おのぞみドットコム - 藤田 功博(おのぞみドットコム編集長)>シリーズ日本の未来を考える Vol.2
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 藤田 功博
(おのぞみドットコム
  編集長)
この質問に対して、内田樹という哲学者(賢人)は、「人間というのは、社会が上向きであれば活動的になり、社会が停滞すると、いっしょに不活性的になるというほどにシンプルなものだろうか?」と、現在の日本社会の暗さが、若い人間のやる気のなさにリンクしているわけではないと前置きした上で、以下のように答えている。

「今の若い人たちが前向きになれないのは、彼らが「死を迎えたときの私」を自分自身の今の意味を計測するための想像上の観測点として思い描く習慣を失ってしまったからである。彼らに欠けているのは「生きる意欲」ではなく「死への覚悟」なのである。」


内田樹氏がここで言いたいのは、今目の前にある現実、その厚みや深さや熱がどれほどのものであるのは、自分の長い一生を想像し、そこからの逆算でしか測定することしかできないということである。

たとえば、目の前に何か選択肢があるとして、その選択の結果がどのような影響を及ぼすのかということは、頭の中で自分の人生を思い描ける人しかわからないし、その想像がリアルで豊かな人ほど、選択肢の意味や結末をうまくとらえることができるのである。

チャンスは、それをチャンスと認識できる人にのみチャンスとなるのであって、自分がどのような人生を歩いていくのかがあまり見えていない人にとって、あるいは自分の人生をどのように歩んでいくのかについて考えられていない人にとっては、晩ご飯はハンバーグにするかパスタにするかと同じレベルの判断でしかないのである。

主に現代の若い人が「今」に対して必死になれないのは、今という時間のかけがえのなさが理解できていないからである。何年か先、あの時ああすればよかったと考えている自分が想像できないから、今の選択に対して必死になれない。あるいは、今できることを今全力でしない。何かと言い訳をつけて後回しにする。プロスポーツ選手がよく使う「後悔したくないから」という選択基準は、「自分が将来その選択肢を選択したことを後悔するかどうか」という、未来から現在へと「時間が逆流した」視点である。この視点がないと、「いつか自分には勝負所が来る」だとか、「もう少し先にがんばればいい」といった、アテのない未来に期待するようになる。では、それはいつなのか?

今、「今」に真摯になれない人は、5年後であろうと「今」に真摯になれない。今、「3年後」に期待する人は、3年後も「3年後」に期待する。「いまがんばっておけば、きっと将来そのことを振り返った時によかったと思えるだろうな」と考えることのできる人だけが、今努力できるのである。これは僕が今まで出会った人たちから学んだことである。

内田氏の主張を受けて、僕はこのようなことを思った。そしてここまで来ると、ひとつの疑問が浮かび上がる。

なぜ、「今という時間のかけがえのなさ」が失われてしまったのだろうか?

結論から言うと、それは「死」のリアリティが失われたことと関係があるように思う。

バブル期の頃から、あるいはそれより以前から、団地やマンションの建設が相次ぐようになった。団地やマンションでは、住人同士のコミュニケーションは確実に薄くなる。隣の部屋ならまだしも、隣のマンションや団地にどんな人が住んでいるかなんてわからないからである。そういう環境があるとして、問題なのはその住民が亡くなった時である。マンション暮らしでは住人の誰かが亡くなった時、縁起のことやスペースの問題から、その町ではなくどこかの葬儀センターで葬儀が行われる。しかも、地域コミュニティのないマンションでは、棟内の誰かが亡くなっても葬儀に呼ばれることもなければ、出席することもない。まずこのことが、死というものを遠ざけている。老人ホームなんてものも昔はなかった。

2点目に、死の話から遠ざかっていることだ。昔は戦時の話や、公害の話、伝染病の話などをよく年上の人間から聞かされた。学生運動に参加していた世代の人たちは、友達が機動隊との衝突で亡くなったり、内ゲバで亡くなったりしたことを、リアリティとして持っているだろう。しかし最近では日本も長寿国となり、平和ボケとまで揶揄されるのどかな日々だ。そもそも死を意識した話にリアリティがない。

このような環境により、今の若い人間には、死に対する実感があまりに少ないのだ。そのことが、人生の終わりをほとんど意識させることがなく、どこまでも続く線路のように考えさせてしまう原因ではないだろうか。終わりのないマラソンのように感じられているのではないだろうか。

いつ死ぬかわからないという切迫感まではいらないまでも、人生が有限であるという意識や、自分が死ぬ瞬間に自分の人生をどう思うだろうかという想像力、自分の葬式で他人は自分に対してどう言うだろうという想像力は、今を生きる上でとても大切なことなのではないかと思う。そういった「未来から現在への視点」が持てるかどうかで人生への考え方は変わってくるはずなのだ。

僕は中学生の時に1人、高校生の時に1人、そして大学生の時に2人の友人の葬式に出席することになってしまった。そのうちの1人は、喫茶店で久しぶりの長話の翌日に川で溺れた。祖父も祖母も亡くなった。彼らの死は寿命というより突然のものだっただけに、僕にとってとてもショックだったし、自分の人生を真剣に考えさせられた。「今」は今しかやって来ないことを心から痛感させられた。僕にできることは、彼らの冥福を祈ることと、彼らの無念さの分まで、精一杯生きていくことだと思っている。そう考えれば、今できることを先にする理由がない。

今の若い人がどこか冷めたように見えるのも、そういう経験が、構造的に遠ざけられているゆえに、自分がいつまでも今のままでいられるという変な思い込みがあるからではないかと思う。


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