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小西 由希 |
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【11月24日】
ガッツの巻
熱気のこもった体育館、或いは炎天下のグラウンド。汗をしたたらせて「いっぽーん!!」と叫ぶマッチョがばばーん!「ガッツ」という言葉はまるで象形文字のように、スポ根映像に直結します。それはウルフルズの名曲“ガッツだぜ!”の歌詞そのまま、“パワフル魂”や“ど根性”など、熱いファイトを意味する言葉。「ガッツ」の語源は何なのでしょう?
答えは字ずらのまま、英単語にありました。英語の「guts(ガッツ)」がそれです。この「guts」は「gut(ガット)」の複数形。gutは腸を意味するので、複数形のgutsは腸を含む内臓や腹わたの総称として使われます。
「肝っ玉が大きい」や「腹がすわっている」という慣用句にもあるように、日本人にとって“腹の内”とはどこか度胸や根性と結びつく言葉。gutsが「腹」や「肝」などと和訳されたとき、サムライスピリットあふれる日本人はそこに度胸・根性を見出し、定着させていったのですね。
「ガッツがある」と言われるのはほめ言葉、体育会の私にとってはうれしい限りです。けど“ガッツだぜ!”が韓国とかで“腸だぜ!”って直訳されてCDになってたら嫌だなぁ。
「ガット」で思い出すと言えば、テニスラケットの網の部分。これも実は「gut」が語源で、ガットは最初、羊の腸から作られていたそうです。クラシック・ギターなどナイロン弦のギターをガット・ギターとも呼ぶのは、昔、弦に羊腸を使っていたことの名残だとか。
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【11月7日】
「さようなら」の巻
あいさつにもいろいろですが、お別れをするときに使うのは「さようなら」ですね。
「さようなら」は、もともとは武士が使っていた、別れの決まり文句が省略されてできたものです。「左様ならば拙者、これにてお暇(いとま)仕る(つかまつる)」というのがもともとの文句でした。
しかし、全部を口にするにはあまりに長い文句なので「左様ならば」と省略され、さらに「ば」が取られて「さようなら」に変化したのだとか。意味は、「それでは私、これでおいとまいたします」といったところ。「さようなら」はもともと、接続節だったのですね。
同じくお別れのあいさつに「バイバイ」があります。もちろん、英語の「Good-bye」からきているあいさつですが、これには神様の姿が見え隠れしているのですよ。
「Good-bye」は、「God will be by with you」という祈願文が縮約されたもので、もともとは「(私は一緒にいないから、私の代わりに)神があなたの傍にいますように」の意味です。親しい人と一緒にいるときは、自分でその人を守ることができます。でも、いったん離れてしまったら、その人が危険な目にあっていても、自分はどうすることもできません。そこで、「神様、私の代わりに愛するこの人をお守りくださいね」という意味で、ささやかなお祈りを捧げてお別れしたのです。
武士の世界とキリスト教の世界を使い分ける日本人。うーん、インターナショナル。それでは、さようなら。
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【10月22日】
第1回 「もしもし」の巻
おや、携帯が鳴っていますよ。
かばんをゴソゴソ、誰からかな?で、
「もしもし」。
はい、ストップ。
今、「もしもし」と言いましたね?
「こんにちは」ではなく、「ハロー」でもなく、「もしもし」と、言いました。
もしもし。もしもし。もしもし?
まるで呪文のようで意味不明な言葉です。私たちはどうして「もしもし」と言うようになったのでしょうか?「もしもし」の語源をさぐってみましょう。
ときは明治。日本に電話が普及し始めた頃のことです。当時の電話は雑音や音の歪みが激しく、受話器越しに聞こえる声はまるで“蚊が鳴く”ようだったとか。リスニングは困難を極めました。
そこで、電話がつながると「聞こえとる?おーい。これから話しまっせー」というような意味で、「申し上げる、申し上げる」と言い、自分の声が相手に聞こえているかどうかを確かめてから通話していたのです。
「申し上げる、申し上げる」を略して「申し、申し」。転じて「もし、もし」。それが現在の「もしもし」という形に落ち着いたわけですね。
さて、東京千代田区にある逓信総合博物館の資料に、初めて電話をかけた人と交換手との、難を極めた通話の記録が残っています。
記録によれば、交換手が「もしもし」と言うと、電話をかけている方は「亀よ亀よ」と自信なさげにつぶやく。交換手がもう一度「もしもし」と言うと、また「亀よ亀よ」とぼそぼそ応える。最後には交換手もつられて、2人で「もしもし亀よ」と合唱してしまったとか。
んなあほな、とツッコまずにはいられない話ですが、電話がまだ“言葉の通じる針金”と言われていた時代のこと。何を言えばいいのかさえ分からない人が多かったのでしょう。あながち馬鹿にはできない話。
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