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人はどんな言葉と出会うかによって、その人生観や創り出していく世界が大きく変わる。人は言葉で物事をとらえるからだ。
一方で、どんな景色と出会うかによって、言葉の持つ意味の深さを理解できるかどうかが決まる。
良寛の詠んだ紅葉の句は、「裏」という言葉から始まる。盛りを過ぎ、はらはらと地面の上に散っていく紅葉の葉。その様を冒頭に詠んだのだ。
その背景には、「惜しむ」という心のはたらきを重視しようという良寛の思いがうかがえる。いくら綺麗な花でも必ずや枯れ、そして散っていくのが自然の定めである。その生から死へと至る生き物の変化を受け止め、そして「惜しい」と愛しさを込めて思うこと。その心のはたらきを素直に詠み上げたのがこの良寛の句ではないだろうか。
宝鏡寺は光厳天皇の皇女である華林恵厳尼が、伊勢二見浦で漁網にかかった観世音菩薩を、寺の本尊として創建、開山した臨済宗(禅宗)の門跡寺院だ。仁孝天皇を父君とする和宮親子内親王も、幼い頃にこの寺で遊ばれたと言う。
和宮は6歳の頃に有栖川熾仁親王との婚約が決まり、少女時代を有栖川家で学んだ。しかし、「公武合体」のために幕府から朝廷へ正式に徳川 第十四代将軍家茂の妻として、和宮の降嫁願いが出され、和宮は江戸へ赴くことになる。
幕末の時代に翻弄された和宮だが、少女時代を過ごした京都へ帰ってきた折りには、桜や紅葉見物に出かけたというエピソードも残っている。この宝鏡寺の庭から眺めた景色もまた、彼女の心の中に刻まれていることだろう。
紅葉を愛でるという文化は日本特有のものであると言われる。フランス語では「 (死んだ葉)」という言葉が枯れ葉を意味するように、欧州では、冬の訪れを象徴する晩秋の紅葉は嫌われるという。
しかし、紅葉を見て素直に「美しい」と私は思う。美しさの影に潜む死の影があってこそ、美しさを感じるのだ。落ちてゆく紅葉は、もっとも生を、死を意識させるのだ。
美しさの普遍性を願うのではなく、今目の前にある美しさ、儚さを愛おしく感じ、惜しむこと。良寛の残した言葉の意味はそこにある。これこそが紅葉を愉しむ心なのだ。
●宝鏡寺(ほうきょうじ)
京都市上京区寺之内通堀川東入
075-451-1550
アクセス:市バス「堀川寺之内」下車、徒歩すぐ。
※通常は非公開ですが、雛祭り・春の人形展・秋の人形展の際にのみ一般公開される。(展示のテーマ、料金ともに年によって異なる)
http://www.hokyoji.net/
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