが必要になってくるのだと思っています。
そこで、1分コラムに代表されるように、このサイトのコンテンツはすべて記名制になっています。これがまず「差出人が誰かをはっきりさせる」ひとつの工夫です。そして、出来る限り思ったことを素直に、わかりやすく書こうとしています。友達にメールを書くように、親にメールを書くように。
自分の書く文章は一体誰に向けて書いているのか。それがはっきりしていない文章は何の意味もないと思っているのです。
その根底には、メッセージというのは内容よりも書き方とか伝え方の方が大切なのではないかという考えがあります。読んでくれ!という想いがこもった文章は、中身云々の議論を抜きにしてもつい読んでしまうんですよね。たとえば、ひとつの例。ケータイメールがこれだけ普及している昨今でも、中学生や高校生は授業中に手書きの手紙を折りたたんでメッセージをやりとりしています。先生の目を盗んで送られてきた手紙は、開ける前からワクワクする、そんな記憶はないですか?授業中だけでなく、記念日なんかに手書きの手紙をもらうとすごく嬉しかったりとか。中身がどうとかじゃなくて、手間をかけてわざわざ便せんや封筒をそろえて、文字を書いてくれたことが嬉しいんですよね。
また、ちょっと前に流行ったギャル文字もそうです。わざと意味不明な文字にして、それを読める人だけをコミュニケーションの対象にする。ギャル文字で書いたメールをもらった人は、輪の中に入れてもらってるという実感が強いはずです。送り手からの「あなたはきっと読めるよね?」という信頼を認識できるからです。
これこそ、伝えるメッセージが同じでも、伝え方によって印象が変わることのいい例ですよね。大事なのは、メッセージの中身よりも伝え方にあるわけです。実は。
だから、マスメディアの立場としても、大事なのは読者さんときちんと対話しようとする姿勢だったり伝え方なのかなと思います。
文章を書く仕事をしているとついつい、情報の中身ばかりを追いかけがちです。読み手がどういうものを読みたいかとか、どういう書き方をしたら読みやすいかとか、そういうところに気が回らなくなってしまうのです。読み手のことを忘れ、独りよがりな文章を書くようになったとき、そのメディアは読み手にとって必要のないものになることでしょう。
伝えたいメッセージがあるときに、それをきちんと伝えるにはどうしたらいいのか。
どういう写真を撮り、どういう文字の大きさで、どういう分量で伝えればいいのか。また、どのような語り口で、どのような言い方をすればいいのか。そういう細かい気配りが大切だと考えています。
これから夏に向けて、おのぞみドットコムではたくさんの企画が新たにスタートします。それらの企画においても、楽しんで読んでもらえるにはどうしたらいいかということをしっかり考えて、作っていく予定です。
連休はその制作にむけて、いったんの充電期間とさせてください。
それではみなさま、よい休日をお過ごしください!
1分コラム傑作選
ラーメン大好き山本、初恋の味を思い出す。
そして初恋の余韻にひたった後、財布を忘れる。
普段はノホホンのグルメ部木下、ボクシングとなると急にアツい奴に。
そして編集長・藤田も日替わり定食を食べながら、スポーツの魅力について考えました。
映画部の西片ぼっちゃん、父と今村昌平について語る。
父についてWeb部朝日が、想いをつづりました。永久保存版です。
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【4月10日】
『にぎり寿司の誘惑』
阪急梅田駅の地下に、「ホワイティうめだ」という地下街がある。ドラッグストアにはじまり、喫茶店からカレー屋から靴下、おにぎり、アイスクリームまで何でも揃う大きな商店街である。
で、昨日。最近かかえていた大きな仕事がひと段落ついたので、大阪へ行ったついでにホワイティ内の「福すし」という店に入った。自分へのごほうびというやつである。ささやかですな。
時間は9時前、店内は赤い顔をした背広姿が数組と、カップルと呼ぶには少し歳のいった男女がええ気分で寿司を食べていた。
僕はひとりだったので、カウンターに座った。財布と相談しながら、2番目に安い「おすすめにぎり上」のセットを注文した。(ごめんなさい、今回のコラム、やたらフリが長いですね。のろのろ。)
久しぶりの瓶ビールをジョッキ半分くらい空けて(寿司には瓶ビール、これに尽きる)、寿司をつまんでいると、なんだか贅沢で、いい気分になってきた。
そして、背後では企業戦士たちの会話が盛り上がっているのがわかる。
A「だからアイツの戦略にまかせっきりじゃダメなんだよ。自分で考えないと。お前やれば絶対できるんだから〜」
B「そうですかねぇ、でもなかなか難しくてねぇ〜」
A「だめだよそんなのじゃ!ままま飲めよ」上機嫌で話すふたりはどうやら上司と部下らしい。(まだフリです。のろのろ。)
A「お前、『のれそれ』って食べたことあるか?うまいぞ〜」
B「え、『のれそれ』って何ですか?聞いたこともないですよ」
A「お前『のれそれ』の旨さも知らないの?あかんなぁ〜。おやっさん、『のれそれ』2カン!」
・・『のれそれ』って何やろう?回転寿司にはないネタだ。確かに壁には「今日のおすすめ うまい!」と書かれている。
A「あぁ〜旨いねぇ。おやっさん、それで『のれそれ』って何やったっけ?」
・・・。箸を落としそうになった。知らんのかいな。
おやじ「『のれそれ』て言うのは穴子の稚魚ですわ。『のれそれ』が成長すると穴子になりますねん」
それを聞いたサラリーマンA、
A「そうやったそうやった。穴子の稚魚やんなぁ。忘れてたわ。」
B「・・・もぐもぐ」
なんやこのおっちゃん?えらいゴキゲンさんやなと思った次の瞬間、地雷が落ちる。
A、「『のれそれ』が成長したら穴子か。さらに成長したらアネゴ(姉御)になるわけやな。」
・・・シーン。冷えた。カンペキに冷えたよこれ。Bを筆頭に「え?いま何て言ったこの人?」という思いが頭をかけめぐる。
A「『あね』ご、ね。お姉さんの『あね』ご。アナゴとアネゴ。あなごあねご・・うにゃうにゃ」
中途半端な自己フォローがさらに空気を乾かしていく。
カウンターのおやじさんが、どういうギャグかわからず1.5秒ほど固まったのを僕ははっきり見た。「あ、は、は、そうやねアネゴになるね。あなごあねご」・・・。アツアツのお茶は冷茶になり、僕の持っていた箸は床に落ちた、気がした。
A「ごめんなおやじギャグやったな、あは、あは。穴子とアネゴじゃ寒かった」
やっぱりウケ狙ってたんや、と一人でツッコミながら、残りの寿司を食べる。
・・・。なんだろう。何か得体の知れない笑いが、身体の奥の方からわき上がってくる。
な、なんかおもしろくなかった?今のギャグ。アナゴとアネゴって・・・ふふふ。
ふつうのギャグは時間と共に消え去っていくが、とっておきのおやじギャグというのは時間がたっても頭に刻み込まれるほどのインパクトがあるものなのである。
笑いの世界は深いものだなぁと、しみじみ思った次第。おそるべしおやじギャグ。
おじさん、コラムのネタをありがとう。笑わせてもらいました。
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【3月19日】
編集長の徒然日記
「日替わり定食のあとで」
ラーメン好きの元熱血ハンドボーラーとジャズの流れる定食屋に行き、「スポーツ好きに悪いヤツはいない」という話になった。
思い返してみると、仲のいい友達はみんな、何かしらのスポーツに打ち込んでいた人間ばかりだ。それも、実績はともかくとしてある程度真剣に。そのスポーツの醍醐味がどういうところなのか、説明できるくらいまで。
で、なぜそういう人たちと話が弾むのかをあえて考えてみた。
一定の技術が身に付き、シロウトのレベルを脱するようになると、自分の調子の波がわかるようになる。「今日はなんか調子いいな、昨日は最悪だったもんな」、みたいな。
そしてそれがさらに加速すると、「自分が自分じゃないみたい」な経験をすることになる。
よく「神が降りてきた」と表現されるこの状態は、がんばるスポーツ選手ならたまに出くわす状態で、ボールは止まって見え、滞空時間は長くなり、ダッシュの加速が2倍くらいになるのである。目を閉じればはっきり思い出せるほどすごくリアルな身体感覚として、時間が止まって自分の時間だけが人のそれより長く感じるのである。
先述したラーメン好きの元熱血ハンドボーラーは、神が降りてくると、キーパーの体重がどちらの足にかかっているか、そしてその後どちらに動くかがはっきりわかり、その上で、自分の狙った場所にピンポイント・ロケットシュートを打つことができたそうだ。僕はバレーのスパイクジャンプの時、最高到達点でしばらく止まって、どこに打とうか向こうを見て考えてから打つことができた。ある野球選手はピッチャー投げたボールの縫い目が見える時があったとテレビで言っていた。
信じられないかもしれないけれど、確実に、そういう機会に巡り会うのだ。
そういう体験とか感覚を一度味わうと、「自分が自分である」という状態が実に不安定なものだと感じるようになる。自分にはコントロール不可能な「何かの流れ」というものが存在することを否定できなくなるのだ。そして、その「流れ」や「見えない空気」を漠然と意識するようになるのである。
この意識はコミュニケーションにおいても、「場の空気」や「ノリ」をつかむことに敏感になるのである。だからそういう人とは付き合いやすいんかなぁと一人でひらめいた。
単なるご機嫌伺いとはひと味違った、「空気を読むコミュニケーション」ができる人とは仲良くなりやすい。
最近、仕事が忙しいせいもあって、たった1回のサーブの読み合いに神経をすり減らしたりとか、1点を争う緊迫感とかとすごく遠い暮らしをしている。
意見は数あれども、僕がスポーツに求めるのは冷たい汗を背中で感じながら、心をを削るようなスリル感だし、駆け引きの向こうにある楽しさだ。
うまく時間を作って、取材でもいいからそんな世界にまた足を踏み入れたい。
I love sports.
あぁ。
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【3月2日】
編集長の徒然日記
「本末転倒を考える」
こないだ、取材で京都大学に行きました。その日はちょうど、前期試験の前日で、会場を下見に来ている受験生とその親御さんたちで混雑していました。現役生として受験生の顔を見るのは4回目ですが、受験前日の受験生の顔というのは毎年変わらんもんやなと思います。自信と不安の入り混じった、暗さの中にある種の開き直りが見えるのです。「よし!やることはやった!(はず)」というような感じの。
彼らの多くは時計台や校舎を見て合格後の自分を想像し、何としても合格したいという気持ちを奮い立たせているのです。事実、僕もそうでした。受験1週間前には大学近くの自習室で勉強をして、毎日大学をながめ、絶対合格してやるーと気合いを入れていたもんです。
でも、合格してしまえば、周りは全部京大生だし、幻想もすぐに壊れます。だからこそ、合格したあとどうするかを考えてほしいなと思います。決して大学に受かることが目的にならないように、本末転倒にならないように。
と言いつつ、自分の生活をひるがえって見てみます。
最近、仕事のあとに酒を飲むことが増えたような気がします。ちょっと前まではわからなかったのですが、1日がっちり仕事をがんばると、その後の酒がやたら旨いんです。疲れた身体にビールの刺激はたまりません。プハー。やめられない止まらない。
で、こういうのを繰り返していると、「仕事をがんばって、その後に旨い酒を飲む」というサイクルから、「うまい酒を飲むために、仕事をがんばる」というように本末転倒状態になります。
「さぁ今日も旨い酒飲むためにがんばるぞ!」
このサイクル、誰か止めてください。
受験生のみなさん、お酒はハタチから!
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【2月13日】
地名をさぐる 第8回 「天使突抜町」
京都駅前にそびえる東本願寺の影にかくれて、ややマイナー感のある西本願寺。しかし、境内のスケールは圧倒的であり、ぜひ一度訪れたい寺だ。
さて、この西本願寺の北東に「天使突抜町」という町の名前がある。天使が突き抜ける・・・?と早速、由来を調べてみた。
この町内に「五条天神社」という神社がある。この神社は、「天使の宮」と称された同名の神社が、奈良から移されたもので、「天使社」と呼ばれることもある。
「天使の宮」とか「天神さま」と呼ばれた神社は、広大な森に覆われていたという。そしていつしかこの森を突き抜ける道ができたのだそうだ。童謡にも登場する、突き抜けの道。
「♪通りゃんせ、通りゃんせ、ここはどこの細道じゃ、天神さ〜まの細道じゃ〜♪」と。これはこの天神社のことであり、「てんじんさま」ではなく「てんしんさま」が正しい読み方だ。それが由来となり、「天使突抜」という町名になったそうだ。
都市化にしたがい、その森はもうない。だからこそ、町の名前を守り、歴史を守っていくことが必要なのだろう。
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【1月28日】
地名をさぐる 第7回 「円山公園」
四条通の東の突き当たり、そして祇園祭で有名な八坂神社。この八坂神社の北側に「円山公園」という公園がある。春には見事な桜が咲き誇り、多くの花見客を集める人気スポットである。
名前は「まるやまこうえん」と読む。今回は、この円山公園の名前の由来を探ってみた。
円山公園のある円山町には、慈円山安養寺というお寺がある。最澄という僧が天台宗の寺として開いた寺であるが、1190年前後に慈円という僧が運営を引き継ぎ、発展させた。
さらに跡を継いだ法然という僧は、ここを「吉水草庵」と称し、浄土宗を開祖した。浄土真宗を開いた親鸞も入信したというから、日本の仏教史に大きな影響をもたらした寺なのである。
このような流れを作った慈円にちなんで、寺の名前が慈円山安養寺となっており、これを略して「円山」と呼ばれていたことが、地名の由来となっている。(ただし、「えんざん」という呼び名がなぜ「まるやま」と変化したのはわかっていない)
先述した円山公園は春のみならず、四季を通じて街中のリラックススポットとしての人気が高いので、ぜひ一度訪れてみては。
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【1月9日】
地名をさぐる 第6回 「銀座」
「銀座」と聞くと、たいていの人が思い浮かべるのは華々しい東京の銀座だろう。しかし、本家「銀座」は、京都にあることをご存じだろうか。
京阪「伏見桃山」駅の西側すぐ、一丁目から四丁目まである銀座町。東京の場合は繁華街だけれど、こちらは質素な町家を中心とした静かな住宅街である。
1601年、伏見城に入った徳川家康がここに日本最初の銀貨鋳造所を作ったといい、それが名前の由来になっている。銀貨の鋳造所は、その後京都市中心部に移り、その後駿府の銀座へと移ったという。「伏見銀座跡」の石碑が一丁目の銀行前に立っており、東京銀座から送られたシャリンバイが植樹されている。今では全国に○○銀座という地名が何百もあるそうだが、そのルーツはこの町なのである。日本の金融史を語る上でも重要な地域だ。
さあ、あこがれの銀座暮らしはいかがですか。会社なら「伏見区銀座」の名刺も可能です。
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【12月18日】
地名をさぐる 第5回 「夕顔町」
源氏物語・夕顔の章をご存じだろうか。
ある日用事で通りがかった町。その町にだけ、夕顔の白い花が咲き誇っているのを源氏は目にする。その並びの一軒に、「夕顔」という名の美少女が暮らしており、たちまち源氏が恋に落ちるという一説である。
その舞台になったのが、「夕顔町」である。四条烏丸から徒歩5分ほどの街中にある町で、江戸時代に建てられた夕顔の墓もある。この町内会の規約には、夕顔の命日である9月16日には墓に参拝をすることが記されているほど、源氏物語のヒロインとゆかりのある町なのである。
町のシンボルである夕顔は、現在もこの町のほとんどの軒先で咲いていて、町の人たちが歴史を大切にしていこうとする姿勢がうかがえる。
何の気なしに通り過ぎるありふれた町のひとつひとつに、知られざるドラマが隠れている。その歴史を知るたびに、京都の面白さを改めて感じる次第である。
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【12月3日】
地名をさぐる 第4回 「帷子ヶ辻」
嵐山や太秦観光には欠かせない京福電鉄。この京福電鉄の嵐山線と北野線が接続し、一大ターミナルとなっているのが「帷子ヶ辻」だ。
ふつうはまず読めないこの地名は、「かたびらのつじ」と読む。昔から交通の要所だったといい、現在も駅前にはスーパーや銀行、マンションやガソリンスタンドなどが建ち並び、にぎわっている。
さてこの地名の由来を探ってみると、またしても諸説あり、定かではない。
説1:方側・・・
周辺に南行きの道がなく、片側だけに分かれていたところからついた。(ちょっと苦しい)
説2:地形から
北に延びる大地は、片方が崖で、片方が平地につながっているため、片平と呼び、その言葉が変化した。
説3:帷子
嵯峨天皇の后・檀林皇后の亡骸を、嵯峨深山谷へ葬送する途中に、棺を覆っていた帷子の衣が風で舞い落ちた場所であり、そのことをきっかけに「帷子の辻」と呼ぶようになった。(これが有力)
繰り返すけれど、読み方は「かたびらのつじ」なので、嵐山観光や太秦観光に出かけられる方は、車内のアナウンスにくれぐれもご注意を。 |
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【11月18日】
地名をさぐる 第3回 「先斗町」
「先斗町」は、「ぽんとちょう」と読む。読み方だけなら、知っている人も多いかもしれないこの地名。
では、なぜ「ぽんと」なんていう変った読み方をするのか?知っているだろうか?
説1:ポンと鳴るものといえば・・・。
先斗町は、鴨川と高瀬川に挟まれた地。川(皮)と川(皮)に挟まれたものと言えば、太鼓。太鼓は・・・ポン!と鳴る。ということで、ポンと町。
説2:ポルトガル語
先斗町はもともと鴨川の洲で、鴨川を埋め立ててできた土地だ(これは本当)。
埋め立てられたあと、まだ地名もない頃に、五軒の家が建ったそうだ。その家々を指すとき、「京の外れの先にある五軒斗(ごけんばかり)」と言われていたのが、短縮されて「先斗」と呼ばれるように。
その「先斗」を、当時京都にいたポルトガル人が、ポルトガル語で「先」という意味の「ポンタ」、英語の「ポイント=点」にあたる「ポント」をあてて読んだとか。ということで、ポント町に。
今のところ、二つ目のポルトガル説が有力だそうだ。京都にはほとんどない、外国語由来の地名が、街のど真ん中にあるなんて、なんだか不思議な感じである。 |
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【10月31日】
地名をさぐる 第2回 「貴船」
京都の夏の風物詩として有名な、鴨川の「床(ゆか)」。川にせりだした木の床の上で、食事をする風流な習慣です。京都北部に位置する貴船(きぶね)にも、同様にして川の上に木を渡し、床を作ってその上で川魚などの食事を楽しむ文化があります。こちらは「川床(かわどこ)」と呼ばれます。
さて、いかにも平安の香りがするこの「貴船」という地名は、一体どこから来たのでしょうか。
貴船神社の社伝によれば、玉依姫というお姫さまが黄船(きふね)に乗って淀川から賀茂川を経て貴船川畔のこの地に上陸し(ちなみに相当逆流してます)、一宇の祠を営んだのが貴船神社の創建であると伝えています。由来は、「黄船」であると。
しかし、各種文献を元にした説がもうひとつあります。平安京以前の時代、貴船の周辺に住んでいた人たちは、山林の神様である「木生根(きぶね)」の神というのを信じ、地域の地主神として祀っていたそうです。この神の名が転じて、「貴船」となったというわけです。現在は、こちらの説が有力とされています。
貴船は賀茂川の上流にあることから、平安京創都後は、洪水を防いでくれる治水の神、祈雨祈晴の神としての信頼も厚かったようです。現在でも、水の神様がおられる神社として、水にうかべるおみくじなどがあります。
次回は、丸太町です。
【10月15日】
地名をさぐる 第1回 「烏丸」
観光客や修学旅行生たちが、京都駅にたどりつき、まず目にする地名がこれだ。京都駅北側の改札を「烏丸口」というのである。
京都市民なら読めない人はいないこの地名、さて、どう読むかおわかりだろうか。
「とりまる」は論外として、よくある読み間違いが
「からすまる」。
「おしいけど、違うんだな〜これが。『からすま』なんやけどね。」なんて思ってる人、あなたはちょっと甘い。
現在でこそ「からすま」として呼び名が統一されてきているけれど、別に「からすまる」でも間違いではないのである。むしろ、「からすま」と呼ばれ始めたのは、ここ20年くらいのことだ。
平安京ができた794年当時は、「烏丸小路」という4尺ほどの小さな通りだったことが、当時の文献「坊目誌」からわかる。4尺とはわずか1.5メートル。
この通りが、京都のメインストリートの座についたのは明治10年(1877年)、京都駅の誕生によってである。街の中心道路として拡幅工事が重ねられ、今の姿になったというわけだ。
大正2年(1913年)には、丸太町〜今出川間、いわゆる御所の西側に、路面電車が開通した。(もちろん、その当時も「からすまる」と呼ばれていた。)
呼び名なんて、時代によってころころ変わるものなのだ。だから、「なぜそう呼ばれるようになったのか」というルーツを探るのは、実はとても難しい。
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