おのぞみドットコム - 過去の1分コラム 松村 貴樹
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 松村 貴樹
【3月4日】

楽観的行動力

3月3日ひな祭り、昨日は女子の女子による女子のための日かどうかは知らないが、取り敢えず女子の日だった。ひな祭りの想い出も、それにまつわる話も僕はまったく持ち合わせていない。何故ひな祭り話を持ち出しているのかも、はっきり言ってわからない。

とまぁ、ここまで書いてみてふと思い出した僕の友人の女子話をひとつ。彼は3年ほど前からアメリカのバルポというシカゴから数時間の田舎町にある大学に留学し、去年からニューヨークに移り、現在弁護士事務所でなんだかよく分からないが事務のような仕事をしている。僕が言えた義理でもないが、お世辞にもいわゆるもてるモテる部類の存在ではない(ただ、ゲイには好まれる)。

そんな彼にもようやく春が訪れたらしい。彼女はポーランド出身でニューヨークで弁護士をしている。彼女の情報はそのくらいのもので、後のことは知らないが、聞くところによれば彼のニューヨークライフは今までの人生からは想像できないくらいに充実しているようだ。

人の人生は何が起こるか分からない。親に勘当同然でアメリカに渡り、田舎町の大学で不安をいっぱい抱えながらレストランで皿洗いのバイトをし、ニューヨークに出て営業の仕事に就いたが、「君みたいに出来ない子は初めてだ」とダメ出しをされた挙げ句の果てクビ。そんな人生を送りつつも今は弁護士事務所で楽しい生活を送っている。だからってそれほど考えなくても、と楽観的なことは言えないが、とにかく動いていることが大事なんだろう。

彼に当てはめるとすれば、アメリカへの留学。これを決断し本当に行った彼の行動こそが原点で、今の暮らしがある所以。

彼曰く「取り敢えず、来たらいい。まぁ、来たらなんとかなる」だそうだ。

【1月8日】

「こんな人に捨てられます」

ものをきちんと整理整頓できる人が羨ましい。そういう人は大抵、収納上手な上に自分に必要なものとそうでないものの判断ができ、きっちり捨てられる人 (大抵こういう人は僕も捨てていく)が多いからだ。

僕の場合は、今年も学生時代に買っていたTVブロスが捨てられなかった。今はどうだか知らないが、当時のブロスのコラムのメンツは凄かったし、テレビ欄 はあくまでおまけでコラム雑誌という印象が強かったのだ。と、もっともらしいことを言っているが、結局のところ捨てられないのだ。内容は、といっても大 して覚えてはいないし、大掃除の時にノスタルジーに浸りながら、読み返すのが関の山。「あの頃は、ハッ!」で捨てたいものだが、貧乏心がそうはさせてく れない。

そう言えば、ジャングルライフ、DICTIONARYも全然捨てられない。オウムの浅原が捕まる寸前、京都の四条河原町でオウム信者が配っていたオウム 本もそう言えば未だに持っている(ほぼ未読)。ついでに、今やもうないI-Dジャパンの創刊号も捨てられない。それに加えて、新年早々ブックオフで柔道 部物語の6巻(江南高校の樋口が、西野に再起不能にされ、三五十五がとどめを刺す巻)をだぶって買ってしまった。105円だからまぁいいやと思えばそれ までなんだが、精神的にはかなりきつい。持っているのかどうなのかも覚えていないと気づかされたうえ、そんな覚えていないものすら捨てられない。結局、 ボーズが証明するように、脱アーカイブなんてものは無理なのか。新年そうそう思いやられはするものの、場所があるからまぁいいやと楽観的な考えで納得。

皆さんの1年が物に埋もれない一年でありますようにお祈り申し上げます。

【12月1日】

伝えられないもどかしい気持ち

最近よくニューヨークに自分がいる夢を見る。しかも未だに英語で。毎日毎日品のない関西弁で話をし、南部訛りの英語はほとんど聞き取れないにも関わらず、一丁前に英語で夢を見てしまう。

夢を見る理由というのは、自分の意識が無意識下でそちらに向いているからだとは容易に判断できるものの、起きている時に、その想いを表面的に自分でも感じられる瞬間というのは不思議と唐突にやってくる。つまり、何かを見た時に記憶が繋がり思い出すという必然に起こるものではなく、もっと衝動に近いものということだ。分かりやすく言えば、1人で信号待ちをしている時に、突然ハートアタックに襲われるといったものだろう。その時、感じることというのが、一言で言い表されるものではなく、霧がかかった状態なのだ。「楽しい」「寂しい」「悲しい」このどれにも当てはまる気がしない。混ざり合っている固めに、どれが入っているのか分からないのかも知れない。

人間は、どんなに冷静沈着な人でも感情抜きに物事を考えることは出来ない。どこかに自分の考え、感情が反映される。だから、ほとんどの事柄は喜怒哀楽(何かと何かが混ざり合った状態というものもあるが)で表すことが出来る。しかし今、そのどれに当てはまるのか全く分からないのだ。

ニューヨークに13年滞在していた先輩に聞いても、「それはランダムにやってくるよ」と言われただけでなんの解決にもならなかった。先輩の意味するところは、解決なんてしなくてもいいというところにあったのかも知れない。これは何らかのズレなのか、自分の気持ちが自分にも伝えられないのは、本当にもどかしい。

子供の頃、大人になれば様々な謎がもっと、映画『十戒』のモーゼが海を二つに割るように解けていくものだと幻想を持っていたが、28になろうとしている今、ようやくそれが幻想であったとはっきり分かった。実感しないと分からないのは、本当に苦労する…なぁ。


【11月4日】

『天下り先の作り方』

最近、自分でも異常に思うくらいニューヨーク熱が高まっている。映画の中で少しでも風景が映っていると変に感慨深くなってしまう。あんまり書くと寂しくのかどういう訳かは分からないが、今回はニューヨークネタではなくこんな話。

先日、一時話題になった言葉『NEET』という単語をしばらくぶりに耳にした。まずこの言葉のおさらいをしておくと、要するに“親のスネをかじって何もしないやからのこと”。Not in Education何やらの頭文字を取ってはいるものの、要するにプー。厄介な言葉を使うより、こっちの方が断然分かりやすいので、そう言わせてもらう。

日本では確か来年からだと思うが、巨額の税金を投入して彼らの教育施設などを作ったりしてこの問題に取り組もうとしている。このことに対して学者の方々や著名人たちは、「税金も払わないやつのためになぜ税金を投入して、そんな施設などを作ったりするのか」などおっしゃっている。そして、そんなものを作ったとしても、結局何も解決せず役人の天下り先を用意するだけなのは、私のような知識のない人間にも明白である。

そう、このことによってメリットがある人というのは、明らかなのである。私が何をここで言いたいかというと、「なんでそんな見え透いたやり方でしか天下り先を作れないの?」ということである。あれだけ年金で作った高齢者用の施設が叩かれていた矢先に同じようなことをするのか全く疑問であり、「あんたら四六時中、情報のはいってこない刑務所みたいなところにいるのかい?」と聞きたくなってしまう(まぁ、国民が大々的に文句も言わないし、しばらくすれば関心もなくなるし、バレバレなやり方でも結局できちゃうんだから、むこうはお構いなしなのかもしれないが…)。

聖のような人が決めているなんて、到底思ってはいないが、少なくともえらく難しい試験をパスしている人間なのだから、もうちょっと考えてやればいいのになぁと思う。

せめてヨン様に夢中になっているおばちゃんくらいは騙せる方法で…。


【10月11日】

『衛生』

すきやがオーストラリア牛を使い牛丼を再び売り始め、9月は10%近く売り上げを伸ばしたらしい。一方、老舗の吉野家は赤字が続き深刻な状態のようだ。

それもこれもBSE牛がアメリカで出たから。この問題に対しては輸入禁止、全頭検査、様々なことが国家間で話し合われ、結局押しに負けたのかブッシュの大統領選の票のために約束したのか真意はいろいろあるだろうが、早ければ年内中に輸入を再開するらしい。

はっきり言って今回の再開するしないという問題は、全くもってどうでも良い。正確に言うと、再開することに賛成か反対かを論ずることに対してどうでも良いと言った方がいいかもしれない。

では何が言いたいのか、と言うと「アメリカ側は日本の牛肉を輸入禁止にしているのに何故こっちだけは、再開せなあかんの?」ということと、「衛生面大丈夫みたいなこと言ってるけども、実体はそうじゃないでしょ?」ということを伝えるということだ。

前者は読んで字のごとく、日本の牛肉はアメリカに輸出できない状態なのだ。もちろんその理由はBSE。ここで「えっ!私、最近アメリカ行って神戸牛食べましたよ」という方。そう神戸牛はあるのだ。おそらくニューヨークで今話題のレストラン『祭』や日本にもある『ノブ』なんかでは確実においてある。

しかし、それは純粋な神戸牛ではなくドメスティックもの。つまり、アメリカで飼育されたアメリカ版・神戸牛ということになる。もちろん、値段はお高いが味はやはり日本のものに劣る。こちらは余談だが、輸入がまだ許されていた時代の神戸牛は、神戸牛だけではなく日本のある一定の基準を通過した牛が全て、神戸牛としてアメリカに輸出されていた。

で、後者のことだが、日本ももちろん厳しいこととは思うが、アメリカの衛生面の書類上の審査というのはかなり厳しい。実際厳しすぎてレストランなんかで言えば、忙しい店になると普通に守れない。ということはつまり、現実守られていないのだ。これは、アメリカの社会全体に言えることだと思うし、底辺がグダグダなのはすぐに分かることである。

リスクは当然あるしやたらと危険だというのもおかしな話だが、もうちょっと日本のマスコミも伝えることあるんじゃないかい。

そうしたら、こっちで買うか買わないかは勝手に決めさせてもらいますんで…。
【9月13日】

僕の9.11(後編)

僕が事件の具体的な内容を知ったのは、ベンツに乗ったおやじが車を止めラジオを大音量で流してくれたからだった。ワールドトレードセンターに旅客機が、それぞれ1台ずつ、ペンタゴンにも1機、そして、消息不明が数機あることを知った。何故そんなことになっているのかまったく分からなかった僕は、とにかく学校に戻った。戻ってすぐに、先生と話したがこれ以上学校にいても仕方がないのと、大丈夫と思ってはいたものの友達や当時の彼女のことも気になったので家に帰る準備をして学校を後にした。

地下鉄は完全に止まり、89丁目から歩いて家へと向かう。レキシントンを下りミッドタウンを抜けダウンタウンへ。ローワ−マンハッタンにあるワールドトレードセンターに近付くにつれ噴煙の匂いを強く感じるようになった。

人々はマンハッタンを北に向かって騒ぎ立てることもせず静かに避難していた。23丁目付近に辿り着いた時、Fトレインだけは動いていることを知り、ブルックリンに向けて乗り込んだ。家につくと繋がらないことがほとんどだったが、いろんな人に電話をした。みんな無事だった。この時初めてほっとした。

僕には、ワールドトレードセンターで働いていた友人もペンタゴンで働く知り合いもいない。もっといえば、あの事件(テロ)で犠牲になった人を1人も知らない。だから、知人を失った悲しみを共感したり、同じように涙することは出来ない。

そして、僕がこのことを理由に始まった戦争に、何かができるとも思えない。ただ、殺したり、殺されたりすることは嫌だ。なんて学のない言葉だと自分でも思う。でも、そんなことも通らないのかとも思う。理想を現実にすることは難しいことだろう。それに、本当に悪人が出てきて、そいつが武器を持っていたとしたら。僕の頭では、解決策などとうてい出てこない。

だけど、ダメ人間の僕が少しでもまっとうな人間でいられるためにも、気持ちを熱く語っていたいように思う。

2001年9月11日あの事件で命を落とした全ての人に、追悼の意を表します。

【8月18日】

僕の9.11(前編)

8月16日。午後7時42分雷が鳴っている。特にそれ以外書くべきようなことがある日ではない(僕の周りでは)。そう、あの日も今日のように流れていく筈だった。

朝、8時30分頃いつものように、学校に行くために起きた僕は、用意をして家を出た。いつものように地下鉄は遅く。クーラーの効いていない車両は、やたらと空いていた。

学校に着き、いつものように筆を取り出し、書きかけの絵に色をつけていると、一人のクラスメートが泣きながら教室に入ってきた。何があったのか興味はあったが、面倒なことに巻き込まれたくない僕は、取りあえず会話だけを聞いていた。これもいつも通りのことだった。そして、また別の一人が入ってきて、「飛行機がワールドトレードセンターに衝突した」と言った。言ったように思う。まず僕が、これを聞いて思ったのは、まさかアメリカ様が攻撃を受けているなんて思いもせず、事故だと、つまり、悲惨な事故がニューヨークで起こったのだと思った。

そして、その数分後やけに学校中が騒がしくなった。

僕はようやく筆を止め外へと出ていった。アッパーイーストサイドにあるにも関わらず、外は学校の中以上に騒がしく、明らかにいつものニューヨークではなかった。5thアヴェニューに出て、ダウンタウンを眺めると、煙りが空高く舞い上がっていた。

この時僕には何が起こっているのか、全く理解できず、ただ、なにか嫌なことが起こったのだと言うことだけが、寒気から推測できた。

これが僕の2001年9月11日の始まりだった。

(後編に続く)

【7月23日】

アンサーコラム

7月7日、おりひめとひこ星が一年に一度出会う神秘的な日にコラムで振り逃げをしたものがおりました。今回はそのコラムにたいしてのアンサーソングならぬアンサーコラム。まず、7月7日の華麗な(?)振り逃げをhttp://www.onozomi.com/site/index_bn.htmlでチェックして下さい。 さて始めに「印象派っていったい」という質問に対して、ここはおさえておかなければならないでしょう。『一瞬にして移ろってしまう光=時をキャンバスという永遠のなかに定着させる』これが、印象派の仕事の至上命題なわけです。例えば、山や川に行って自然に囲まれ(場所や時間なんかは人それぞれでしょうけども)、ふとした瞬間に美しさを感じる。それは誰にでも起こりうる衝動です。もう一度いいますが、その光景をキャンバスに定着させたのが印象派の人達です。何処にでもありそうな景色や光景であっても、それは2度と、そして他の人では見れなかった光景なのです。そう理解すると、ただうまいだけじゃないでしょ前川さん

そして、印象派に限っての話ではなく絵画全般に言えることですが、絵画の中にある奥のものを見るというのが大事というよりも楽しみの一つと言えるでしょう。「絵の奥にあるものっていったいなんやねん」という質問はしないで下さい。それは考えるものではなくて、感じるものだと僕は思うからです。例えば、大好きな人とデートをして手を繋いだ瞬間ドキドキしたりします。それと同じように絵を観て感じればいいのです。何も感じないのは、趣味があわないのでしょう。ただそれだけです。たとえそれが有名絵画であっても、気にする必要はありません。ただ、感じる力(センスとでも呼びましょうか)は大切ですけども・・・。

今回はニューヨーク話をそっちのけで、ちょっと真面目に書いてみました。今頃ニューヨークのセントラルパークでは、日光浴したり野外フェスなんかが沢山あったり、ダライラマの公演があったりおもろいこといっぱいです。あぁ、ニューヨーク行きたい。

【6月30日】

焦った挙げ句の果てに、出来上がったもの。

そう言えば、コラムの日っていつだっけと思って、メールをチェックしてみると、なんと明日(現在6月29日午後10時)。ぎりぎりになって焦れば焦るほど上手くいかないのが人生ってもんで、上手くできているというかなんというか。

焦るといえば、歳を取れば取るほど、経験というものが豊富になって、そういった状況に陥ることは少なくなると思う。でも、ニューヨークに行って2、3ヶ月くらいの頃に本気で道に迷ってしまった時は、かなり焦った。帰れないと本気で思ったもんね、あん時は。ニューヨークは京都と同じでだいたい碁盤の目になっていて、ストリートサインも出ているし、地図さえあればまぁなんとかなる。

ただ、ダウンタウンのウェストサイドだけはべつ。突然、斜にストリートが走っていたり通りの名前もハウストン(マンハッタンを横に走るストリート、ここを境に南へ数字のストリートから名前のストリートに変わる)以南のため訳がわからない。頭の中のナビが敢然に狂った。来た道を戻ればいいだけなんだけど、焦ってる時の人間はほんと凄い何処も見たことあるような妄想まで引き起こしてくれる。

聞けばええやん、と思うかも知れないが、大前提に全く英語が分かっていないことがあるため(仮に自分の意志を伝えられても相手が何言ってるか分からないので)、その当時はそのアイデアを却下。で、最終的に思いついたのが取り敢えず、東西南北の4方向を見て(当然どっちがどっちかは分かっていません)短い方、つまり、ずーっと遠くまで続いているほうとその逆は縦(南北)の通りだと推測されるので、その道とは違う方へ歩き始めた。取り敢えず、東西はそれほど長くないので、大抵なんとかなる。なんとかなっていなかったら、今頃こんな馬鹿なコラム書いてませんし、信用して下さい。でも、帰ってから気付いたんだけど、エンパイアとかクライスラーを目印にすれば・・・。とにもかくにも、焦れば焦るほどやっぱり上手くいかないということでしょう。

【6月8日】

傘を差さないニューヨーカー

外を見ると雨、憂鬱な季節になって来た。5年ぶりに味わう日本の梅雨にも拘らず、情緒なんていっさい感じない。ただただ鬱陶しい。街に出れば、たいていの人が傘を片手に歩いておられる。あんまり雨の中、傘を差さずに走っている人を見ることがない。ふと、「ニューヨークカーって傘あんまり差さないよなぁ」なんてことが頭をよぎった。

取り敢えず、季節関係なく日本では家を出る前に雨が降ってなくても、天気予報で雨といわれれば傘を持って出かけるのが普通である。しかし、ニューヨークではそれほど準備がいい人の率というのがやたらと低い。ニューヨーク1というチャンネルで10分に一度天気予報をやっているが、これがまた当たらない。そんなことも原因しているのか、少々の雨ではへこたれずずんずん歩く。そして、ちょっと降って来たなぁなんて思っていると、何処からともなく現れる『傘売り隊』駅前のコーナーに立ち「アンブレラ、ファイブダラーファイブダラー」と呪文を唱える。ほんとに気が付けばそこにいるという具合に、疾風の様に現れて、雨がやむと疾風の様に去っていく。彼らの本業がなんなのかもかいもく検討が付かない。

さて、でも何でニューヨーカーは傘を持たないのだろう。一度友人に聞いてみたことがある。「なんでだろう。面倒臭いからじゃない。でも、確かに不思議だねぇ」と答えられ、僕はそれ以上聞くのをやめた。開いた口が塞がらないとはこのことだ。『雨が降る→濡れる→だから守る為に傘を持つ』という理論が面倒臭いに掻き消されてしまった。かなりひいきめに言わせてもらえれば、ものすごくおおらかなのである。少々の事は目を瞑るのだ。

しかし、ちょっとしたことでクラクションを鳴らし、横入りしようもんなら「ファック」の嵐、あのおおらかさは何処へやら、何なんでしょうこのギャップ。不思議ですニューヨーカー。

今回はコラムの予定を変更して、書いてみました。はっきりいって何を書けばおもろいのか、毎回変わりそうなので、取り敢えず予告は今回からなしでいってみます。あしからず。

【5月18日】

回顧録・到着編

到着編に続くと書いたはいいが、到着にまつわるエピソード話なんてかいもく検討もつかず、四苦八苦している。2回目でこんな調子。先が思いやられるが、取り敢えず、経緯から書き進めることにする。

1999年8月某日関西国際空港で、友人数名に見送られた僕は、同日の夜の11時頃ラガーディア空港上空にいた。飛行機の上から眺めるニューヨークの夜景は半年前来た時と同じく綺麗で、100万ドルの夜景とは上手くいったもんだなんて感心しつつ、「おいおい来たでー」と不安にも似た感じが合ったのを憶えている。

もともと飛行機では寝れない(適当なわりに変なところセンシィティブなんです)に加えて、米国内線で隣のアメリカ人に話し掛けられ、疲れまくりで飛行機を後に。取り敢えず、サインを頼りにキャブ乗り場へと急ぐ。歩きながら必死に、「聞き返されたら一発でアウトやし、えーと、こう言ったらええよな」なんてことを頭の中で考えていた。

そんなこんなで、イエローキャブに乗車(空港周りにはシロタクも沢山いますが、まぁイエローキャブに乗るのが無難でしょう。マンハッタンなら、一律35ドル+チップ、シロタクも似たようなもんです。JFKだけの話ですが、40ちょいと考えれば良いでしょう。ラガーディアとニューアークはまた値段が変わります。後、グランドセントラル行きのバスもあります。これは結構安めで、10ドル以内だったと思います。疲れてなければ、サブウェイ、貧乏旅行の友です。1週間何回乗っても21ドルのメトロカードを買えば、何処へでもいけます、詳しくは地図参照)。色々考えてたことも虚しく、速効で理解してくれ色々話しかけられはしたが、終始車内では無言。20分ほどでお世話になる人のアパートへと到着。疲れていたこともあり、ニューヨークで始めて触れあったのがこのキャブの運ちゃん。やたらと、親切そうな感じだったので、かなりチップをあげた(多分10ドルくらい、この時合わせて30くらいあげたような気がします)。大喜びで、鞄を運んでくれるは、ドアも開けてくれるは、親切三昧。疲れきった僕は、やってくれるがままにキャブから降り、アパートへと入った。ブザーを押し、扉を開けてくれた人こそ、ニューヨークでの始めの恩人であるYさん(この方には、色々と御迷惑もかけ、お世話してもらい今でも頭が上がらない)。Yさんのアパートはアッパーイーストサイド89丁目のヨークストリートと1アベニューの間にあり、お金持ちのおじいちゃんおばあちゃんが多く住むエリアだった。

ホッと一息付けそうなところについた僕、今考えると、おそらく緊張が少しとけたのだと思うが、ようやくニューヨークに着いたという実感が湧いてきていた。自分の部屋に案内され、窓から外を眺めて「あぁ、ここニューヨークなんや」なんて思っていた。取り敢えず、お土産を渡し挨拶もそこそこに疲れきっていた僕はベッドに向い眠りについた。それが何時だったのか、今ではもう憶えていない。

これが僕の到着の時のエピソードである。ニューヨークには、沢山の日本人がいる。当り前の話だが、それぞれの到着のエピソード話がある。それを体験するか人から聞いて想像するかはあなた次第である。一度きりの人生をどう使うか、どう楽しむかそれが肝心てことかも知れません。

『ボーッと1ヶ月編〜マクドとドラゴンボールが僕の友〜』へ続く

【4月21日】

『回顧録・序章』

4年半の長旅から帰国して、4ヶ月が経った。最近では少なくなったが、ふとした瞬間、心の中に、なんとも言えないニューヨークを懐かしむ気持ちが押し寄せる時がある。「ニューヨークってどんな感じ?」とかってよく聞かれる質問だが、はっきりいって、「行ってみなさい」としか言い様がない。ひどく当たり前だけれども、人によって受け取り方は違うし、肌が合わずに激痩せして病気、そして帰国した人もいれば、刺されても襲われても、残っていたいと思う人もいる。だから興味があるのなら、行ってみればいい。

もちろん、僕のいっている意味は、旅行でちょっと行くとは違う。住みにという意味である。まぁ、こんな簡単ではない、という指摘や意見も分からんではないし、今の状況から身動きがとれない人達も多々いることだろう。それに、行ったところで、たいした変化なんてないかもしれないし、今の世の中、英語をしゃべれる人なんて大勢いる。喋れないんだったら、喋れる人に通訳を頼めばいい。ただそれだけのことである(ちなみに僕には頼まないで下さい)。

じゃあ、なんでそんなに僕自信が、あの場所にひかれるのか、もう一度考えてみようと思う。日本が嫌だとか、そんなふうには思っていないが、できれば戻りたいと思う気持ちが、いつも何処かにある。ただそれが、過去を懐かしんでそう思っているのか、今の僕にはまだ分からない。

だから、『回顧録』と称し、ニューヨーク滞在中のことを、下らないエピソードなんかも踏まえて、いきたいけど行けない人+僕に宛てて、これから書いていこうと思う。

回顧録・到着編に続く

【4月1日】

『恋文』

春の陽気に誘われて、僕は恋をした。いや、というよりも『ようやく気がついた』と表現したほうが良いのかも知れない。

社内で始めて会った時には、なんとも思っていなかった。ただ、隣に座っていると居心地が良かった。それは、趣味や興味を持つ方向が一緒だったからだと思う。そして、おそらく彼女は僕の気持ちに気付いていないだろう。というか、自分がその気持ちに気付いてもいない頃から、もし察知されているとしたら、僕がよっぽどの馬鹿者か、物凄い勘違い女かのどちらかだろう(ここでは確実に前者しかないけれども)。しかし、日をおうごとにこの気持ちは増すばかり、いよいよ押さえられなくなってきた。訳の分からん暴走をしてしまう前に、この思いを伝えようと今回のコラムで告白することを決心した。

これが、僕の新しい春の門出を祝うことになるかどうかは分からない。この不安な気持ちは、中学生の頃からなんにも進歩がない。何度恋をしても、同じところで悩み、同じ失敗を繰り返す。ましになったとすれば、いちいち格好をつけて自分を大きく見せようとすることを、止めたことぐらいだろう(こんなことしても、結局すぐに化けの皮が剥がれるのを、幾度となく経験して、ようやく辿り着きました)。

だから、今日、告白します。大西恵子さん、ずっとあなたを見ていました。もう嘘はつきません。このコラムを最後に…。


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