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おのぞみドットコム教授の扉>京都大学大学院 吉田 純先生(1)
「学問は、問いと答えのプロセスの繰り返し。吉田純先生
吉田先生は、ドイツの社会学者であるハーバーマスの社会理論・公共圏論*の学説史的研究、またそれを基礎とした現代の情報ネットワーク社会についての理論的・経験的研究を行っています。今回は研究内容に加え、こうした研究に向かわれたきっかけについてお話をうかがいました。

*ハーバーマスと公共圏論:
ハーバーマスは、西欧近代市民社会の成立史を踏まえ、市民の自律的な討議と社会的意志形成の場としての「公共圏」を重視し、またその理念としての「公共性」のあり方を問い続けてきた社会学者・思想家です。ハーバーマスが繰り広げてきた数々の論争は、戦後ドイツの社会変動を背景としつつ、ドイツないしヨーロッパ社会のその時々の「公共性」に問われるテーマを的確にとらえたものでもありました。民族紛争の再燃、湾岸戦争などグローバルな問題を捉えると共に、ハーバーマスはドイツの新しい「公共性」の方向性を、EUの実現と重ね合わせて考えています。




Q、吉田先生は、どのようなことを研究されているのですか?

大学院時代、それからその前の卒論の時には、ドイツの社会学者であるハーバーマスの学説研究をしていました。元々はハーバーマスではなく、その先生であるアドルノという人物に興味を持っていたんです。それも学問的な動機というよりも、学生時代、クラシック音楽にかなりオタク的にはまっていた関係ので、作曲家でもあったアドルノに惹かれ、そういう関係でアドルノについて調べ始めたのがきっかけでした。

アドルノは作曲家でもありましたが、美学を含めての哲学、広い意味での社会思想の領域で、重要な業績を残した人物です。アドルノが近年、再評価されるようになったのは、いわゆるポストモダニズムの流れの中で、「近代」へのラディカルな批判者としてです。アドルノは近代化・合理化・文明化というものを、最終的にはあらゆる「自然」(人間の身体や感性といった内的な自然も含めて)を支配し抑圧する「野蛮」だとして批判する一方で、唯一、(クラシック音楽のような)優れた芸術だけが、人間と自然との非抑圧的な関係を暗示する、一種のユートピア的な世界だと考えていました。そうしたアドルノの一種のエリート的な芸術至上主義が、その頃クラシック音楽にはまっていた自分にとってぴったりきたのかもしれません。


Q、そうしたアドルノをはじめ近代の思想家の唱えた学説を、先生は現代社会での現象と照らし合わせて解釈していこうとされているのですか?

そうですね。アドルノは今いいましたように、近代社会というものに対して非常に悲観的で、ただエリート的な芸術の中にだけ「救い」を求めた人だったわけですが、その弟子のハーバーマスは、近代社会に対して決して楽観的というのではないけれど、もう少し肯定的な見方をしています。わかりやすくいえば、ひとにぎりのエリートの芸術ではなく、一般の人々の日常の言葉によるコミュニケーションの中に、支配や抑圧から免れた、自由で理性的な関係の可能性を再発見しよう、というのがハーバーマスの基本的な考え方です。

もちろん、そんな理想的なコミュニケーションは現実の社会ではなかなか成り立たないわけですが、もしかしたらそれが単なる絵空事ではないかもしれない、と思い始めたきっかけが、パソコン通信というものに参加した経験でした。今ではインターネット通信が主流となったけれど、1980年代の中頃から1990年代半ばにかけて普及していたパソコン通信は、1つのネットワークを1つのホスト局で管理するといったものでした。世界中のあらゆる所にホスト局(サーバ)があるインターネット通信との違いは、ネットワークに制限があるということです。

つまり、パソコン通信の時代はある1つのホスト局を通じてしか人と交わることが出来ない、非常にローカルな単位の中に限られていました。

しかし、それが場合によってプラスに作用する面もあるんです。たとえば、僕自身は中島みゆきのファンが集まるBBSに参加していたのですが、そこでは中島みゆきには直接関係のない日常生活の出来事などについても、参加者が話をする場(掲示板)が設けられていました。例えば映画とか、小説とか、それからクラシック音楽など。そうした色々な話題を通じて、参加しているメンバーのあいだに、単に中島みゆきについての情報交換という目的だけにとどまらない、もっと幅広い連帯感をもったコミュニティが生まれてきたのです。現在のインターネットでは、映画なら映画、小説なら小説、音楽なら音楽(それも特定のアーティスト)といった、もっぱら自分の関心のある狭い領域について情報交換のできるサイトがいくらでもありますが、逆にそうした「何でもあり」の便利さが、かつてのパソコン通信BBSのような、幅広い話題の共有に基づくコミュニティの成立を妨げているとも言えます。

ただ、ハーバーマスの研究とパソコン通信への参加は、元々は関係がなくて、パソコン通信の方は単に趣味でやっていたのです。だけど、やっているうちに自分の中で段々と重なりあってきたというか…。パソコン通信を通して趣味に限定されない、広がりのある人とのつながりが増えていく。そうした見知らぬ人とつながりあうネットワークに参加するのは、ある意味では危なっかしさもあるけれど、それ以上に意外性や新鮮味というものを感じたのです。

そして趣味はあくまでも趣味であるのだけれど、同時にハーバーマスの理論と何かつながるものがあるような気がしてきました。その辺りから情報ネットワーク社会論という分野を少し本気でやってみようという気になったのです。



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【プロフィール】
吉田 純
(よしだ じゅん)

京都大学大学院人間・環境学研究科助教授(総合人間学部助教授を兼担)

1984年、京都大学教育学部教育社会学科卒業。1988年、京都大学大学院文学研究科(社会学専攻)修士課程修了。その後、京都大学文学部(社会学研究室)助手、京都大学総合人間学部助教授を経て現在に至る。 著書に『インターネット空間の社会学"情報ネットワーク社会と公共圏"』世界思想社、2000年などがある。

※ 吉田先生のサイトはこちら。 http://www.socio.kyoto-
u.ac.jp/~jun/index.html





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