おのぞみドットコム - 過去の1分コラム 廣田 彩香
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 岸本 亮
【4月15日】

建築なるウンチク
/第5回「サン・ピエトロ大聖堂」


先日、ローマ法王であるヨハネ・パウロ二世が死去されました。その法王がおられるのがバチカン市国。面積はなんと約0.44km2ということで、皇居の約半分の広さ。人口は約800人なので、僕が通っていた高校の1学年の生徒数にも満たないという少なさです。

市国ということなので、もちろんこれは立派な独立国家。世界で最も小さく、人口が少ないということです。しかし入国の際パスポートなどは必要なく、ミサなどが行われる場合以外はボディチェック、持ち物検査さえありません。

その国のなかで一際シンボリックに聳え立つのが、サン・ピエトロ大聖堂です。現在我々が見ることのできる聖堂が完成したのが17世紀初頭。当時の一流建築家を大勢つぎ込んで、ようやく完成したものです。その中にはミケランジェロも含まれているわけで、彼が担当したのがクーポラ(天蓋)です。クーポラの美しさでは、残念ながらフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ(ブルネレスキ設計)にはかないませんが、キリスト教の総本山という威厳を表す堂々たる風格が備わっています。

この教会内には、ミケランジェロの最高傑作ともいわれる「ピエタ像」があります。聖母マリアが十字架によって処刑されたキリストを抱いている像なのですが、マリアの深い深い哀しみがジワジワと伝わってくる彫刻です。これを彼は25歳のときに完成させているというから驚きです。やっぱり天才以外の何者でもないような気がします。

これ以外にもミケランジェロは3つのピエタ像を彫ったわけですが、その中でも彼が晩年に手掛けた「ロンダニーニのピエタ像」(ミラノ・スフォルツェスコ城)は荒々しいのですが、とてつもない生命力のようなものを感じます。ローマのピエタ像を静とすると、ミラノのものは動になると思います。驚きなのはこれを彫った時、既に彼は視覚を失っていたということです。まるで大理石の中にもともと像が潜んでおり、それを掘り起こしたかのような彼の仕事っぷりにはただただ感服します。

こういうことを書いていると、とてつもなくイタリアに行きたくて仕方がなくなってきました。それでは今回はこれで失礼します。


【3月17日】

建築なるウンチク/第4回「アンドレア・パッラーディオ」

今回は、ボクの最もお気に入りの建築家、アンドレア・パッラーディオを紹介したいと思います。

彼の建築は、イタリア・ヴィチェンツァでたくさん見ることができます。街の主要な建物はほとんど彼が設計し、メインストリートはパッラーディオ通りという名前がついているほどです。

その中で最も有名な作品が「ヴィラ・ロトンダ」です。そのデザインはいたってシンプルで、幾何学の最も美しく最も整った形態とされる円と正方形で出来上がっています。

その寸法には美しい比例が見られます。「音の比例は耳のための調和だが、同じように寸法の比例は眼のための調和である」と彼は「建築四書」(彼自身の建築を書き残した書)に書いています。例えば通路の幅を1とすると、その通路の奥行きが2、天井までの高さが3という具合です。

そして最も特徴的なのが、クーポラ(ドーム)です。クーポラは「天」を表し、教会建築のシンボルとしての長い伝統があります。フィレンツェのサンタ・マリア・デルフィオーレのクーポラや、ローマのサン・ピエトロ大聖堂のクーポラなどがいい例で、非常にシンボリックなものとなっています。

ヴィラ・ロトンダのクーポラは、「建築四書」に書かれているものとは違い、実際に現在我々が目にすることができるのは、弟子のヴィンチェンツォ・スカモッツィが設計したものです。

なぜ変更されたのかは色々な説がありますが、未だ謎のままです。それは、今のドーム状のものは、二重ドームの内側であって、外側まで手がつかなかったのであろうとか、設計に欠陥があり修正したのだろうとか。また、弟子のスカモッツィは師匠のことを相当妬んでいたようで、実施設計の段階で勝手に設計図を書き直してしまったとか。

しかしどんな理由があろうとも、「建築四書」に書かれたパッラーディオ自身の案よりも、現在残っているスカモッツィの案のほうが格段優れていると私は思います。その、上から押し潰したような形態は、500年近くたった今でもモダンにすら感じます。

そこで現代建築に目を移すと、500年後も新鮮な印象を与えることができる建築なんてまずないことに気づき、悲しくなってしまいます。有名建築家の皆さん、ほんとお願いしますよ。

【1月19日】

建築なるウンチク/第3回「リノベーション」

私の好きなリノベーション建築に、[マルタン・マルジェラ トウキョウ]というブティックがあります。リノベーションとは、古い建物を新しく再生すること。つまり古い廃墟同然の建物を、過去の空気感を残しつつも新しく蘇らせることです。しかし、この建築はそういった意味で見ていくと、少し特異な例といえます。

とにかく過去を消しているんです。築30年あまりの民家が、真っ白に塗り上げられ、柱の傷や床のシミなどの、人が住むことで生まれる記憶や意味が全て抹消されています。これが、どうやらマルタン・マルジェラの服作りのコンセプトに一致しているようです。過去を完全に無視する冷たさとでもいいましょうか。古着加工や、ボロ布のファッションを提案したのも彼がさきがけだったようです。

そんな冷たい建築に、なぜ惹かれるのか。それは、カタチだけが残されているこの建物から明確な彼の意志を感じるからです(こ難しいコンセプトがあるよりも、分かりやすい建物が好きなんです)。白く塗ることで全てを消し去ったように思いがちですが、そこには確固たるカタチが残っています。服はそのままで、着る人だけがかわったという感じでしょうか。中がかわるとがらりとイメージがかわる。着る人の個性によって私の服は生かされ、殺されるのだという彼の強いメッセージを感じます。あえてイチから新しく建てなかった理由は、そういうところにあるのではないでしょうか。

ぜひ皆さん東京に行かれた時は寄ってみて下さい。ここまで白いと汚れが目立つなあと思うと同時に、汚れた手で手形を付けたくなるはずです。そして、間もなくものすごく排他的な雰囲気が襲ってきます。いてもたってもいられないような。

でも、それを感じない人こそ、マルタン・マルジェラの服が似合う人なのかも知れません。服は似合う似合わないも大事ですが、自分が着たいものを着るのが一番いいことではないのかなあと思うんですがねえ。どうでしょう。
【12月11日】

建築なるウンチク/第2回「美術館」

先日、「なんでまた奈良なんかでやってんの?」と巷で言われているであろう「モネ展」へと行ってきました。こう見えても絵画(というよりも美術館ですかね)が結構好きな私です。でも本当のところは、もう生きている間に2度と奈良で「モネ展」なんかないだろうという焦燥感に駆られたのが理由です。

しかし酷かった。なんだあれは。びっくりしました。落胆に次ぐ落胆。っといっても決してモネの絵ではありません。絵画は素晴らしかったんです。これが有名な睡蓮ねえ、ははーん、といいながら観てまいりました。(肝心の巨大な睡蓮は、オランジュリー美術館から借りれなかったということで、代わりに原寸大の写真が置かれていました。それもどうなの?奈県美さん。)

そうなんです。美術館が惨めでした。全くモネが泣いてますよ。奈良県民にして奈良県立美術館にこの歳で初めていく私もどうかと思いますが、それにしてもあの建物はマズイです。「モネ展」があるのを知って、初めて県立美術館の存在を知ったくらいですから。全くノーマークでした。

エントランスなんて勝手口にしか見えませんでしたし、チープなビニール床には辟易しました。絵画を守るためにガラス張りのケースに入れるのはしょうがないことかもしれませんが、光の当て具合がよくない。反射してよく見えないんですよね。しかも指紋がくっきり浮かびあがっていたり。これは鑑賞者のマナーの悪さかもしれませんが。

まあ長々と酷い美術館の話を、書いてしまいましたが、ここからは素晴らしい美術館の話を。イタリア・フィレンツェに、ウフィッツィ美術館(設計:G.ヴァザーリ)というのがあります。16世紀当時、フィレンツェを牛耳っていたメディチ家のコレクション館です。

ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッティチェリなど、そうそうたるメンバーの絵画が収蔵されていますが、ここの目玉は、何といっても設計者であるヴァザーリの名前を取った「ヴァザーリの回廊」です。ここに取っておきのお宝が隠してあるんです。美術館とは別料金で約4000円ほど払えば、入れてもらえます。

何が凄いかというと、回廊の途中、ポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋という意味で、大阪のイタリアンとは何の関係もありません)の上を通るのです。橋の上にある美術館。僕はこれに憧れて、卒業設計で橋渡し美術館を作成しました。

そんなことはどうでもいいですが、こんな美術館世界で唯一ココだけです。しかもそれが今から約450年も前に建てられたという歴史付き。フィレンツェを訪れた人は必ずや行ってみてください。

モネもびっくりのもの凄いお宝が迎えてくれますから。


【11月13日】

建築なるウンチク/第1回「安藤忠雄」

安藤忠雄といえば、建築界のスーパーヒーロー。高校卒業後、独学で建築を勉強し、国内外問わずコンペに勝ちまくり、プリツカー賞(建築界のノーベル賞)を受賞、東大教授までのぼりつめたとなれば、建築に携わるものなら誰しもが憧れる建築家の一人です。ここ数年は特にテレビへの露出も多く、“変な髪型のおっちゃん”(*)ということで認識している人も多いのではないでしょうか。

私も一時期熱狂的ファンでありました。安藤と名のつく本を買いあさり、図面を片っ端からトレースし、暇があれば日本各地の「安藤建築」を見て歩くということを繰り返す日々。講演会ともなれば、いわゆる出待ちですね。サイン欲しさに長蛇の列に紛れ込んだり。

しかし今では、それほどでもなくなりました。むしろ安藤建築を批判することに快感すら覚えます。安藤忠雄=コンクリート建築、という図式を確立させたことは本当に素晴らしいと思いますが、どうも近作には激しいマンネリ化を感じてしまうのです。

どれを見ても同じ。とてつもなくクールでカッコいいと思っていたガラスとコンクリートの建築が、無機質でただの堅牢な箱にしか見えない。イタリア・ルネサンス期の装飾たっぷり建築に魅せられてからは、特にその気持ちは強いものになりつつあります。

と、ここまで言ってなんですが、国内最新作の「地中美術館」。これは気になります。気になって仕方がないです。建物が地中に埋まって、外観を見ることができないため、いつもの強固で自分が自分が!という主張が消されているからでしょうか。また同じようなもん作って、ではないニュー安藤が見れそうな気がします。一皮むけた安藤建築、早くこの目で確かめたいものです。

*もしかしてあの個性的な髪型はヅラ?とお思いの方に言っておきますが、あれはカツラではありません。至近距離で確認した所、しっかりと根付いておりました。どうぞご安心を。


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