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大西 恵子 |
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【2月24日】
『私は、連続した“今”を生きている。』
「時は流れる」「時は過ぎる」といいますが、本当に流れたり過ぎたりしているんですかね。流れるのも、過ぎてゆくのも見たことがありません。時は、流れたり過ぎたりしないんじゃないですかね。ついでに言うと、過去も未来も存在しない、それらは私たちの空想なんじゃないですかね。
こんなことをブツブツ考えていたら、ふと、「 私は“今”ばっかりを生きてるんじゃないかぁな 」と感じてきました。連続した、今・今・今…を生きている。そして気づきました。私は23年と8ヶ月のあいだ生きてきて、“今”を意識していたことが、ほとんどなかったと。
毎日毎日、過去に起きたことについて考えたり、未来はきっとこうなるだろうと期待したり心配したり、あの人はこう思っているに違いないと思い込んで悩んだり、私はこうしなければならないのに出来ていないと焦ったりと、もうアタマばかりをフル稼働させて生きてきました。心で感じ、意識していることは、ほとんどありませんでした。
理想を抱き、空想を楽しむことが悪いなどと言っているのではありません。けれども、たとえば「なりたい自分」という理想があっても、「今、自分の居る場所」がわからなければ、理想ばかりを追い求めるばかりで、自分を見失ってしまいます。
* * *
毎日暮らしていれば、考えて答を出そうとすること、判断を迫られる場面がでてきます。けれども、そんなに多くないでしょう?と思うのです。そういうことが多かったのは、私は私の物差をもっていたからです。
自分を基準に過ごした毎日は、判断や善悪をつけることばかりでした。とても苦しかった。けれども、私が暮らすこの大きな地球、もっといえばずーっと広がる宇宙は、人間1人の考えを気に止めているでしょうか。疑問がわいたとたん、私は、きっと人1人が単体ではなく、生きているすべてのものが等しく、そして1つの存在としてなっているのだと感じ、物差はいらないと感じました。(…あ、何かあやしい感じですかね。まぁいっか。)
物差しを捨て、アタマで考えるのはよして、意識とか感覚で“今”を生きてゆきたいなぁ。するとなんだか、“私”が見えてくるような気がしまぁす。
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【1月27日】
カウントダウン開始。
「今日の1分コラム」という自分の想いを書く場所は、いつまで与えられるものなのだろうね、と最近考えている。おのぞみドットコムが存在する限り「今日の1分コラム」はあるものだとは思っているけれども、じゃあ、おのぞみドットコムはいつまで存在するサイトなのだろう…。
夢中になっていることにおいては、“限りがある・ない”と考えたことが一度もなかった。先例に出した「今日の1分コラム」も、毎月きまってまわってくるものであり、そこに記す題材は無限であると思っていた。でも、そう思うことは果たして私にとって有効であったか。
たとえば、私が「今日の1分コラム」を書く機会が、今回をふくめあと3回で終わるとする。その時、私は何を書こうとするのか。その内容はわからないけれども、おそらく半永久的だと思っていた頃とは異なるものであり、私にとって値打ちあるものとなる。正確には、なると願う。
お題指定のない「今日の1分コラム」で、毎度、4つから5つのまるで異なる題材の中から1つの題材を選んで書いてきた。選ぶにあたっての基準は“気のむくまま”。とりあえず、嘘はつかないでおこう、とりあえず、おのぞみドットコムの名は汚さないようにしようという、当たり前かつ淡白なきまりごとのみ守りながら。けれども、残り3回となると、気のむくままに選ぶわけにもいかない。
すると、今度は“何のために書くのか”を真剣に考えるようになる。「何のために」とは、私の場合ほぼ「誰のために」と置き換えられる。私が書くものはターゲットがきまっているものがほとんどであり、それゆえ正直に書かざるを得なくなる。というわけで…。
取材文は、聞くべきことを聞きそれを書くべきものとして選べるか、自分の視点で論じられるか、文法を適切につかい分けることができるか、誤植をしていないか等々の要素を複合的にみて、評価なり、感想なりを頂くと思う。
けれども、(ほんのすこしだけれども)先にあげた要素が満たされた優れた文章でも、つまらない文章はたくさんある。もう読みたくないと思う文章もある。そう思ったとき、何がそういった思いを呼び起こしているかというと、おそらく書き手の人柄だと思う。文字を追うと同時に汲み取っているのだ。
文章を読んでいるとき、私に一番近い人は、恋人でもなく、両親でもなく、まぎれもない書き手である。向き合って話しているときよりも、文章におけるコミュニケーションは互いをずっと近づける。脳みそでキャッチした文章は、外界から密閉された私のカラダの中でひびき、細胞に沁み込んでいくものだからだ。
聞かなければいけないことも聞けてない、書き分ける力もない。感動させる決め言葉のレパートリーもすくない。それどころか、感動しているのに、文字に起こすとありきたりな感想でしかつたえることができない…そんな欠点だらけの文章。けれども、言葉のつかい方からは取材対象への思いやりがあらわれ、文章のテンポからは穏やかで、心優しい様子がうかがえる。すると、その文章はカラダの中で心地良くひびきはじめ、私はまた、読んでみたいと思うのだった。
せっかく時間をかけて文章を読むのだから、刺激的なテクニックも時にはほしい。ユニークな視点も知ってみたい。けれども、そういうものは高い意識をもっていれば、いつかは書けるようになるものであり、好みの問題でもあって人によって異なるものである。一方、人柄というものは、文章のように簡単に盗むことのできないものだと私は思う。だから、文章を書くときは気負わず、お昼ご飯を買いにいくときのように素のままで、散歩をしているときのように穏やかな心持で、しんしんと書けばいい。せっかく好きな文章を書いているんだもの、そこに“私”がいればもっと幸せになると思う。
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【12月21日】
「年賀状って、だいたいにして短すぎるのよ。」
感激ネットワークがおわりました。来てくださったみなさん、スタッフのみなさん、ほんとにありがとうございました。たくさんの方、しかもほとんど初対面の方々に助けてもらって乗り切ったイベントでした。わたしにとって、これは初めての体験。人に出会い、真剣に話し合うことは楽しいことだと知りました。また、知り合って間もなくとも、一つのことに向かって真剣に話し合えるのだと知り…この先いろいろな人と付き合っていく中で、“人を大切にしたい”という気持ちに大きく働きかける経験となりました。
さて、どたばたどたばたの日々日々日々…がすぎ、なにやら少し考える時間ができたような気になっています。そこで、この1年におこったわたしにとって大きな出来事について少しお話することにします。
大きな出来事といえば3つあります。1つは、先ほども言ったようにたくさんの人と出会えたことです。しかも、音楽関係の職についている方がほとんどで、いっしょにお仕事させてもらうと心地がよかいことがわかりました。繊細な方、よく気がつく方が多く、また忘れっぽい方 (失礼!)、ルーズな方も多く(陳謝)、それだけにハラハラさせられることもありましたが、ゆるい空気が気持ちいい方々でした。おのぞみドットコムを通して出会えたこともとてもよかった。出会う人、出会う人、「京都てゆうアングラにスポットあてて、おもろいことしてるやん」と言うてくださったので、このサイトを作っていてよかったと思えました。ありがとう。
2つ目は、音楽の趣味が変わり、また変わりつつある中で自分の好むところが明らかになってきたところです。メンバーからすすめてもらったポップなクラブミュージックがとても好きになりました。おのずと、通うレコード屋さんも決まってきました。すると今度はそこで、メンバーとは異なる音楽に出会います。中でも、ストリングスを随所にほどこした音楽に惹かれることとなりました。HER SPACE HOLIDAYはその代表的存在です。打ち込みとストリングスの絡み合ったサウンドは、ドリーミーでありながらもグレースケールでシリアスで、わたしの内情にぴったりでした。プラスのベクトルとマイナスのベクトルがそれぞれ向かう先、というか向かい方がわたしの感情のベクトルのそれと似ていて、どんなにマイナーな音でも聞けば穏やかな気持ちになりました。
そして…言葉は不自由なものだと知ったことが、3つ目の大きな出来事です。文章を書く身として、とても複雑な気持ちになりましたが、残念ながらわたしにとってこれは本当のことです。文章を書く上で、わたしはとても正直になれますが、言葉で何かを伝えることにおいては、わたしはとても不器用です。うわっつらだけの、愛想話ならなんぼでもしてみせますし、人懐っこくふるまうのはお手の物です。けれども、いざ、本心と向き合おうとすると、本心を伝えようとすると、喉元にサカナの骨がささった時とおなじようにぎこちない話しぶりとなるか、いえ、ほとんど伝えられずにおわってしまいます。そんな自分に、頭がガンガンするほど苛々しますし吐き気もします。伝えようとするほど言い訳がましくなり、遠まわしになり、誤解され、苛々され、“何が言いたいのかわからない”人となります。
サイテー。
こんな言葉を吐き捨てて、その場を去るのはもういやです。
テキトーに。
まあ大事な言葉ですが、ここぞという時には使わないように。
なんでもないよ。
そんなふうにあきらめないで、自信をもって伝えるように。
2005年は、つきつけられた事実をうけとめながら、どれだけ言葉を本心にすりよせられるのかに意識をおいて人と話せたら、と思っています。まだ知らない自分を、2005年は気に入ることができたら素敵だなと思います。みなさんも、みなさんらしい2005年をお迎えください。
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【11月22日】
感激ネットワークやります!
おのぞみドットコムがクラブイベントします!その名も「感激ネットワーク」!ふざけた名前でどうもすいません。
それはまあ置いておいて、クラブって行きづらくないですか?私は興味があってもなかなか行けないタイプだったんで聞いたんですけど。“ダンスなんて恥ずかしゅうてできへん!”っていうノリでしたね。けどね、行ってみるとおもろいもんだったんですわ。だから「おっと、けっこうおもろいんちゃうん」っていう感覚をみなさんで再現していただけたらなと。「感激ネットワーク」は、クラブに行ったことのない人にも来てもらえるものにしたいと思っています。とはいえ、来てもらうためには、クラブに新しいイメージを持ってもらわないと。で、
感激ネットワークは、DJイベントやライブのほかにも、講堂前の広場において、レコード市やフリーマーケット、ちゃんちゃん焼きもします。で、ちなみに、フリーマーケットには、路上ミュージシャンにも参加してもらって、ローテーションで演奏と自主制作CDやカセットを発売してもらおうと思っています。ナイスアイディア。西部講堂内と広場、あわせて一つのエンターテイメントとして楽しめる空間を目指します。
とはいえ、やはり“クラブイベント”といってしまうと来づらいものかもしれないです。だから、出演者と場所の選び方をけっこう考えました。
まず出演者。クラブに馴染みのない人もすぐにとけこめて、かつクラブユーザーにも指示されている人に来てもらいたい。そんなわがままをかなえてくれたのが、一人のDJと一つのレーベル、そして3つのバンドです。
まずはDJ・クボタタケシ。伝説のラップグループ「キミドリ」の元・ラッパー/サウンドクリエイター。キミドリを経た後、プロデューサーやDJとして活動してきました。クボタさんの音楽は、「広く深い完璧なオールジャンル」選曲でフロアーをハッピーかつピースフル!にヒートアップさせてくれます。一度聞いたらまた行きたい!ってファンがたくさんです。久しぶりに京都に来られるってことでも、ぜひ西部講堂に来て楽しんでもらいたいです。
そして一つのレーベル、SECOND ROYAL。私が「クラブイベントっておもろい」って気持ちが動くきっかけをつくってくれたレーベルです。音故知新で何度か取材させてもらったんで、ご存知の方もいらっしゃると思います。
ヒップホップやロックとテクノが混じったようなヒリヒリする音も流しはるんですが、基本ポップにとらえられるっていうか。つまり、J-ポップ好きも、ロック好きもあっという間にすんなり溶け込める音を流しはるんです。ダンスするのが恥ずかしいっていう気持ちより先にノッてしまってる感じ。
次に、3つのバンドをご紹介。1つ目は、赤犬とかBUSH OF GHOSTSっていう、特に関西で指示されているバンドがあるんですが、そこのメンバーが参加している“THE FOX”。ジャンルを横断した“THE FOX”のテーマは、バカンス&ロマンス。=快楽と悦楽のトロピカル。=気分はもう、太陽が燦々とふりそそぐココナツの島!!もう無国籍ロマンチックポップワールドへ、あなたをおさそいしますよ。
つづいて“PUG27”。“パグにじゅうなな”と読みます。ここも、錚々たるバンド経歴を持つメンバーがそろっているというわけで、音楽も半永久保証付です。レゲエ、スカ、ラテン、ジャズのテイストを濃厚に醸し出す極上の音。トロンボーンやトランペット、パーカッションなど自由に操りまくってます。
最後に、“ザ ノイローゼボウリングセンターズ”!略して“ノイボ”。このノイボがめちゃサイケデリック!音はもちろん、その格好がすごいーーー。実際お会いしたときも、遠くからでも「ノイボはあそこだ!!」って一発でわかります。“ズボンズ”も認める毒性高き3人でっせ。
わーー、長くなっちゃいましたが、ほんっまに来てほしいなあ。で、場所が西部講堂なですけども…今回クラブのイメージを変える、ということで、クラブらしからぬ場所でやってこそ成功するんじゃないかと思って西部講堂にしました。しかも、ここは京都に住む学生たちの文化や芸術活動の場として大いに貢献してきた場所。また、ジャンルにとらわれないいろいろなイベントが行なわれていて、様々な価値観が交差する伝統的な場所でもあります。だからこそ、固定観念にとらわれない開放的なイベントができるかなと。ちょっと真面目です。
そろそろ〆ます。
今、カフェやライブハウスやレコード屋さんや学園祭でフライヤーをまきまくっています。京都〜大阪〜神戸と、三都物語ですわ。「感激ネットワーク」、加速するいっぽうです!!ぜひぜひきてくださいね!お待ちしとります〜〜〜。
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大西 恵子 |
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【10月26日】
「 棚に上げて。」
「自分のことを棚に上げて」と言われると、幼い頃からけっこうショックを受けてしまうタイプだ。だから、なるべく言われないようにとやってきたものだから、私にとって「棚に上げる」という言葉はストーカーのようなものだ。電信柱から顔を半分出してこちらを見つめている感じ。
ここまで言うたら、よっぽど「棚に上げる」ことはないのだろうね、と思われるかもしれない。けれども、ここだけの話、けっこう棚に上げている。
まず1つめ「喧嘩するときー」
「何でそんなこと言うのさ!むっかつくわー。そんなこと言うから苛々するねん!!」「え?俺はあなたがそういう言うから怒るんじゃないですか。もーいやや!!」そう返されるとふと気づくのです。私にとっては相手の一言が原因、相手にとっては私の一言が原因。あれ?もしや、どっちもどっちやん。
2つめ「取材を忘れて遅刻したときー」
「え?取材行くの忘れて遅刻したって?! え?教授に捕まったって?ありえへん、そんなこと仕事に関係ないっつーの」「…じゃあ、これからは気をつけます。ところで、あの記事書きましたか?僕が企画提出したの、どうなってるんですか?」…「他の事で手一杯で」なんていうのは、その人にとっては「僕に関係ないっつーの」。
3つめ「TSUTAYAで借りたときー」
「俺さあ、CD返すの忘れてて、ハッと気づいて返しに行ったらさあ…もう最悪やで、7千円取られたし」「うわ!それ最悪ですねえ。こわいっすねえ」とは、昨年の夏の出来事。そして先週、13枚のCDを10日〜12日も延滞し、吸い取られた金額、バサバサっと1万3千750円。もうね、何ていうのかな、ここまでくると“ホレ、払ったるわ。(チャリンチャリン)”という状況じゃなくなるんですよ。レジに並んですぐ頭を下げて“すいませんでした!!あのね、私ね…かなり延滞しちゃったんですよ。たぶんね、1万円超えますからびっくりしないでくださいね。それと、大きな声で延滞料金言わないでくださいね”、私は息をしないで言い切りました。1万3千750円もあったら、1万3千750円もあったら、1万3千750円もあったら、CDに古着に何枚買えるねーん!!本気ショックリング。
さあ、今日もそういいながら、また「棚に上げて」しまいました。棚に上げると言っても、自分に完結することでっす。例のTSUTAYAでまた延滞しました!“ヨッ、粋だねえ”、そうやって自分でふざけて自分でなぐめます。4枚借りています。400円。そして、今朝から発令された「遅刻につき500円罰金令」。絶対に遅刻しないと思って急いだのに、遅刻。編集長に500円払いました。“あの時、ジャケットを迷わずあのまま着とけばよかった!着たり脱いだりしてるからや!”そんな話はあとの祭り。
さあどうでしょう。今日はまだ何も買っていないのに、900円が飛んでいきました。さあ、今月はいくら、見返りのない投資を続けるのでしょう。ちなみに、私のTSUTAYAカードのポイントが早くたまるのは、延滞をしまくった成果であります。よく、500円の金権を頂くのでした。
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大西 恵子 |
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【10月2日】
『恋の話〜パパヤパヤっ♪パヤパヤっ〜』
↑そんなわけないのですが、以前とても憧れていた人に、昨日ばったりと会いました。それはほんとに偶然で、どちらも驚き合ってしまいました。
とある出版社へ向かう途中。打ち合わせに遅れていたので、肥後橋で地下鉄を降りて小走りをしていました。その時に見つけたのでした。その“のべ”っとしてダルそうな猫背からすぐにわかりました。先ほどまで私が乗っていた電車へと、その憧れていた人がまさにその時乗ろうとしていたのでした。
「○○さん!」
「あ!大西さん!」
穏やかな表情、色が白く、背が高く、お変わりないその笑顔を見て、今までとは違ってほっとしたのでした。やはり、憧れているうちは、偶然会ったりなんかすると身体がこわばってしまいますからね。一本電車を遅らせて、次の電車が来るまでしばらくおしゃべりすることにしました。
「髪の毛切りましたよね」
その言葉が妙にうれしくて。頭をかきました。私からお願いしているお仕事があるので、しばらくそのお話をしてから、その方の今のお仕事についてお聞きしました。
「前は音楽のことばっかり書いてたんですけどね。最近はお店に取材に行ったりして、もっとたくさんの人と会って話してますよ。楽しいですよ。そうそうお店もたくさん覚えました。あ、今度いっしょに行きましょうよ」
その方と初めてお会いしたのは、阪急梅田のビックマン前でした。ちょうどお昼時で、どこかでランチでも食べましょうとなったのですが、どちらも梅田のことを知らず、ずいぶんうろうろと歩いたのでした。その頃の私はグルメの取材をしていたので、梅田のことも知っていて当然でした。けれども知らなかった自分が恥ずかしかったので、その出来事が強く思い出に残っていたのでした。
「そうそうお店もたくさん覚えました。あ、今度いっしょに行きましょうよ」というお話で、その方もうろうろ歩いたことをよく覚えていらっしゃるのだと知り、何だかとてもうれしくなりました。「今度いっしょに行きましょうよ」は、社交辞令かもしれませんが(笑)、私は本当に言うてくれてはるように感じました。
「恋話」でも何でもないのですが、本当にご飯を食べる機会があるのなら、きっと以前とは違って、もっとゆったり、楽しくおしゃべりができるのだろうなと思いました。
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大西 恵子 |
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【9月3日】
欲はなく…
ほめられもせず苦にもされず
そういうものに私はなりたい
(宮沢賢治「雨ニモマケズ」より)
人とは極力話したくない話題がある。「どうして生まれてきたのですか?」ってやつ。物知った顔してる人がよくする話題やね。私は、チャリンコこいでる時に考えるまでもなく虚ろに「どうして生まれてきたんやろ?」とか思ってみたりもするが、人とその話題で話すのはぶっちゃけかっこ悪いと思うので、酔っ払って説教臭くなった時でも決して話さない。
けど先日。友達が聞いてきた。「どうして生まれてきたんやと思う?」
友達の意見を聞いて影響されるのが嫌だったので、話すな、と頼み込んだが話しやがった。仕方がないので、そのまっとうな受け答えとして私が選んだ行動は、「生きてきたわけを感じる時のことを話す」ことだった。まどろっこしいけれど。
私は非常に自信のない人間であり、自分が生まれてきた価値などないと思い、命を絶ちたいという気持ちに何度も駆られてきた。今でもそう。「甘いな」「アホか」と言われるかもしれないが、いや、そう人間強くないもので、少なからずの人たちが普段から極簡単な思考回路でその衝動に駆られているのではないだろうか。
かく言う私でも、「ははん、これが私が生きてきたわけか」と思う瞬間がある。ここからの話は、「また大西がほざいとる」、と読み流して頂いたら結構。ま、普段より私の文章は開き直った上で書かれているものであり、たいした意味もないものなので、断る必要はないのだけれど。
私が件のように思う瞬間とは、人の人生に何らかの影響を与えた瞬間である。たとえば、人が長年思い悩んできたことを話してくれた時、そのことに対して何か意見を言ってみたところ、その人に一筋の陽光が差し、何か新しい考え方が生まれたり、何かうまい風に運ぶのではないだろうかと感じてもらえた時に、「ああ、私はここに生きてきてよかったんだな」と思う。…悲しいことに逆に作用してしまう場合もありますがね。
人生は大きい、というのは私の知ったかぶりです。けれども、そう思うだけで胸が熱くなるのはどうしてでしょうか。言葉に詰まってしまいます。私にとっては、人生など語れることではありません。そんな人生に、まして人の人生に影響を与えるとは、ものすごいことなんだと、エゴ丸出しで私は思います。
私に、常日頃より計り知れない影響を与え続け、私を以前の「考え込む私」に戻し、そして新しく「発見した私」に導いてくれた人が、21年前の今日、9月3日、この世に生まれました。心より、おめでとうと言いたい。みうらくん、ハッピーバースデイ。
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大西 恵子 |
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【8月7日】
「妥協軸と点々』
「二度寝」
わずかに残る、コミュニケーション能力の放棄。
「反省」
深く反省することで次回に生かそうとすること自体、妥協を認めたことになるんじゃないか。
「大西さんて、恋多き女よね」
「ああ… (苦笑)」
シッタカすんな。すべてまっすぐな恋でした。
恋を重ねるごとに、執着心がなくなっていくのは苦いけど。
「苦笑」
誤解を受け入れる、おぼつかない精神の現れ。
遠慮と「大人である」という認識を、混在させるな。
「金の無駄遣い」
っていうか、金の破棄。時間の浪費。
「黙る。」
自分の至らなさの認容。
「筆不精」
感謝を忘れた、横着者の果て。
「大西さんて、○○だよね」
…墜ちる速度は増すばかり。
「妥協をゆるさない。」
私の時間の放棄。
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大西 恵子 |
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【7月15日】
CARROTS
...ALL IT TAKES IS A LITTLE CONFIDENCE!
今日のコラムの主役は、31歳の男の人。見た目は、イカツサ10,000kcal、ダルサ30kgの米袋×1、ワイルドサ75%(※合格値=80%)。口癖があったとしたら、きっと「ダッル」だ。
この31歳の男の人は、カメラマンだ。13日は、私と初めて撮影に出かけたのだった。どのような絵を撮ってほしいか、正直何も無かったのでそのように伝えた。もとから「祇園祭で鉾出てるし、撮ってもらって」と指示を受け「はい了解」と出かけたのだし、どのように撮るかなどの要望はなかったし、だからそのまま言った。
これがいけなかった。
人という生物は、何か頼まれたら、要望に応えようとベストを尽くすものだ。プライドを掛けて、心を込めて。けどその要望がなかったら「じゃあどうすりゃいいの?」ってなるよね、それは当たり前。
うん、だから私、すごい失敬なことをしたんだ。普通わかるよね、それあかんのんちゃうんとか。けど私の悪癖、言われたことを二つ返事で引き受けてしまうのだった。十あるうちの八わかった気になって。けどさ、省いた二が大事なんだよね。「二」が、私の「スタイル」になってくるんだよ。
撮影の後、それについてすこぅし話してもらったあと、仕事のことについていろいろ話をした。してもらった、だね。缶ジュースを飲みながら、日陰で立って話した。缶ジュースを持つ手が、震えていた。口に持っていくとよくわかった。それはイカツサ10,000kcalのシワザだった。けどそのイカツサってのは「自分に厳しく、人に優しく」という姿勢から染みだした、真っ当な人間らしさだと、話し込んで、確とわかった。
31歳の男の人は、自分のことを過不足無く認めている人だった(認める≠満足している)。「過不足無く認める」ことは、人前に出た時、ダレに何を言われようがまず「自分のスタンスで精一杯行動する」ことに反映される。そして、失敗するにしろ成功するにしろ、結果はすべて、自分の「今の実力」として消化されていく。雨が山に落ちて土に浸透し、いずれ川に流れ海へ行き、太陽に照らされて蒸発するのと同じ、自然なサイクル。それは写真にも反映し、できた写真は極自然に近い状態で浮かびあがる。
こういうスタイルは、人に対しても貫かれる。たとえばこの日、初めて会った私に対しても。話せば話すほど、この人は私のことを「過不足無く」知っていっていくような気がして、気持ちがよかった。時に鋭い言葉も頂くが、誤解が無ければ気持ちいい。
31歳の男の人の中身は、湿度0%のカラカラの晴天だった。
with DISC
CARROTS
『...ALL IT TAKES IS A LITTLE CONFIDENCE!』
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大西 恵子 |
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【6月22日】
酒は酒屋で買うと決めている。
河島英五もいいが、植木等が好きだ。
“スーダラ節”
ちょいと一杯のつもりで/飲んでいつの間にやら梯子酒/気がつきゃホームのベンチでゴロ寝/これじゃ身体にいいわきゃないさ/分かっちゃいるけどやめられない
あソレ スイスイスーダラダッタ スラスラスイスイスイ/スーラスーダッタ スラスラスイスイスイ/スイスイスーダラダッタ スラスラスイスイスイ/スイスイスーダラダッタ スーダラダッタスイースイっと
笑いたいやつは笑うだろうよ。
けどあんた、素敵だと思うよ。
“ひょっこりひょうたん島”
波をジャブジャブジャブジャブかきわけて(ジャブ ジャブ ジャブ)/雲をスイスイスイスイおいぬいて(スイ スイ スイ)/ひょうたん島はどこへ行く/僕らをのせてどこへ行く
丸い地球の水平線に/何かがきっと待ってる/苦しいこともあるだろさ/悲しいこともあるだろさ/だけど僕らはくじけない/泣くのはいやだ笑っちゃおう/すすめ〜ひょっこりひょうたん島
「日本は美しい。」
胸を張って言いたくなる歌。
“おぼろ月夜”
菜の花畑に入り日うすれ/見わたす山のはかすみ深し/春風そよ吹く空を見れば/夕月かかりてにおい淡し
“おぼろ月夜”。中学生の時は、むずかしい言葉の使い方があって、何を言っているのかわからなかった。でも、「深し」のところでは、深く霞がかってるのが見えたし、「淡し」では、菜の花のにおいがやわらかく淡くただよっているのがわかった。自分の中に残ったのは、おぼろ月夜の風景だけだった。そして音楽の時間、そのたかが風景に感動した。くっさいハナシ、涙が出やがった。音楽ってすごい、そうやって初めて思ったんだった。
私にとっての音楽って、そんな感じだと思う。巧みな歌詞で自分の経験と重なり合ってきたり、揺れる感情をさらにメロディーで煽ったりなんかしないもの。私の中には依存しないで、あるがままに存在しているもの。私に感情移入させないもの。私が勝手に、しかも無意識のところで、笑ったり、きれいやなあと思ったり、ふーんと頷いたりしてる程度に納まるもの。それ以外の音楽は負担にしか思えない。…あれ?何か私、病んでる? いや、だってダルイんだもん。いちいち感情揺さぶられんの。音楽に、そこまで入ってこられたくない。
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大西 恵子 |
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【5月31日】
『サカナオンナデカマイマシェン。』
食べ物で、何が一番好きですか? なりたての友達にしがちなちょっと恥ずかしい質問。だけどなりたての頃はほんとはしないほうがいい。きっと、思いのほか真剣に考えてしまうはずだから。私が質問した時はたいてい答えが返ってこない。「うーん・・何やろう・・・」って何回も聞いてるとうんざりするから、結局は質問を変えてしまう。
私が一番好きなんて何やろう。このあいだ聞かれた時は、ハンバーグって答えたのだけど。そうやなあ、うーん・・魚?かなあ。地味やな。
おばあちゃんチは魚屋だ。午前1時から仕入れに行き、午前4時になると三重は香良洲という漁師町から滋賀県の大津までトラックで売りに行く。おばあちゃんチはお母さんの実家だしうちから近いから魚をよくもらった。実家にいた頃は、ほとんど毎日魚料理だった。夏はアジの刺身、カツオのたたきがうまかった。秋はサンマ。冬はブリの塩焼きか煮物にしたものか。春は貝がうまい。
ああ、どれも食べられて当たり前のものだった。京都で一人暮らしをはじめてからはめったに食べなくなった。旬になると毎晩食べていたカツオのたたきやアジの刺身は、食べられないことが当たり前になった。
やっときたと思った春も過ぎたのか、こころもち空気が湿気を含み始めた。もう少し経てば梅雨。森の碧がぐんと深まる季節だ。京都は視覚的に四季を感じさせる。とてもきれいで感動するけれど、私は魚で季節を感じてきた人間。こちらにきてから季節感がなくなった。・・錦市場で買えばいいやん、そんな声が聞こえてきそうだけどほっといてくれ。元漁師の孫にはプライドがある。ゆうたら地元の魚=まいもの、が一番うまいのだ。よその市場ものはフェイクなのだ。もう一押しで梅雨、って空の下、田舎ものの見栄と意地をこれからも大切に、ヒビショウジンしていくぞ。
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大西 恵子 |
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【5月8日】
気持ちを噛み砕いて、
大切な時間を過ごせたら。
私は、お母さんにあげたいものNo.1はアクセサリー。アクセサリーをつけたお母さんは、エプロン姿の時よりもずっときれいだし、ちょっとリッチな感じでいいと思うから。「母の日にはアクセサリー」って、3年くらい前から決めている。
けど今日、母の日を明日にひかえて気づいたんだ。自分がちょっと無理してるって。お金の話じゃなくて気持ちの話。無理って言うか、この日の意味を勘違いしてるっていうか。母の日ってお母さんに感謝する日でしょ?けど私は感謝する前に邪念でいっぱいいっぱいになるの。“プレゼントを買わないと!!”って焦っちゃうの。買い物するのが遅くなって郵便局が閉まりそうになった時なんかは最低。手紙もろくに書かないまま実家へ送ってしまったり。んで“ふは〜、間に合った”って満足してるんだよね。…?、何か違うでそれ。
どうしてそんな風になるのかな? んー…思ったんだけど、きっと私は“プレゼントを贈るまで大きくなったよ”って言いたくて、背伸びしてるんじゃないかな。どっかで認めてもらいたいんだと思う。あと、安心させたいって気持ちもある。
何かそう気づいたらちょっとヘコんだ、「ってか結局自分かよ!?」って。プレゼントがなくても手紙とか電話するとかそーゆーのが大事なのにさ。私は形のある目に見えるものをほしがる悪い癖があるんだけど、いつの間にか相手にも形あるものをあげるようになってしまってたな。
今日はいっちょ手紙でも書いてみよっかな。余裕なければ電話で。キボウテキカンソクとして「ありがとう」を言うことにしよう。改まって言うのってかなり恥かしいから言えなくてもまあいいの。滞納してた気持ちも込めて、これからは一緒にいられるといいな。
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大西 恵子 |
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【4月13日】
『WHAT IS A WONDERFUL WORLD?』
キュビズモグラフィコがミックスしたV.A.『WE ARE eSCALATOR rECORDS PART2』を三浦くんに借りた。三浦くんは13曲目、TGMXが歌ってる「WHAT A WONDERFUL WORLD」をすすめてくれた。原曲はLouis Armstrongが歌い、もとから穏やかで豊かな曲。それがチャッチャッってレゲエのリズムに変わり、スチールドラムがフォンフォン入ってきて、もっと最強に豊かな曲調に仕上げられている。TGMXが歌うと妙に切なくなってくるってところもいい。
で、すんごい単純だけど、自分のWONDERFUL WORLDとは何ナノかなーって思った。至極単純な思考回路で思い浮かんだ“?”だけど、でも今まで思ってもみなかったことだった。
毎日、それなりに頑張って/仲間と意見の食い違いでもめたり/自暴自棄になったり/でもやっぱり自分でいようと思ったり/たまに親孝行したり/いっぱい笑ったりして過ごしているけど、これが自分の生活だと思ったことがない。たとえ満足していなくても今を楽しんで過ごすことは大切だと心がけているから、人生やってらんねーってことはないんだけど。
大学生の頃よりは自分の思っていることをしているけどいつも何か足りない。……ねじを巻いたら歩くおもちゃがあるけど、私の頭の中には、部品の不具合で歩けなくなったそいつがジージー音だけ立てながらその場で立ち往生してる図がいつも映し出される。空回りした足が妙にリアルだ。
WHAT IS A WONDERFUL WORLD? 考えてみれば、想像するのは容易い世界なのかもしれない。でも、そこにたどり着くのはとてもじゃないけど困難。自分でいる限り無理なんじゃないかと何度も考える。でも作りものの自分なら、たどり着いたとしてもそこは無意味な世界。
WHAT IS A WONDERFUL WORLD? 大学で知り合った友達は、それぞれの道へ歩いていった。日本語教員を目指し、1人は卒業式を待たずにオーストラリアへ、1人は宿も決めぬままシンガポールへ発った。ジャーナリストを目指す1人は、留学期間の関係で私たちと一緒に卒業できない条件だったにもかかわらず昨年からドイツへ行っている。そして、一番のんびりした親友は、地元・和歌山は南部へ帰り、梅屋に就職して楽しくやっている。みな、4年前の約束通り、それぞれの目標に向かって進んだ。もちろん、私もその1人。
WHAT IS A WONDERFUL WORLD? だけど、誰にとっても目標を達成した世界がワンダフルワールドだとは限らない。少なくとも私は違う。それは1つの生きる糧にしか過ぎない。私のワンダフルワールドとは、息をしているだけで生きていると感じられる世界。そこへたどり着く自信は今んとこナイ。希望はあるorない、それはわからないところ。大学を卒業し、具体化できない歯痒さを前にも増して感じている。
今日も何となく過ごしている。それなりに頑張って/お腹空いてご飯食べて/ダイエットしなきゃって思って/居眠りして/ウォークマンにスイッチを入れて…
what is a wonderful world for you?
will you be able to reach your wonderful world?...
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大西 恵子 |
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【4月2日】
ネタの矢面には大西あり。
ほんとはおんなのこなんやけどな。
サクラ咲き乱れる古都・京都。大西恵子の心も乱れ乱れて…、乱れ散りました、ね。
昨日、1日だけの春が私にも訪れました。
エイプリールフール、おのぞみドットコムに来てくださった方はご存知のことでしょう。おのぞみメンバー・松村貴樹が、“エイプリールフール用のコラム”として(私に)告白をいたしました。
「ずっとあなたを見ていました。」
んなこと言われたことねーなあ。正直ね、これ読んだ時、お子ちゃま用のお茶碗をひっくり返したくらいの胸がはちきれそうになりましたよ、まったく。ウソでもマジうれしかったっすわ。
ところで、あいのりスペシャル見はりましたか?いっつも見てるわけじゃないんですけど、テレビつけたらたまたまやってたんで見たんです。ほなら、ゆーみんが隼人に告白されてる場面やったんですわ。隼人から「いっしょに帰ろう」って言うてもらったゆーみんは、言葉をなくして泣きました。…泣いた感覚、ほんまによくわかりました。私も泣きましたよ。
今、とことん片思いしてるし、大学4年間は遊んだり遊ばれまくったりで彼氏いなかったんで、愛し愛されるという感覚がわからないんです。好きな人に好きになってもらえたら、どんな気持ちになるんだろう。
そんなわけで、テレビなんかで恋が実ったシーンを見ると、私にもそんな日がくるのだろうかと想像して、感極まって泣いちゃうんですよねー。「本番」では絶対泣く!!私を泣かせたい人は、とび蹴りしたり叩いたりするんじゃなくて(3月23日のコラムをチェキ☆)、ギュッと抱きしめてください。ほなら簡単に泣きますから。泣くだけと違うもん、ほんまに大事にしましゅ。
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大西 恵子 |
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【3月23日】
影響されやすい性質なんでしょうかね。
いや、外的刺激を好む性質なのかもしれません。
私は音楽に詳しく無いなりに良かったなと思うところがあります。ほとんどジャンル問わずに聴けるタイプなんです。レコード屋さんにインタビューしに行って“普段どんな音楽聴くの?”ってよく聴かれると答えるのがもろくそ恥ずかしいけど(だって店長さんはひとつのジャンルを追及してはる人が多いから)、バランバランに聴いてる自分をどこか評価している。“なんて浮気ものなんだ!”って思われそうだけど、評価してる云々の話はどうでもいいので置いといて…。
でも、気になることがひとつあります。“OKなのかそれで?”というような。私、聴く音楽によって性格が変わるんですよ。私だけじゃないと思いますけども、ちょっと異常な気がするんですよね。今、3月22日午後5時42分、MUSIQの『SOULSTAR』を聴いて書いてるんですけども、8曲目「MISSYOU」になるとすんごい強くなります。“なんでもこいやーー!やったるわ!踊ったるわ!”とか“男手玉にとるからエステ行こ!”とかって。普段はそんなこと考えたこともないのに。奇妙、いや微妙なヘンゲを書きますと…
くるり『図鑑』を聴いていると“きてれつに恋したい”ときらきら乙女に変身。HALFBY『half works』では“ひゃっほ〜い!今日もまじめにふざけて楽しくね!”と高尚に高揚。はっぴいえんどの「夏なんです」では“ちっちゃいころ裸足で田んぼ駆け回ってよかったな”、野生児的思考回路へ(つまり、きちゃないことでもやれてしまう感じ)。駆け出しファンだけどPsysEx『polyhythm_system exclusive massage』では“精進します。頑張れば何でもできる”って無限大の可能性を感知。山崎まさよし『アトリエ』では“大切に恋しないと。やっぱりまさやんと結婚するんッ”て可愛すぎ Maher Shalal Hash Baz(マヘル シャラル ハシュ バズ)『blues du jour(今日のブルース)』では無になります。
こうやって毎日毎日性格が変わると、自分が信じられなくなってきます。よく聞く「自分って何だろう」って感じ、教えてください!って言いたくなりますよまったく。
最近言われて気づいたんです、私、誰に対してもじゃないけど喜怒哀楽が激しいみたいです。急に騒いだり、急に怒ってすぐに沈着したり、急にかわいくなったり(まさか見た目じゃない)、急に頭働いたり(滅多に無い)、急におっさん蹴ったろか思たり、急に穏やかになったり…。面倒見てくれてる人はほんまに疲れると思うんですよね(*1)。
私って、何様なんでしょうか。とび蹴りされてもおかしくないと思うんですよね。男の人から言われるんですよ、“大西さん見てると殴りたくなる”って。だから実際、いつ蹴られてもおかしくないんですよね〜。背が小さいからってこともあるし、ニシャって笑うからってこともあって、殴りたい且つ蹴りたい存在なんでしょう。この間、酔った人が髪の毛クシャクシャにして首絞めてきました。かわいがってほしいですけど、得体の知れないものには人間やさしくできないですもんね。
最後に書きますけど、そうやってイジメラレルの、嫌いじゃないんです。
* 1:陳謝且つ感謝してます。
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大西 恵子 |
| 【3月4日】
コラムってのはまったく・・。
今が食べ頃、今思っていることを書くしかないんだな。
昨日、RPPH(レシーバーズポンポンヘッド)が1年間続けてきたラジオの最終回が、京都[拾得]で公開放送された。
放送後、ボーカルでリーダーの、北山タイチ朗にインタビューした。(「」内はボーカルの話)
「彼らは、ダンスの経験なんてないですよ。この二人なんて、まったく音楽にたずさわってないしね。でもそれがいいんですよ。完璧じゃないやつらが、音楽を通して進化していく姿がおもしろい。
RPPHは、1期生、2期生・・といった感じで、メンバーが変わっていくグループですよね。僕、メンバーを選ぶ時に、完璧じゃないかっこ悪い人を選ぶんです。形になっていないものというのはおもしろいです。完成形は見えないけど、進化しやすい。
僕らのスタイルを、かっこ悪いって言って、理解してくれない人もいるだろうけど、僕は俗に言うかっこいいことなんてしたくないし、かっこいいものをかっこいいとも思わない。不恰好ながらも、自分たちで考えたり感じることによって何かを表現していく姿を、僕はかっこいいと思います。進化していく様子は・・すごく不安定だけど、そういうのが僕らの音楽となっているんです」
今夜のスタイルは、打ち込みの上で歌い、他5人のメンバーは、1人はサンプラーを操作、4人はバックで踊っているというものだ。さっき北山タイチ朗が話したように、ダンスはぎこちないものだった。あえてしているのか、それともただ下手くそなだけなのかとか、いろいろ思いながら見ていた。
けど、見ているうちに、こういうのがRPPHのスタイルだと思ってきた。完璧じゃないけど、伝わってくるものが確かにある。そして、ここでは上手い/下手ってのはどうでもいいと気づいた。
「メンバーを選ぶ基準ってのは、かっこ悪いことと、人としておもしろいことです。オンリーワンなヤツを選んでます。オンリーワンなヤツを見つけられるかどうかってのは、蝸牛みたいに、いつもアンテナを張り巡らせているかいないかでしょうね」
目に見えて実力のある人は、誰でも見つけられる。でも、完成形じゃないけど、その人の奥の奥に、本人も気づいていないような可能性を持っている人は、そういう人を好きな人でないと見つけられない。
私は、言いたいことがあるのに言えない、けど本当はいろいろことを深く考えているような、不器用な人が好きだ。
好きだとはいえ、そういう人が、将来成功するかどうかっていうあたりのことは私にはわからないし、成功するかどうかなんてことにはそもそも興味が無い。けれど、そういう人たちが人に馬鹿にされたり、認められないことには納得がいかなかったりする。だから、気になってずっと見ているし、たまにはサポートしたくなる。
何を言いたいのかわからなくなってきたけれど、でも昨日ちょっとわかったんだ。やっぱり不恰好でもいいんだって。で、本人が不恰好なことがイヤになったら、そこから努力して、ちょっと前の自分よりも少しでも自分を認めてあげれるようになればいい。
ちょっと自信を持てたりもした。不器用な人を好きで、そういう人を認めている人は、私の他にもいるんだよね。
★レイシーバーズポンポンヘッド主催
【京都エイリアンVOL3】
日時:3月21日(日)
会場:京都ネガポジ
出演:行方知レズ(レコ発from東京)/muddy muddy muddy world(from東京)/ラブハンター熱い肌/レイシーバーズポンポンヘッド
料金:前売り1,500円、当日1,800円
OPEN17:30、START18:30
★RPPHのホームページ http://www.rpph.org/
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大西 恵子 |
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【2月17日】
冬を愛する人は心広き人
雪を溶かす大地のような僕の母親〜♪
(四季の歌より)
自分は、とことん相手を信用しない質だと思う。たぶんうらぎられるのが怖いからだ。うらぎられると、かなしくなるし、やるせなくなるでしょう?
私にとって、好きな人を信用することは中でもハイパー難しい。仲良くしていても、本当はイヤなんじゃないかとか思って落ち込む。でも、相手にはいつも笑顔で接するという調子のよさだ。
その人が将来の仕事を決める大事な時にも信用してあげられない。例えば就職活動をする時。“あなたなら大丈夫”と、確信を持って応援できない。できないなぁ、とか思っていた時に、母親のことを思い出した。お母さんは何があっても“けーちゃんなら大丈夫”と絶対的に応援してくれる。「ミュージシャンにインタビューしたい」なんて阿呆な夢を持った時も“かっこいい”なんて言って応援してくれてた。すごく楽天的だけれど、他の親には言えないかもしれないと思う。どうですか?
そんなことを考えていてふと思った。お母さんがそうしてくれるように、私もその人を信用して応援してあげられたなら、すごい力になるんだろうなって。力になる=彼女になれるとか馬鹿げた話じゃなくて、好きだからその人がいい風に進めたらいいと思う。
おせっかいかもしれないから、就職活動をしている時は余計なことは言わない。だけど、どっかで何気に支えられたらなぁと思う。
2月末、就職活動の山場を乗り切ったなら、また一緒にご飯を食べに行く。たぶん、また散歩もする♪そん時には、少しは元気をあげられるかな?なんて、ぼ〜〜っと考えている。
その人は、私がココでこんなことを書いているのを知らないはずなのだけれど、知ったら引くかな?(笑) 引かれた時は……「引かれました。」と皆様に報告します。応援してね。
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大西 恵子 |
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【1月30日】
■リベンジ、80’s―。
「大西さん、朗報です。明日エイティース行ってきてー」…、おのぞみドットコム編集長・藤田氏がいつもながら大きな声で言った。
え?80’s―?予定にないのだけども。
「Meetsの“PARTY PEOPLE”の取材やで。METROとカメラマンに電話してすぐスケジュール組んでー。でな…」
「え?ミーツに書くの?マージっすか!?」…大西はあたふたするばかりで、藤田氏の説明がほとんど聞こえていない。
え?マジかよ。
朗報って言われた瞬間から、ヤバイと思っていたけれども、Meetsに書くほどやばいとは思っていなかった!その夜、帰宅してからは何をするにも時間がかかった。どう進めていくか考えまくっていたからだ。歯磨きはいつもより2分は長く磨いていた。ストレッチも膝の裏を伸ばしすぎた。布団に入ってもなかなか寝付けなかった。そして、あっという間に当日となった。
大好きな友達に相談しながら、三条界隈を一緒にぶらぶら散歩した。「できたらオレが買ってやる」と、かわいらしい笑顔で力強く言うてくれた。「たいした記事じゃないんやろうけど(笑)?」と付け足しもしたけれど。
“まぁいっか” お得意の“テキトー精神論”が自分の中で咲き乱れた。散歩中は、ほとんど違う話をした。…まぁいっか。
夜中12時半、METROに着いた。予想をはるかに上回って外国人が多い。メモった英語を何度も読み返していざフロアへ。1度目の質問では通じないことが多く2度繰り返す。その分疲れた。“疲れた分だけ成果があるかもしれん”なんて、またテキトーなことを思って取材を進めた。
…えっとえっと、手前味噌で申し訳ないのですが、Meets4月号、最後のページを見て頂ければと思います。どーぞよろしく!
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【1月13日】
タイトルパクルけど、
一年の計はここにあり!なのだ。
オフィスから7分ほど歩くと、京都・老舗のハコ[磔磔]に着く。'70年代のフォークやロックが結構好きな私には、かなりうれしい。磔磔では、その年の初めのライブに2日間、有山じゅんじを招く。私は、「春一番」というフォークライブで彼を見たと思うのだけれど覚えていなかった。そんな感じで彼にはそう興味がなかった。8日、磔磔へ行ったのは、金森幸介さんが出るからだ。
『箱舟は去って』の1枚しか持っていないのだけれど、私は彼が好きだったし、一種の尊敬の念を持っていた。それは…1年前まで、私は若者をバカにする大人が大嫌いだった。流行が嫌いだった。…そんな私を、金森幸介さんはやんわり抱きしめてくれて、そして、ゲンコツを落としたからだった。
件のアルバム3曲目「悲しみの季節」を聴いた時、赤面した。がむしゃらに大人に反抗して、“自分は正しいのに”って、世の不条理を嘆いていた自分が馬鹿らしくなった。そして、自分を振り返ることができたのだった。
そういうわけで、金森幸介さんは、ちょっとした先生でもある。ステージへ来た時には、今から面談でもしてもらうかのように緊張した。ギターの響きを押さえる小道具を弦に付けて、ポロポロと爪弾かれた音のなんと澄み渡ったこと。命を削って生まれるかのような音でもあって、不安に似た複雑な気持ちになった。
金森幸介さんの声は、ギターと同じように透明だった。まろやかで、スッキリした味わいの日本酒みたいだと思った。キレイなものに触れると、涙がこぼれやすいので、細心の注意を払って耳を澄ました。大きな樽にすこしずつ、すこしずつ、お酒が溜まるように、金森幸介さんの音は、じっくりと私の心へと滴り落ちた。
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【12月22日】
不完全燃焼のナンパ。
丸太町にあるクラブ[METRO]へ最近よく出かけるようになった。取材がほとんどで、仲間と戯れるということはない。ちょと淋しい。
去る12月17日、イベント名「Club 80’sー」。鬱になる勢いで、一路丸太町へチャリキを飛ばした。途中、何度も逃亡したくなる。“600円で盛り上がるわけないやん。内輪乗りやって”と同僚に散々言われたのと、寒いのと、タイヤがペコペコなのと、何より往生際の悪い自分に嫌気がさしたから。
20分程で着き、いざ入ってみると……な、なんじゃこりゃー!? 出口から溢れ出しそうな盛り上がり!しかも外国人多っ!平均身長高すぎる!153cmには、まるでジャングル。なんかワクワクしてきたぞ。
“君ら全員HOLLYWOODや”な勢いでクールな外国人ばかり。簡単なメモを取っていると一人のアクター(?)が急接近してきた。は、初ナンパか!?
“何してるの?”→“メ、メモ取ってます(次はDance with meか!?)”→“ふーん、楽しんでね(ニコ)”…って、なんじゃこりゃー!(怒)
それから一人で過ごすこと2時間半。最終曲「CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU」が流れた時、“踊らへんの?”…き、きたー!ナンパナンパナンパ!タイプじゃないけど、ちょとうれしい。が、私、“取材ですから”とすずしく言うてしまう無自覚な女でして。だけど彼、こりずに何度も言うてきてくれる。困ったけどやっぱうれしい。踊りはしなかったけど、帰り際に“さようなら”と言っておいた。が、めちゃ興味ナサゲ。…なんじゃこりゃー!(怒&泣) 至近距離では可愛くないゆうことに気づいたか、コラ。
また一路、会社へ向かう。寒過ぎた一夜。街にはもう、タクシーと、ゴミをあさる猫しかいない。私には、クリスマスという文字は無い。
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【12月5日】
死んだFUJITANI(元ds.)と約束した。
オレたちは音楽で成功するんや。(MILI)
大阪・京都・三重から東京を拠点に活動してきた2MC1DJの瘋癲(FU-TEN)がこの度、FILE RECORD/NEXT LEVELからデビューを果たした。その初ツアーのファイナルを11月23日、 [世界−WORLD−]で迎えることとなった。コンスタントに開催されるイベント=ESSENTIALと相まって、DJ陣も脇を固めてのフェスとなった。
クラブの顔たちが集まり始めたのは日付が変わる頃だった。DJ・SANCONが抑揚あるプレイでフロアを散々躍らせた1:00AM、ようやく瘋癲が現れた。元NAKED ARTZのMCMILI(ミリ)の関西弁と、元MONDO GROSSOのB-BANDJ(ビーバンジー)のブラック独特の黒々しい声が今夜も勢いよく切れ始める。
B-BANDJは、ラップにはブラックの声が必須だと感じさせる。内容がわからなくとも、日本人には真似できない躍動感のあるドスンと落ちる声が、感情をドラマティックに高める。これが気持ちいい!ワケがわからぬままに身体全体が上下前後にリズムを刻む。やはりB-BANDJは瘋癲の強みだ。
レコーディングの強力なサポーター、akikoがスペシャルゲストとして登場した。艶やかな雰囲気が十分に醸し出された身体からは、ハスキー・ボイスが滴り落ちてくる。
エモーショナルに踊らされながら終盤に向かうその頃、“夢のある奴いるか?手上げてみろ”と、突然MILIが叫んだ。そして“オレたちは音楽で成功するって決めた。死んだFUJITANI(元ds.)と約束したんや。聴いてくれ…「俺たちのブルース」”と。ムズ痒くなるリリックだったけれど、“やりたいことをしろ。いつ死んでしまうかわからねーんだ”というメッセージは伝わった。
1度目のアンコールを終えると、何と2度目のアンコールが起こった。当人らもビックリだ。ゲストakikoも迎え故FUJITANIも大好きだったという夏の曲「Cast Away」を。初夏の風を感じさせるほど爽やかに、3:20AM、ファイナルを迎えたのだった。
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【11月19日】
引きを知らない強引な声。
N.Y.でも声を磨く日本生まれのファンキー・ウーマン。
日本のブラックシーンを背負って立つ、生音にこだわったミュージシャンたちのコンピレーションアルバム『NATURAL VIBES』が今年9月18日、ソニーレコーズよりリリースされた。今回は、それに伴って今月7日に行なわれた『NATURAL VIBES release party』のレポートだ。中でも、強烈アッパーをくらわしてきたSOYSOULについて書く。
* * * * * *
会場前にはBボウイ&ガールがぞろぞろと短い列を作っていた。会場入りすると、“release party”という名の通り、ライブのような緊張感はなく、ゆるい空気が充満していた。
そんなゆるーい雰囲気も、今夜のトップバッターSOYSOULが1st「Baby You」で華やかにスタートすると一変。パーティーがカーニバルとなった。ソウルからファンク、そしてロックまでもマスターする彼ら。アグレッシヴな空間へと一気にトリップした。
音が身体にアタックしてくるような身に迫る迫力。生粋のファンカーになりきった(?)ZOOCOのファンクフルで引きを知らない強引な声。リズム隊が作り出すスムージーで深みのあるグルーヴ。国内外のアーティストのプロデュースやバックなどを務め、ミュージック界で極めて注目を受けている彼らの音は余裕に満ち溢れ、どこかもてあそばれている気さえしてくる。身をまかせて聴き入られる音はやはりいいものだと思った。
そして、耐えない戦争の終焉を願って作られた「NO WAR」では、戦地にいる人々が思い起こされるほど、心からPeaceを願いたくなった。N.Y.でも活躍するZOOCOならではのPowerだと思った。★告知:2004年1月14日@クラブクアトロでNewアルバムリリースに 当たってのライブを行なう。
★Offcial HP:http://www.vap.co.jp/soysoul
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【11月4日】
まさやんに会いたい。
で、京都から三重へ。
一般発売でチケットを取れるなんて、とことん山崎まさよしには縁があるぞ、なんて勝手な思い込みを抱きながら三重県津市へ。バンドを従えず、弾き語りのみの今ツアー。小さな会場だったので、ステージに用意されたアコギと、サンプラー、ハープ、カズーなどの小物が2階からでも肉眼で見れた。
“いやいやどうも”ってな感じに、まさやんが登場。歓声に包まれ、いつものように、たっぷりと湿って、深いまさやんのギターが響いてきた。この瞬間から、今夜ここへ来たことを本当に良かったと思った。少し影が落ちたナンバーでしっとりと聴き入ったり、アップテンポな曲で踊りまくる。まさやんは1人でも躍らせてしまう。観客が2千人でも1万人でも同じことだ。今ライブで泣けたのが“今の自分が一番無理なく歌える曲”と、歌ってくれたあのナンバー。今いる場所は嫌いじゃないけど、終着駅とは思えない。そんな混沌とした気持ちを、風刺的に歌いつつも それはまさやんの歌でもある。そのせいか、不思議と爽快感があった。
バンドにはバンドの良さがあるけれど、今回は感動した歌がいつもより多かった。ひたすら自分だけで創るステージだけに、まさやんの気持ちがよく伝わって きたからだろう。ヨカッタ
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【10月17日】
9月27日 京都大学西部講堂
「外道」ライブレポート
追憶にふけることはない。
三十年の時を経て、蘇った外道の魂。
歌舞伎「鏡獅子」のような真っ白な髪に艶やかな呉服をまとい、加納(vo.&g.)が姿を現した。続いてヒッピーめいた中野(ds.&vo.)と青木(b.&vo.)が登場。浪々とブルースを歌い上げた第一部に反し、第二部は初体験に似た “スリルと虚”を味わった。
第二部・・・轟き始めたギターが、怒涛の如き進撃でたちまちこちらをなぎ倒し、一撃で会場の空気を支配してゆく。特注の太い弦が張られているような音。残響までうねり続ける凄まじい音圧だ。それに触発された身体はジンジンし、何かが爆発しそうなギリギリのスリルを感じる。ドラムも秀逸だ。和太鼓の乱れ打ちのようにずしんと心臓に圧しかかる音。その感覚が生々しくて息が詰まりそうに。
もう外道の虜だった。この感覚がずっと続くと思っていた。でも、ラストは確実に近づいていた。
ラストナンバーの後、会場全体は焦燥感に打ちひしがれた。2度目のアンコールを送り続けながら、果てしなく空虚だった。消えないライト・・・ステージを振り返りながらも、ついには皆去っていった。
外道は立派なオジサンだ。でも、血気漲る若者を興奮させる力量は、かつて暴走族を従えた30年前と何一つ変わっていなかった。 |
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